第6話 ハルと狼



 それから四日。

 もう四日も経ってしまっていた。


 ゲーム時間で四日ということは、現実時間で最低四十八時間。

 気絶する時間も諸々含めて二日半くらい経っている。


 結局、サービス終了によるログアウトはなかったのだ。

 

「今日は多分、月曜日……あっぶね」


 ざく、ざくり、とコツを掴んだ今、薬草を切るのも手慣れたもの。

 しかし、力加減を間違えて刃が手を掠めた。危うく切るところだった。

 集中できていない、頭を振って今は考えないことにする。

 

「これで百本……だったはず」


 記念すべき百本目。

 最初は一本切るのにも一苦労していたが、効率は自分でも分かるくらい良くなってきている。

 

「レベルも上がったから、なんて」


 <Haru 魔獣操師 Lv.3>――無事にレベルも二つ上がった。

 まだ完全に慣れたというわけではないが、ホーンラビット相手にはもう驚かない。


 とはいえ、微々たるステータス上昇値。

 HPよりもMPの伸びが圧倒的に良い、魔獣操師ならではの伸び方。

 MPを要求するアーツはまだ覚えていないから、無駄。


「本当、序盤の魔獣操師イジメはエグイな……」


 今のスキルは<魔獣契約>と<武器熟練・短剣>の二つ。

 武器熟練の方はLv.1になった。攻撃モーションとダメージに補正が入るようになる。

 しかし、今その恩恵は感じられない。

 ホーンラビットは腹にちゃんと一突きすれば殺せるし、何よりモーションアシストが死んでるのだ。


 PvPでアシストを使うと一発で見抜かれて逆に隙になってしまうので使っていなかったし、不自由はしない。

 必殺技系アーツを覚えられればいいが、それはLv.2。道のりが遠い。

 

「あれは……」


 物思いに耽っていたところで、森のほうから何かが飛び出してくる。

 あれは……確かワイルドボアいのししレイドファングおおかみ、だっけ。

 ホーンラビットともども雑魚のくくり。


 猪が狼三匹に追いかけまわされている。初めて見る光景だった。

 魔獣が攻撃し合うというのは、プレイヤーの狩りの邪魔になるので、プレイヤーが罠を仕掛けるか、イベントを除いて発生しない。


 あくまでも魔獣の敵は俺たちプレイヤー。


 でも、あの光景が本来普通なのだ。

 群れで狩りをしているということなのだろう。

 サバンナの一幕、と脳内で夕方にやっていたドキュメンタリーのBGMが聞こえてくる気がする。


 ステータス的にはワイルドボアのほうが強いが、いかんせん小回りも効いて三匹で囲んでいる――あっという間に、ワイルドボアは噛みつかれまくってやられてしまった。


「まずいまずい、ぼんやりしてる場合じゃない」


 気づかれないように、距離を取っておく。

 ゲームでは雑魚でも、残念ながら猪よりもHPの低い俺のほうが今は雑魚だ。


 一回だけ戦った。

 素早いし、何よりデカくて怖い。大型犬くらいある。

 助っ人が居なかったら危なかった。そんな体たらくで三匹同時に相手をするのは厳しい。


 気づくなよ、と後ろに下がっていると、何か硬いものを靴底に感じた。

 パキッ、と乾いた音。

 それが木の枝だと気づくのと、狼どもの眼が俺に向いたのは同時だった。


 なんてベタな、と思っていたものに自分が引っかかるなんて――しかし後悔しても遅い。

 ホーンラビットよりも遥かに早い速度で狼たちがこちらに駆け出してくる。

  

「くそっ、やるしか……」


 一体が先行し、俺の喉笛を噛みちぎらんと飛び掛かってくる。

 大きく開けた口に並ぶ鋭い歯。怖い。身体も動かない。


 目を閉じそうになったその時、横から弾丸のように何かが飛んできてレイドファングを吹き飛ばした。


 ――灰色の狼が、俺を守るようにレイドファングたちの前に立ちはだかる。


 低い唸り声を上げて、レイドファングたちを威嚇する。

 レイドファングも十分大きいが、灰色の狼の方が遥かに大きい。

 奴らも負けじと威嚇するものの、プレッシャーに気圧されじりじりとその脚は交代している。


 しかし、突き飛ばされた一体だけは違っていた。

 怒りで血が上り、構うことなくこちらに襲い掛かってくる。


 グルラァウ!

