異世界の魔獣操師 ~社畜、四体の魔獣と異世界を駆け、そして世界の敵となる~
安堂羽羽
第一章
第0話 ブートアップ
「……やっと会えたな」
本当なら、もっと言うべきことがあったんだろう。
しかし、実際彼女を前にした時、口からついて出た言葉はそんなものだった。
怒り、憎しみ、疑念、そして、何故。
扉を開ける前、もっとそれ以前からずっと考えていたことや感情。
それは、懐かしさの中で全て煙に巻かれてしまった。
懐かしいか。不思議な感覚だ。
目の前の彼女を初めて俺は見たが、同時にこれまでの彼女を知っている。
「ええ、貴方にまた」
一方の俺を迎えた彼女の表情は、随分と穏やかに微笑むものだった。
もっと色んな感情が出てくると思っていた。
「これ以上はもう、良いだろう。俺はここにいる」
本当ならこんな形で再会したくなかった、なんて言うつもりはなかった。
ここには再会を喜ぶために来たんじゃない。
この場所の外で起こっていることを止めるために来たのだ。
「止める? ああ、外のことですか」
随分と他人事のような物言い。
彼女が仕組み、何もかも知っているにも関わらず。
「そんなことどうでも良いでしょう? 私はこうして、貴方をずっと待っていた。
まるで関係がない、興味すらない、とその言葉や声音が、俺に伝えてくる。
「でも、やっとこうして私の前に来てくれた。今この現実以外、重要なことはありませんの」
言い切ったその緋色の瞳には、俺以外何も映っていない。
気付くと拳を握りしめていた。
説得なんてもう出来ないことは分かっていたくせに。
それでも、と僅かな期待を持った自分自身へ苛立ちを覚え、彼女に対して寂しさが胸に募る。
「覚えていますか、ハル。あの日のことを」
細い指先に挟まれた一枚の羽根。
「忘れるわけがない。それが俺、いや俺たちにとって始まりなんだ――」
そう、あの日。
あの羽根を拾い上げた時から長い、長い、時間が経っている。
しかし、一度として忘れたことなんてない。
むしろ、この羽根の赤さは、旅の中で俺の記憶の中に深く刻み込まれていくばかり。
あの時拾わなかったのなら、気にすることもなかったのなら、俺はこの場所に立つことはなかった。
全ての偶然は、必然。
始まりからここに至るまで、全てが彼女の筋書。
「――だからこそ、ここで終わらせる」
俺たちは武器を構え、彼女に対峙する。
「いいえ、これからが始まりなのですよ。そして、いつまでも貴方の旅は終わることはない――私が終わらせない」
彼女の身体から濃密な魔力が発せられ、それが炎に姿を変える。
恐ろしい熱量。
だというのに、底冷えする冷気が肌を刺す。
「行くぞ――」
最後に彼女の名前を呼ぶと、穏やかな表情は凄絶な笑みに変わる。
どうしてこうなってしまったんだろう、とここに来るまでは考えるつもりなんてなかった。
元を辿れば、全て、俺の責任なのだから。
――けれど、今になってやはり、そんな思いが胸に過った。
◇ ◇ ◇
「あっぶねぇ、ギリギリ……」
階段を昇ってホームに辿り着く。
丁度電車が扉を開けて待っていた。
車内に滑り込むと同時にベルが鳴って、扉が閉まり始める。
夜九時の山手線にしては人が少ない方だった。
ちょうど一席近くに開いていたので座り込む。
座った途端、ずきんずきんと胸と頭が痛みを発する。
会社から出る時よりも体調は悪くなっている。
やはり走らなければ良かったか。
でも、これを逃すと乗り換えでニ十分ロスする。
この体調で待つのは厳しい。
普段なら座った途端意識が落ちそうになる。
しかし、今は痛みのお陰で随分と意識が冴えていた。
日頃の激務で慢性的にダルさがあるのは経験していたけれど、風邪のような一般的な病気とも違う不調。こんなのは初めてだった。
二十代も後半折り返し。
三十過ぎてはガタが来る――なんて聞いていたけれど、ここ最近の残業込み十四時間勤務で鞭打てば世間一般より老化は早いらしい。
パソコンを見過ぎてスマホを見る気にもなれない。
