第1話 データロスト


 脳と機械を直接接続し操作するシステム、いわゆるブレイン・マシン・インターフェースの概念が世に生まれて大体十数年ほど。


 脳に直接作用できるその仕組み。

 当然、非現実を得意とするゲーム産業にとっては垂涎の的であった。


 そして、VRというジャンルが手垢塗れになった今であってもフィフスマギナというゲームは、VRゲーム史に残るタイトルの一つ。



 落ちていく感覚から浮上していく感覚へ。

 俺の意識は、ゲーム世界にシフトしていた。


 まず、風が心地よいと思った。

 空は東京のものと違って随分と澄み切っていて、くっきりと目に沁みるように青い。


 視線を下げていけば、どこまでも広がるはずの空が草原を境に切れていく。

 風を孕んでざわつく草木やその音は大きいけれど、決して不快ではない。


「――お、おお……」


 久々のログインですっかり感覚を忘れてしまったらしく、胸には既視感よりも新鮮味が強い。


 外国のどこかに行けば、もしかしたら見える景色なのかもしれない。

 だが、先ほどまでコンクリートジャングルに囲まれていた俺にとって、今この世界は非現実のものにしか思えない。


 しかし、現実感――今ここに自分があるという確かな感覚はある。


 VRならではの感覚。

 ここはあくまでも仮想世界。

 プログラムで作られ、機器を通じて脳で直接体感しているだけ。


 ようは錯覚しているだけなのだ。

 この感覚を体験した者は、VRゲームに病みつきになる。


「……でも、それも後二時間か」


 二時間しか出来ない。

 もっとゲームがしたいなんて、子どもに戻った気分だが、とにかく後悔は強い。


 正直、当時の人気から終わるとは想像していなかった。

 暇になればいつかログイン出来る、なんて思っていた。引退の仕組みがよく分かった。


 しかし、俺の認識の方がおかしいのだ。

 十年続くオンラインゲームも珍しいのだから。

 それでも、滑り込みでサービス終了当日にログイン出来たのだからまだマシか。


「それにしても……フィフスマギナってこんな凄かったっけ」


 改めて視界いっぱいに広がる光景は随分鮮やか。

 オープンベータの初期なんてハリボテグラフィックなんて言われてたんだけど。


 空気を吸い込めば、旨い。

 あれだけ不調だった身体も今ではすこぶる調子が良い感じがする。頭痛もないし。

 仮想の身体になったことでリセットされたのだろうか。


 腰を回して、伸びをする。

 とても解放感がある。

 どれだけリアルは自分の身体を虐めていたんだろうと――そこでようやく、視線が自分の身体に下がって気づく。


 何故か全裸だった。


「え?」


 風に揺れる見慣れたシンボル。ぶらんぶらん。

 おお、そりゃ気持ちがいいわけだ。

 解放感もあるのも当然。


「って、違うだろっ」


 裸を見られた時しゃがみこむ動きをする意味が分からなかったが、今なら分かる。

 これならありとあらゆるところが隠しやすい。


 気持ちよかったはずの風も肌寒い感覚に変わってしまい、思わず身震いする。

 鳥肌も立っていた――鳥肌だって?


 描画の無駄になる鳥肌もそうだし、何よりもこの完全無修正誰得ボディ実装。

 ゲームが進化したとかの次元ではない。

 こんなの発売禁止だ。


 ……サービス終了だからって悪ふざけをした?

 いやいや。

 コンプラ厳しい我が国でそんなことはできないし、そもそも法律に引っかかっている。


「寒い……と、とりあえず服……」


 そんなことよりそこそこ寒さがしんどい。今は服。

 サービス開始から引退までの六年でやり込んだ操作は忘れていない――メニュー呼び出し――よかった、出来た。


 半透明のメニューが立ち上がり、ステータスを見て――固まる。


 Haru――本名、広瀬陽之だからと、ハルって安直な名前――続く、<魔獣操師マギナハンドラ Lv.1>の表記。


「嘘……だろ……」


 背中に氷を差し込まれた感覚。

 ステータスに応じて当然スキルはデフォルトの<魔獣契約>のみ、そしてインベントリは……空! 


 天を仰ぎ、思わず足から力が抜けて座り込む。

 尻に伝わるひんやりとした土の感触がやけに生々しくて気持ちが悪い。


 パソコンもヘッドギアもそりゃ劣化していた。

 だけど、サーバーに保存されているはずのアカウントデータが何故吹き飛ぶ。


 いつかのアプデで実はデータ消えた時があったのか?

 なるほど初期スポーンの街じゃなくて草原になるわけだ。


「いや、待てよ待て待てそれよりも……」


 もう一度メニューを開いて、契約魔獣タブを選択。

 そこにあったはずの使用済み契約スロット四つ――それは初期状態の一つだけ、しかも未契約ブランク状態。


「ふざけんなよ……」


 完全に心が折れた。

 レベルもインベントリもどうだっていい――契約していた魔獣たちの方が重要だった。

 

「せめてお別れくらい言いたかったな……」


 フィフスマギナのAIは非常に優秀。

 言葉を交わすことは出来ないけれど、契約魔獣たちと意思疎通はある程度出来た。


 そもそもペット的存在が飼えるという育成要素の強い触れ込みで一目ぼれして始めたのだ。


「四年もほっぽり出した罰、か」


 そんな思考になり、溜め息が出る。

 あれだけやる気に満ちていたのに、がくんと落ち込む。


 なんだか現実を見ろと、現実逃避のためのゲームに言外に言われているような気がした。

 リアルの疲れが思い出したかのように戻ってきた気がする。


「……さようなら、俺の青春」


 データが消えていたのがサービス終了付近のそれ以前だったら、とっくに手遅れだったということ――俺の青春はとっくに終わっている。


 もう未練なんてない。

 あれだ、今日は自分自身を見つめなおせ、と神様か何かの思し召しの日だったんだろう。


 くそったれ、痛い思考に満ちていた自分が今更恥ずかしい。

 寝よう。死ぬほど疲れてたんだから。


「……あれ?」


 メニューを再び呼び出して、一番下のシステムタブを開いて――ない。

 そういえばと、今更になってメニュー画面が随分とすっきりしていることに気づいた。


 ステータス、スキル、アーツ、そして契約魔獣のみ。

 システムタブのほかMMORPGで必須のフレンドタブもマップもなくなってる。


 ログアウトするには、ゲームでログアウトボタン押すか……ああ、そうだ。機器自体のセーフティメニューでもシャットダウン経由で強制ログアウト出来るはず。


 どうやるんだっけ。使ったことなかったから確か――思い出せる限りの身振り手振り音声コマンドを試してみる。


 だが何も反応しない。

 ゲームどころかヘッドギアの方も駄目なのか。

 

「ログアウト不能って漫画やアニメじゃないんだからさ……」


 学生時代にどっぷりと浸かっていたオタク精神が蘇る。

 ニュースでダイブ中に持病で死亡なんてのはあったけれど。


 実際SFの世界が現実になると、今まで触れてきたものが当然になってしまって感動が薄れてしまうのも考えもの。

 それだけ当時の近未来に生きているという事実なのだが。


「まあ、いっか……どうせサービス終了したら強制ログアウトになるだろ」


 焦りはなくもないが、終了前の一時的なトラブルかもしれないし。

 終了と同時にサーバーから追い出されてログアウトできる。


 それまでは初期状態、いや、初期状態以下の全裸縛りプレイを楽しめばいい。


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