第7話 強制ログアウト

 

「……ついに、一週間……」


 こっそりと家の壁にナイフで刻んだ七本の線。

 現実世界では四日くらい経とうとしている。


 もう誤魔化しも言い訳も利かない。

 一週間という数字は、一番心に来るものがあった。

 本当にログアウトできない――何で、どうして、と心に溜め込んでいた不安が溢れだしそうになる。


「……薬草とらないと」


 朝が来てしまった。

 なんだか仕事に向かう時のような気分。ずっしりと体中が重たく感じる。

 それでも、何かをしていないと気が紛れそうになかった。


 ずっと天気が続いていたのに、あいにくの曇天。さらに気が滅入る。

 リアルの天気は今どうなっているんだろう、もっと気が滅入る。


 いつも通り薬草を探す。

 見つけてはナイフで切って、それを入れて、また探して――。


「……何になるってんだろう」


 今まではログアウトに必要な時間を稼ぐために、村に厄介になっていた。

 そのために働いていた。


 しかし、四日だ。何らか異常があったに違いない。

 後何日で俺はログアウトできる。一週間後? 二週間? それとも――。

 ダイブ中の死亡事故を思い出してしまう。


 俺は今家の中に居るのか、それとも病院の中で眠っているのか。

 そんなことを考えていたら、こんな草刈りやる意味なんて。

 

「そうだ、ナイフ……あるじゃないか」


 握りしめた、刃の欠けたボロボロのナイフ。

 今までは希望があったからそんなことを考えることもなかった。

 それに痛覚の存在が俺に躊躇わせた。


 けれど、もしかしたらHPがゼロになれば――死ねば、ログアウトできるかもしれない。


 試しに刃を握る。

 掌に伝わる刃の凹凸。そして、一気に握り込む。


「――ぐぅっ……」

 

 最初はじんわりと、次に刺すような痛み。

 握った左拳の隙間から血が滴り、零れ落ちる。HPが減っていく。


 HPか。こんなに赤い血をリアルに表現しておいて、どこまでもゲームだ。

 この世界は仮想現実。作られた現実。


 ――俺のリアルは、ここじゃない。


 手を開く。生々しい傷跡。

 それを見てから、俺は首筋にナイフを這わせる。


「あんだけ激務しておいて、リアルじゃない方で自殺を選ぶなんてな……」


 正直死ぬとしたら、リアル起因だと思っていた。過労死でもあり得る。

 現実逃避するためのゲームなのに、そこから逃避しようとしている。

 なんだか洒落が利いていて面白い。乾いた笑いが出る。

 

 本当に死ねばいいのだろうか。

 試さなかったのは、怖いからだけだったか。


 ログアウト出来ない今、本当にこれでログアウト出来るのか。

 分からない、けれどやる価値はある。


 本当に?

 もし、こんなにリアルになっている状態で死ぬようなことがあれば――このまま一気に引き抜けば、取り返しのつかないことになるのではないか?


「怖気付くなよ……俺っ」


 自らの恐怖を振り払い、ナイフに力を入れた瞬間――風が吹く。


 そして、何かに突き飛ばされた。

 手からナイフが零れ、くるくると宙を回転し、地面へ突き刺さる。


 灰色の狼が俺を押し倒していた。そして、恐ろしい剣幕で吠え立てる。

 何をやっているんだ――と責めるようにも聞こえてくる。

 

「お前に――」


 ――関係ないだろう、と言おうとして出来なかった。

 俺は見たのだ、狼のライトグリーンの瞳から涙が確かに流れているのを。


「……悪い」


 こんな言葉しか思いつかなかった。


 しばらくのしかかられた末、俺が妙な真似をしないと判断したのかようやく狼が俺の上から退く。


 狼は刺さっていたナイフを咥えるとそのままバキリと柄の部分から砕き、吐き捨てる。

 二度とこんな真似をさせない、という風に。


「それ……一応、借り物なんだけどな」


 奴は俺に再び近づいて、すんすんと鼻を鳴らす。

 そして、左手を噛んで引き寄せるとそのまま傷口を舐め始める。


 染みるし、くすぐったい。

 手を戻そうとしても、前足が邪魔をする。執拗に舐められていた。

 ようやく吐き出された頃には、手の血は綺麗に無くなっていて痛々しい傷口だけ。


「もう、大丈夫だからさ。ありがとう」


 きっと手当をしたつもりなんだろう。右手で狼の頭を撫でる。

 俺が胡坐をかいて座ると、奴もまた隣に座り込んで膝に頭を載せてくる。

 

