第10話 魔獣再契約
「――ッ!」
ほぼ反射的な行動だった。
剣を離して、盾を付けた左手を握りしめたのは。
直後。突き抜けるような衝撃が身体を貫く。
構えたはずの盾は破裂したかのように砕け、俺の視界が一気に後ろにズレていく。
威力のあまり吹き飛ばされたのだ、と頭が理解した時。
宙を飛んだ身体が地面で何度か弾み、転がされる。
「ち、くしょう……」
三半規管を思いっきり揺さぶられ、視界が歪む。
痛いどころではない、閾値を超えて感じ切れない。
歪んだ視界でもくっきりと見える左端のHPは、残り二割。赤く点滅している。
二割も残ったのか。両腕でガードしたからか、あるいは、盾が壊れたことでダメージがある程度軽減したのかもしれない。
ステータス差からして奇跡だった。
だが、死ぬまでの時間が先送りされただけだ。
何も進展していない。むしろ状況は完全に追い込まれた。
グリムファングがゆっくりと迫ってくる。こちらには武器も防具もない。
「ハルさん!」
村長が横から炎弾を放ち、命中する。
しかし、多少仰け反るものの、奴の黒い毛皮は煙を上げるだけで効いていない。
お前は後だ、と一瞥するだけで、狙いは俺のまま変わらない。
グリムファングか。意味は惨いとか、冷たいとかだっけ。
奴の憎たらしい笑みを見ると、残忍と訳すべきか。
奴はきっと、ギムリや俺、そしてあの狼や村長を殺して、後は弱い奴をじっくりいたぶるつもりだろう。完全に抵抗できないところまで落とすのだ。
「ふざけんな、クソが……」
この魔獣を考え、AI設計したデザイナーを一発殴りたくなった。
殴りたいなら立てよ俺。起き上がろうと、右腕を支えにする。
少し浮き上がっただけですぐに崩れ落ちてしまう。
HPが二割残ってるだろ、ゼロになるまでピンピン動けるのがゲームの良いところだろうが。こんなところまでリアルにしやがって。
食いしばって激痛を耐え、どうにか起き上がる。
しかし、立ち上がるだけで精一杯だった。奴が向かってくる。
痛みで脳が現実と誤認識してしまっているらしい、血の気が引く感覚と共に目の前の光景がスローモーションに見える。
出来ることと言えば、俺を丸呑みしようと迫ってくるのを待ち受けるだけ。
小突かれただけでもHPはゼロになるのは自明だった。
ようやく死ねるじゃないか。もしかしたらログアウト出来るかもしれないぞ――と、どこか醒めた自分が嗜める。
でも、納得なんて出来る訳がない。
食われるなら、まだあの狼に食われた方が一千倍マシだ。
もっとレベリングしておけばよかった。
もっと早く村から出るべきだった。
後悔が今更募る。
契約魔獣は、駄目か。あいつ食べちゃうもんな。
本当に今更な話。
だけど、せめて俺は怯えた姿なんて見せてやらない。
グリムファングを睨みつける。
折れなかった俺に苛立ったのか、その表情から笑みが消えたように見えた。
錯覚かもしれない。それでもいい、ざまあみろ。
そして、奴の吐息すら感じられる本当に寸前。
俺は目を閉じそうになりながらも、最後の意地で目を開け続けて――刹那、グリムファングの巨体が横にブレた。
「なんで……」
俺の前に、灰色の狼が立つ。体当たりで防いだのだ。
大きく体勢を崩されたグリムファングが立ち上がると、狼へ苛立ちを乗せた咆哮を浴びせる。
「俺はいいから、もういいから逃げろよ! 逃げてくれよ!」
流血は止まっておらず、四肢は今にも崩れそうだった。
あの体当たりは本当に最後の気力を振り絞ったものだったのだ。
こちらに背を向けたままの狼は何も答えることなく、向かってくるグリムファングを受け止める。
しかし、そこまでが限界だった。
成す術なく、黒狼の牙が狼の首に突き刺さる。
振りほどこうと弱弱しく抵抗するが、牙は外れない。
むしろ奥へ奥へと刺さっていく。
だというのに、俺を見る狼の瞳はずっと俺を案じる様なもので――。
早く、逃げて――と言っているような気がした。
「あ――」
グリムファングの牙が傷つけてはならないところまで到達し、夥しい血が狼の首から噴き出す。
「あ、ああっ、あああああああぁあああああ!!」
それが取り返しのつかないものだと理解した時、無力感と喪失感、理不尽さへの怒り、行き場のない感情が叫びとなって空に木霊する。
「……ふざけんな、ふざけんなよ」
ログインする前のことを思い出した。
電車で何をしたかったんだっけ、って考えていた。
それでサービス終了の広告を見つけて、フィフスマギナに戻ってきて。
でも、俺はこんな思いをするためにこのゲームへ戻ってきたわけじゃない。
こんなクソイベント、納得行くわけがない。
短い時間だったが、あいつは俺を助けてくれた。何度も何度も何度も。
「我、ハルの名において、理に誓う……」
拳を握りしめる。
魔獣をサポートするのが、魔獣操師の
契約印が起動する。
グリムファングが警戒して、狼を口から離した。
発動するということなら、まだあいつはHPが残っている。生きている。
「……雄々しく、心優しき魔狼よ……」
だが、契約印の中心で狼はぐったりとしたまま動かない。
何でこんなことになる。
何であいつがあんな目に遭わなきゃならない。
あいつが何をしたっていうんだ。
「縁の鎖、朽ち尽きるまで」
契約の鎖が狼の身体に伸びようとする。
喉がまた締まる。
「ば、んなんを――かはっ」
言葉に詰まっても無理やり唱えようとするが、締まる力が強まり呼吸すら出来なくなる。
それでも、何としてでも、あいつと契約しなくちゃならない。
契約魔獣になれば、ステータスが上がって、もしかすると回復だってするかもしれない。
そしたらせめてあいつだけでも逃がせるのだから。
何故、契約を阻まれる。
リアル寄りになっていたとして、あの狼に拒絶する意識すらほぼ残っていない。だから、魔獣側の拒絶だとは思えない。
しかし、契約印のエフェクトは終了していない。
やはり契約失敗ではないのだ。
何が阻む。何が邪魔をしている。
その何かを探そうと目を凝らすとうっすらと何かが見えてくる――鎖だ。
誰かが既に契約している?