 灰色の狼は飛び掛かったその身体を顎で噛みつき、受け止めてしまう。


 鳴きながら口の間でもがくレイドファング。

 しかし、深々と牙が突き刺さっているせいで動きようがない。


 狼はそのまま、残る二体に見せつけるように咥えたままの狼を誇示する。

 何をするのか想像がついてしまった――目を閉じ、顔を逸らす。


 そして、何かが潰れ、ぼとっと落ちる音。

 目を開ける。地面には分割されたレイドファングだったもの。

 一気に顎の力を強めて、胴体から食いちぎってしまったのだ。

 

 咆哮。音だけじゃない、音圧で吹き飛びそうになる。

 それを聞いた二匹はきゃんきゃん鳴いて一目散に逃げ出してしまう。


 くるり、と狼がこちらに向き直る。

 血がべったりと口の周りに付いてしまっていた。

 思わず口元に手を当てる。


「あ、ありがとうな……助かったよ」


 わう、とさっきほどまでの恐ろしい声とは全く別の鳴き声。

 そして、すとん、と狼がその場に座り込む。

 ふりふり、と尻尾を揺らしながら、顔をこちらに近づけてきた。


 意味は分かっている、褒めろということだ。


「はいはい、分かりましたよいつものね……ほらほら、よーしよしよし」


 きゅんきゅん。頭――耳の辺りを撫でてやると気持ちよさそうにとろんと目を細めて、ぐりぐりと頭を俺の手に擦り付けてくる。


 初日の恐ろしい光景はどこへやら。

 目の前に居るのは、ただのもふもふとした巨大な犬。

 

 どういう訳だか、この灰色の狼にすっかり懐かれてしまったらしい。


 俺が薬草を採集するたびにふらりと現れては、ああやって魔獣を蹴散らすようになってくれたのである。そして、褒めて撫でまわすまでがルーチン。


 肉をくれてやった事への恩なのか、理由は定かではない。

 だが、薬草採集に集中できるようになったのはこいつのお陰。


「ちょ、おい、生臭っ」


 撫でられるだけじゃ満足できなくなったらしく、がうがうと俺の顔を舌でべろべろ舐めてくる。

 血が付いてるんだぞ、よしてくれ。こっちはようやく臭いに慣れたばかりなのに。


 本当は警戒しなければならない相手。

 しかし、もうここまでされても怖いと思わなくなってしまった自分がいる。


 俺を抜け毛と血まみれにさせたところで、狼は満足したらしかった。

 ごろんと転がり、座る俺の手に腹を撫でられるがまま。

 獣のプライドや風格はもう欠片も残っていない。


 それにしても、こいつ見た目より随分と痩せている。

 毛で分からないだけで、肋骨が少し浮いてしまっているような状態。

 ちゃんと食い物にありつけているのだろうか。


「しっかし、野性で懐く魔獣なんて居たっけな……」


 フィフスマギナに、テイムという概念はない。魔獣契約のみ。

 餌をやって契約成功率に補正をかけるということは出来るが、ここまで懐いたりはしない。謎だ。

 

「……俺も、早く契約魔獣を探さ――おい、急に暴れるな噛むなっ」


 がうがうがう!

 さっきまで撫でられるがままだった狼が俺の頭や肩を甘噛みする。


 最初は驚いたが、襲い掛かろうとしているわけではなく、不満がある時にするのだと気付いたのは昨日のこと。

 魔獣契約の話をすると、何故か暴れるのだ。

 そのほかにも試しにレイドファングと契約しようと挑戦した時は凄かった。


 契約寸前に現れたと思ったら、レイドファングを文字通り八つ裂きにしてぐちゃぐちゃにした挙句、ぴったりと数時間離れようとしなかった。


 それでいてはぐはぐと腕や肩を噛むから、食われるんじゃないかと気が気でなかった。

 それに、帰りが遅くなって村の視線が険しくなったのも忘れられない。

 