「なんでお前が落ち込むんだよ」


 狼はすっかりしょぼくれていた。

 耳までぺたんと折れてしまって、大きな体が小さく見える。

 

「……いや、悪いのは俺だな。ごめん、ごめんよ。ちょっと頭がおかしくなっちゃってさ――」


 そこからぽつりぽつりと今まで考えていたことが口から出てくる。

 

「正直言えば、俺は忘れてたんだ。フィフスマギナのことを、あいつらをさ……仕事が始まって忙しくなって、頭から完全に抜けてた。毎日毎日疲れ果ててする気も起きなかったし」


 この狼ならば関係がない、と考えてしまったからだろう。

 村では絶対に言えないゲームの話から何まですべて。


「でも、あの時サービス終了の広告を見た時、不思議なくらいやらなきゃって思って……」


 狼はきっと話を理解出来ていない。


「俺はただ今まで放りっぱなしでごめんな、今までありがとうって、言いたくてさ……身勝手な話だけど」


 けれど、退屈そうにすることもなく、静かに、どちらかというと真剣に、俺の話に聞いているような素振りを見せていた。

  

「……そしたらログアウト出来なくなった。最初は不具合かと思ったけど、ゲームが楽しめるラッキーくらいに思って、段々そうじゃないって分かってきて、でもそれを認めるのが怖くて……」


 現実世界じゃない世界と理解している。

 ゆえに、俺の主体は現実世界にある。


 だからこそ恐ろしい。

 この肉体は俺の本当の身体ではない。

 朽ちていく本当の身体が現実世界に取り残されている。


 いや、取り残されたのではない。

 俺の意識も身体も現実世界にある。ギアを通じて脳が錯覚させられているだけ。

 これは幻覚なのだ。


 自分が虚構と理解している幻覚ほど、質の悪いものはない。悪夢だった。


 突然狼の顔が上がる。そして、俺の頬を舐める――涙が零れていた。


 自覚したら耐えられなかった。溜め込んでいたものが涙となって溢れていく。

 思わず狼の首を抱きしめていた。

 

「泣いたら少しすっきりしたよ。ありがとう」


 ふるふると首を振られる。

 気にするな、と言いたいのか。どこまでも良い奴だった。

 

「……よし、決めた。こうなったら村を出ていく」


 嘆いても始まらない。

 あくまでも一時的な避難にヨルム村に世話になっているだけ。

 居候するにも限度というものがある。


 しばらくログアウト出来ないものだと考え直す。

 そして、出来ないなら出来ないなりに、他の同じく困っているプレイヤーを探すなりした方がいい。


 怯えて無為に時間を過ごすくらいなら、急に出来た長期休みだと思って割り切って満喫する。


 仕事がクビになったらなったで運営を訴える。

 貯金は使う暇がなかったのでそれなりにある。

 転職だってまだ間に合う年齢だ。どんな激務でも耐性はついている。


 うじうじしているのは、性に合わない。

 ピンチをチャンスに変えるのが営業マンの仕事だ。

 社会人で身に着けた数少ない取り柄の思考法。


「そうだ、お前も一緒について――ああ、分かったよありがとう」


 がうがうがう! 食い気味に話に食いつかれてしまった。

 一人で旅をするわけじゃない。

 魔獣操師は魔獣が居てこそ。心細かった思いが一気に晴れる。


「試して、みるか。ちょっとそこに座ってろよ」


 首を傾げる狼は俺の言う通り座り込んだまま。

 一方、俺は立ち上がって、ダメ元でチャレンジすることにする。


「我、ハルの名において理に誓う。雄々しく、心優しき狼よ、縁の鎖朽ち尽きるまで――」


 大地に展開される契約印、そこから契約の鎖が狼の身体に伸びようとした瞬間。

 

「――くっ」


 喉が急に締まった。言葉に詰まる。

 伸びるはずの鎖が狼の直前の何かに阻まれる。


 契約失敗? 

