第2話 風と共に出でしもの


 全裸になっても、楽しもうと思った。


「寒っ」


 しかし、全裸縛りでも寒さだけは如何ともしがたい。

 そよ風に撫でられただけでHPを持っていかれている気がする。死ぬ。


 とにかく動こう。

 これだけリアルになってるなら、身体を動かしたらポカポカになるかもしれない。


 一歩、二歩と草原を踏みしめる。

 生足で土や草を踏みしめるなんていつ以来だろう。

 青々とした草は案外冷たい。


「せめて全裸だったら、女キャラにしておけばよかった」


 洋ゲーはもうおっぴろげだけど、国産ゲーでこれはレア中のレア。

 

「痛っ……」


 そんなことを考えていたら足の裏に鋭い痛み。

 見れば、小石を踏みつけてしまったらしい。

 皮膚が食い込んで少し血が滲んでいた。


 じくじくと地味に痛い。

 HPがドット分減っていた。


「痛覚フィードバックまで甘いのかよ」


 VRにおける痛覚は相当規制が入って、痛覚ではなく触覚に落とされたのに。


 本当にゲームの調子が悪いのか。

 それともポテンシャルが本来はここまであるんだぞ、という運営会社のポーズなのか。


 でも、最後までレーティングを守ってほしかった。

 これでは歩く気が削がれる。


「あー……ここどこなんだよ……」


 歩き続けて、体感二時間。

 左手に見える森の縁にそって歩いていた。


 森の中は不味い事だけはわかる。

 きっと魔獣、この世界におけるモンスターが多い。

 それ以前に枯れ木とかとげとげしくてきっと歩けない。


 マップが欲しいと思ったことは今以上にないだろう。

 いや、服も欲しいし、せめて靴だけでもいいから欲しい。

 これではちょっとした遭難だ。


 ようやく景色に草原と剥がれて見える地肌の土、そして森以外のもの――風車塔が見えた。


「た、助かった……」


 生還の二文字が浮かんだと同時に、丁度道を塞ぐように獣の姿。

 小型犬くらいのサイズの兎に角が生えたもの――ホーンラビットだ。フィフスマギナでは雑魚的ポジション。


 しかし、侮れない。

 角には極僅かに装備破壊効果が付与されており、初期装備であれば運が悪いと一撃で破壊される。

 初心者泣かせの敵でもある。


 だが、今は文字通り全裸。

 破壊されるものは俺の肉体――捻じられたその角が陽光に鈍く輝く。


 痛覚フィードバックの設定を思い出す。

 ……もし、あれに突かれたらどうなるんだろう。

 想像しようとして寒さとは別の身震いに襲われ、止めた。


 幸い、奴は今土に埋まっている何かを掘り返そうと夢中だ。

 こちらに背を向けている。


 探知器官は目と耳だけ。

 ゆっくり、ゆっくりと迂回して向かえば、注意タゲを引くこともないはず。


 しかし、そんな時に限って、突如一陣の強い風。


「うおっ……! あっ、やべっ」


 猛烈な風で思わず声が出てしまう。

 不味いと思い口を押さえるが、もう遅い。


 ホーンラビットの目と合う。

 最悪なことに、好戦的アクティブなタイプ。


 俺を見つけた途端、片足を何度も地面擦り付け、今にも飛び掛かろうと予備動作をとっている。


 HUD形式で視界の左端に映るステータスを見る。

 ――心もとなさすぎるHPと無駄に多いMP。

 魔獣操師ならではの歪なバランス。


 打たれ弱すぎる魔獣操師では、ホーンラビットの攻撃にそこまで耐えられない。


 多いMPは現在死にステータス。

 魔法職扱いの癖に、Lv.1では攻撃技がない。


 極めつけは全裸。防御力は当然ゼロ。

 逃げようにも小石が刺さってたたらを踏むような足取りでは、意外とすばしっこい奴に追いつかれる未来が見えている。


 完全に詰んでいる、と理解してしまった。

 