いや鎖の先は切れてしまっている。どこにも繋がっていない。
だったら結び直す形で俺のとくっつければいい。イメージする。
すると、喉の締まりが緩和され、続くべき詠唱を再開できるようになった。
「……万難を打ち砕き、哀歓を共に……!」
そして、その断面と俺の鎖が触れる――途端、頭の中に誰かの記憶が流れ込んでくる。
――よくやったな、流石だ……ってやめろよ、のしかかるなって!
――ほうら、たんと食えよ。お前なんか尻尾立てる変な癖あるよなぁ
「これは……」
温かくて優しい記憶。
そして、同時に胸が張り裂けそうなほど辛くて寂しいと思う気持ち。
『おお、生まれた生まれた、子犬みたいで可愛いなぁ。で、結局名前は安直だけどさ……』
懐かしい、と思った。見覚えのないものなのに。
違う。
懐かしいと思うのは、俺はこれを知っているからだ。
いいや、全部俺の言葉だ。
見覚えのないのは、俺から見たものじゃないからだ。
「……北欧神話のフェンリルから取って、お前は――」
あの時と全く同じ言葉が独りでに出ていた。
そんなことがあり得るのか。
最初に会ったあの時、俺を襲ったんじゃなくて。
――やっと会えたから。つい嬉しくて、堪らなくなったから。
懐いてしまったのは、気まぐれなんかではなくて。
――生まれた時からずっと、ずっと、大好きだから。
自殺を止めようとしたのは、最後まで庇ってくれていたのは。
――絶対に死んでほしくないから、だって、私の大切な――。
誰かの声が、俺の問いに答えをくれる。
「お前は……最初から、お前は……!」
あの途切れた鎖の正体――言葉に詰まったのは唱えるべき、発動すべきスキルが違うから。
やったこともないことを、ゲームに存在しないことを、俺は今やろうとしている。
だけど、何を言えばいいのか不思議と分かる気がした。
「――ここに再契約する!
俺が伸ばした新しい鎖ではなく、切れてしまった鎖の先が蘇り、俺の腕に確かに絡みつく。
契約印が一際眩い閃光を迸らせる。
そして、そこから現れたのは、白銀の狼。
灰色は本来の色ではない。あるべき色はこの美しい銀。
そして、その身体には傷一つ付いていない。
生半可な攻撃で傷つけられる存在ではないのだ。
風属性魔狼種、シルフィード・ウルフ――俺がフィフスマギナで最後に育てた魔獣。
咆哮。輪唱するように風が甲高く鳴く。
グリムファングの身体が切り裂かれ、無数に付けられた傷口からぱっと血煙が上がる。
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グリムファングは何が起こったのか理解できない様子で、痛みに悶える。
奴もまた吼える。しかし、答えるものは誰もいない。
多少残っていたレイドファングでさえ、今の攻撃で首が刎ね落とされていた。
隔絶的な強さ。
初めてグリムファングの脚が一歩、二歩と下がり、そして、踵を返して逃げようとする。
だが、今更遅い――風がまた吹いた。
銀狼の姿が忽然と消え、グリムファングの道を塞ぐように再び現れる。
そして、その時にはもう奴の首は落ちていた。
風が凪いだと同時に胴体が崩れ落ちる。
たった一瞬で決着がついてしまった。
誰も言葉を発することなんて出来ない。
何が起きたのか、理解することすら追いついていない。
それだけ呆気ない終わり方だった。
『……ごしゅじん、思い出してくれたのは嬉しいけどやっぱり遅い』
そんなことを言いながら、狼が――リルが、振り返る。
「ああ、悪い。似ても似つかなくて――ああ、なんだこれ……?」
くらっと、浮遊感と眩暈。立つことすら危うい。
何度か立て直そうとして、たたら足を踏む。
左端のゲージが何か点滅している。
まだ使うことのないはずのMPが底を尽いていた。
『ごしゅじん? ごしゅじん!?』
リルが駆け寄ってくる。
しかし、リルの身体も青い光に包まれて――
「ねぇ、しっかりしてごしゅじん!」
――狼の姿が人のようなシルエットに変わったのを最後に、俺の意識は完全に落ちた。
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