 いや、俺の知っている契約失敗のエフェクトはそもそも鎖が砕けるもの。

 これは一体――そうこうしているうちに、地面の契約印がふっと消えてしまう。


「なんだ……?」


 嘘のように、喉の調子が戻る。

 狼も戸惑っているような、何が起きようとしていたのか分からない、そんな素振りを見せた。

 頭を撫でてやる。


「悪かった、突然」


 ――それにしても今のエフェクト、妙に引っかかった。なんだか中途半端だった。


 キャンセルを除いて失敗や不可の場合、スキルの発動に際して無理なものは無理、という感じで打ち切られる。

 でも、今のは途中までいけそうな感じがあった。


 砕けるではなく、阻まれる。

 それにいきなり喉が締まるなんて初めての経験だった。

 特に締まるのは、あまり良い感覚ではない。


 仕様変更のせい、と断じることは出来る。

 使い勝手の良い考察の一つだし、それはもう今の生活で嫌というほど思い知らされている。


 しかし、今の現象はそれとは全く別の要因であるような気がした。


「……どちらにしても、契約はできない、か」


 事実としてはそうなる。


「レベリングして再挑戦するか。お前のレベル相当高そうだけど……俺、弱っちくて悪いな」


 ふるふると首を振られる。

 契約をしない、ということかと受け取りそうになったが、すりすり頬に顔を擦り付けてきたので弱いという部分を否定してくれているよう。


 この様子だと、契約なしでもなんだかいけそうな気もする。


 とはいえ契約魔獣になれば、契約ボーナスとしてステータスに補正が入る。

 さらにパーティーメンバー扱いだから、魔獣操師にも経験値も入る。


 だから、今後のことを考えると今のうちから契約出来たほうが良い。

 しかし、この状況では……おいおい考えていくしかあるまい。


「じゃあ、明日の朝ここで集合しよう。今日は村に戻って説明してくる」


 がう、と踵を返したところで前足が俺の肩を食い止める。

 

「どうした?」


 しかし、狼は何も答えない。

 ぐるる、とか、うう、とか唸ったり、小さく吼えてみたりするが俺には全く分からない。

 そして、最終的には困ったような顔を向けて、俺の両肩に前足を載せてくる。


「……ああ、今日の約束は絶対破らないって。むしろお前が明日居なかったら途方に暮れるけど」


 がうがう、と言いながら首を振る。

 そんなことはしない、と言いたげに。

 今更ながら、本当に賢いな。


「心配すんな。じゃあ、明日な」


 前足を肩からどかして、今度こそその場を離れる。

 いつかの時と違って、狼は俺をじっと見つめたままその場を動こうとしなかった。


 帰り道の心持は、来た時とまるで違う。

 絶望しかなかったのに、今は今後待っているであろう冒険やブランクの間に実装されていたはずの新要素に心躍る自分がいる。


「……図太いというか、本当に現金な奴だよな俺」


 躁鬱そううつが激しいと言われてしまったら弁解したいが、今日に限ってはそのしようがない。

 

「それだけアイツに救われたんだ……」


 灰色の狼。最初の印象こそ最悪だったが、今はもう見る影もない。

 というより今の態度を見る限り、何故最初はああだったのだ、と思ってしまうくらい。


 元気そうな動きを見せていたものの、随分痩せて弱っているみたいだし、恩返しじゃないが肉をたらふく食わせてやろう。

 

 そうこうしているうちに村が見えてくる。


「村長になんて説明しようかな……まあ厄介者がいなくなる分には問題は――」


「――そうだな、本当に厄介者だったと俺から伝えておこう」


 背後から聞き覚えのある、低い声。


「え――?」


 意識外からの反応に、僅かに思考の空白が生まれる。

 そして、振り返りその声の人物が奴だと分かった時には――。


「ギム――」


 ――奴が、ギムリが、俺の頭目掛けて何かを振り下ろす。

 俺の視界は暗転する。


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