「もう、なんでご機嫌斜めになるかね」


 ぷい、とそっぽを向かれる。

 見た目以上に感情豊かだということも触れあって分かったことの一つ。

 悪かったよ、と頭と背中を撫でてやると機嫌を戻すのでちょろい。


「さて、俺はそろそろ村へ――どうした?」


 急に狼が立ち上がり、一点を見つめる。

 そこには木があるだけ。

 しかし、ガサガサと何かが掻き分ける音が聞こえる。


 魔獣か? 俺も体勢を整え、ナイフを構える。


「――鳴き声が聞こえたと思ったが、お前か」


 現れたのは、大男のギムリ。

 弓を背負い、その手には鉈。狩りの途中だったのだろう。

 俺を見るなり不愉快だという表情を隠さない、嫌な奴だ。


 はっとなる。

 今この状況で遭遇したのは不味いのでは――横を見るともう狼の姿はなかった。


「何をしていた」


「別に、なんでもないですよ」


「なんでもないということはないだろうが」


 奴は眉根を寄せて、地面を示す。

 レイドファングとワイルドボアの亡骸。

 

「……たまたまどっちも死んでてそのままだったから珍しいな、と思って」


 ギムリは二つの死体を検分し始める。


「ふん、まあ弱そうなお前がやる訳がないと思っていたが……まだ新しいな」


 いちいち癇に障るやつだ。

 

「まあいい、さっさと消えろ。狩りの邪魔だ」


 少しでも言い返してやりたかったが、下手に反論するとややこしくなる。

 俺は愛想笑いしつつ、その場を離れようとする。


「――待て」


「何か?」


「お前が来てから、食い散らかした魔獣の死体が多くなった。まさか食っている訳じゃないだろうな」


「腹壊すんでそれはないですね」


「……良いか覚えておけ、少しでも妙な真似をしたら村から追い出してやるからな」


 俺は何も言わずその場を離れる。

 全く持って嫌味な奴だ。

 しかし、ギムリとの遭遇はよろしくない。


 あの狼が殺されるなんてことはないだろうが、それでも怪我をするだけでも見たくない。

 そこまで考えて、すっかり自分があの狼に感情移入していることに気が付いた。



「――今日もありがとうございます。おお、こんなに」


「いえ、大分慣れてきましたから」


 戻ってきたころには夕方になっていた。

 明かりはないので夜間は活動のしようがないので、かなりぎりぎりの時間だった。


 早朝から採集に向かい、休憩を挟みつつ夕方の手前までやって帰って、村長の家で報告。

 そんな流れが一日の動き。


 今日は三十一本。自己ベスト。袋に詰め込める限界だった。

 どこに生えているのか探すので意外と時間がかかるけれど、一回見つけてしまえばまとまって生えている。


 それに魔獣が出てきても、あの灰色の狼が助けに来てくれる。

 お陰で採集範囲を広げることが出来ている。


「そういえば、村長。少しお伺いしたいことが」


「なんでしょう」


「ギムリさん、何であんなに、その……高圧的なんでしょうか」


 我ながらもう少し言いようがあった気もするが、向けられたヘイトを流せなかった。

 

「ああ、あいつは……元々この村の村長候補なのですよ」


「村長候補?」


「ええ。ほんの二年前までは私の父がここの村長をしていましてね。私は村を出てずっと衛兵をしていたのです。ですが、流行り病で亡くなってしまい、急遽後を継ぐことなりました」


 跡目争い故の嫉妬ってやつか。大柄なくせになんて小さい。

 

「お察しの通り、ようやく巡ってきた村長の座を私に奪われた形。憤慨するのも理解できますが、父の遺言とノウス領主の信任もあって覆すことは出来ないのです」


「なるほど……」


「まあ、私としては街で気楽に衛兵をやっていた方が楽しかったのですが、ははは」


 そりゃ村でのんびりするより街の方が刺激も強い。

 正直、退屈さを来て数日の俺すら感じているのだ。

 長年住む外を知る村長の気持ちは推し量るに余りあるものだろう。


「ですがね、村を発展させることも重要な役目。私はこの仕事にやりがいを持っている。その点、奴は目先のことしか考えられないのです」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る