 いや、考えろ。考えるんだよ、俺。

 何か探せ、角に刺されたくないのなら、ああくそこういう時契約魔獣がいれば――いや、待てよ。


「契約魔獣が居ないのなら……!」


 飛び掛かろうとした瞬間、俺は腕を突き出す。

 警戒した兎の脚にブレーキがかかる。

 契約スロットに今何も居ないことは確認している。

 居ないのなら、こいつを仲間にすればいい。


「……我、ハルの名において、ことわりに誓う」


 案外するすると詠唱句が出てきた。

 四回しか使っていなかったのに。

 俺の言葉に<魔獣契約>のスキルが反応し、青く輝く契約の紋章が掌から展開される。


「雄々しく、鋭き角兎よ、えにしの鎖朽ち尽き――」


 逃がすことも、キャンセルもできない、魔獣契約。


 本当ならこんな奴に使うべきではない、そんな勿体ない精神が緊急時でも疼く。

 しかし、後二時間切っているのだ、構うものか。


 掌と同じ紋章がホーンラビットを中心に地面へ描かれ、鎖が奴の身体を包もうとした――まさにその瞬間。


「くっ」


 また風が吹いた。

 今度は吹き飛ばされそうな勢いで、思わず詠唱を中断してしまう。


 そして、風の中から弾丸のように勢い良く飛んできた巨大なものが、ホーンラビットに覆いかぶさった。


 くすんだ灰色の犬にも見える四つ足の獣――狼だ。

 俺の背よりも大きい狼が兎を咥えていた。


 グルルル、と狼は喉を鳴らすと、きゅうきゅう鳴いている兎に刺さっていた牙をさらに突き立てる。

 ぶしゃっと赤いものが真っ白な毛皮を濡らす。


 そして、ぼりぼり、と生々しい音。


 狼の口の端から角の欠片が零れていく。

 あの音は角の部分を噛み砕いている音らしかった。


 ぴっ、と何か液体が頬に飛び散る。

 指先で拭う――指の腹に付いた真っ赤な血。

 遅れて現実感がやってくる。


「あ、うわ、あああ……」


 腰が抜ける。

 リアルすぎる食事風景に吐き気を催す。

 吐いているどころじゃない。

 それ以上に今恐怖で頭がいっぱいだった。

 何度も手を動かして後退りする。 


 しかし、すぐに奴の視線がこちらへ向いてしまう。

 グルル、とまた喉が鳴った。

 そりゃたかが兎一匹腹は満たされないだろう。


 ゆっくりと、着実に近づいてくる。

 魔獣契約を――いや、使えない、出来ない。


 魔獣契約には、契約スロット以外の使用制限がある。

 それは、プレイヤーレベルが契約したい魔獣のレベルよりも高いこと。


 傷や汚れが目立つその姿は飢えた獣そのものだが、そこらへんにいそうな雑魚のオーラではない。プレッシャーすら感じさせる。

 こんな奴がLv.1な訳がない。


 また一歩。ご馳走だと思ったのか、口から舌を出す。

 血と同じ、真っ赤な舌。

 そして赤い唾液が地面に落ちていく。

 尻尾まで振って、よほど嬉しいのか。


 一噛みで確実に俺のHPがゼロになるのは、必至だった。

 こうなったら戦うか――馬鹿言え、このリアル過ぎる光景に本能的な恐怖が刺激されて腰が抜けている。

 進んで行くなど、なおのこと出来るわけがない。

 

「ひっ……!」


 ついに狼が目と鼻の先までやってくる。

 犬みたいな短い呼吸が狼の口から漏れる。

 獣と鉄臭い臭いがした。


 早鐘のように心臓が脈打ち、過呼吸になったみたいに浅い呼吸を繰り返して胸が苦しくなる。


 ライトグリーンの奴の瞳には、えものの姿しか入っていない。

 目を閉じることすら怖くて出来なかった。

 気を抜いたら、食われる。


 奴の前足が俺の肩に乗り、そのまま体重をかけられ押し倒される。

 もう動けないというのに随分周到だった。

 

 ぽた、ぽた、と唾液が俺の顔にかかり、奴の首が傾げられる――もうダメだった。

 俺は目を閉じ、絶叫する。


「――フレア・バレット!」


 聞き覚えのある言葉。

 それが炎属性射撃系初級アーツだと思い出した時には、覆いかぶさっていたはずの奴の姿は俺の目の前から消えていた。

 

「大丈夫ですか!」


 男の声、とガチャガチャうるさい金属音に複数の足音。

 ああ、誰か来たのか。助かった――そう思った瞬間、張り詰めていたものが一気に来て、俺の意識は遠のく。


 ああ、これでリミッターが利いて強制シャットダウン。

 なんて酷いサービス終了だったんだ――視界がブラックアウトする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る