ぼんやりと見上げると転職の広告。
残業代未払いなんてことはなく、単純に仕事量が殺人的なだけ。
嫌いかどうかは――いや、それを考える余裕がないだけか。
念願叶って商社に入ったものの、当時エントリーシートや面接で問われた志望動機を思い出せそうにない。
金が欲しかっただけではなかったはず、なのだ。
「やりたい、ことか……」
ついつい、口に出てしまった。
良かった、隣が寝てて。
恥ずかしくなって視線を彷徨わせる。
まず目に入ったのは、ドアの角のブレザーを着た男子学生。
塾帰りだったのだろう、リュックを正面に背負って熱心に単語帳を捲っては赤いクリアシートを上下させている。
指の合間から見える、難関大合格の文字。
西暦ももう2030年を目前。
それでも学生の勉強スタイルは俺の時代からあまり変わっていない。
次に目が向いたのは、大きなギターケースらしきもの。少なくとも楽器のケースだった。
その隣に立つ派手な髪色の少女。
銀髪に赤いメッシュが何本も入っており、覗く横顔は色白でメイクも派手。
しかし、そのスマホを弄っている指先はネイルの類はなく、人差し指に絆創膏。
練習で怪我をしたのかもしれない。
彼女がこちらを向いて目が合う。
たまたま見てしまっただけだとワザとらしく目を逸らす。まじまじと見過ぎた。
目を逸らした先に大学か何かの広告。
そんなものはよくあるものだったが――夢は自分の手の中に――というキャッチコピーから目を離せない。
よくあるありふれたもの。
けれど、そのキャッチコピーは俺に問いかけているような気がした。
――俺って何がしたかったんだっけ、って。
『――新宿、新宿、ご乗車ありがとうございます』
「やべっ」
危うく降りそこなうところだった。
新宿駅の乗り換え改札。長いコンコース。
何年も増改築しているのに未だに工事は終わらない。
前に行くものに倣い、俺も流れに乗る。
ふと、あのキャッチコピーがまた頭に過る。
そして、馬鹿なことを考えた。
一体全体、この流れの中にどれくらい自分は何をしたかったんだったか、と疑問に思っている奴が居るんだろうか、と。
こうも考える。
このままで良いのか、このまま流れに乗ったままでいいのか、とも。
スーツ姿の背中が多い目の前の光景はなんだか色褪せているようにも見えてきた。
コンコースの通路は二つ。
行き帰りの流れを作るためのもの、行先は同じ。
だから、何かが変わるわけではない。俺にとってただの帰り道。
突然の厨二病再発? 冗談だろう。
だけど考え出すと今のこの道を歩くことが本当に嫌になってきて、もう一方に鞍替えしようと足を向ける。
ちょうど頭を向けたその時だ――通路と通路の間に出来た僅かな出入口、見慣れた光景の中に、羽根が落ちていく。
大きくて美しい羽根。
先端から根本にかけて紅とクリーム色のグラデーション。
駅内の色調から大きく外れた鮮やかなそれは、やけに眩しく見える。
その色にふらふらと吸い寄せられるように足が動き、床に落ちたそれを拾う。
「こんな鳥……居たっけ」
鳩、雀、鴉、メジロ、孔雀、キツツキ――少なくとも俺が知る鳥のものではない、鳳凰のような非現実的なデザインのそれ。
しかし、手触りは随分良くて、作り物ではなさそうだった。
羽根を指先で撫でているうちにどこかで見たような気がしてきた。
スーツのポケットに仕舞い込む。
厨二病的思考からまさかこんなものを手に入れるなんて。
そして、視線は奥にあった広告に移り――VRMMO・フィフスマギナ――有終の美を飾る十周年・サービス終了の文字列。
気付くと頭痛に構わず、駆け出していた。
「っ、はっ、はぁっ、時間……!」
家に辿り付いた途端、見る気の起きなかったスマホを見る。
時刻はまだ十時七分。
十二時まで、約二時間。
ろくに捨てられていない溜まったコンビニのゴミ袋。
それらを足で避けながら、緩めていたネクタイを完全に外す。
頭と心臓が痛いのは変わらず、そして、汗だく。
一刻も早く風呂に入って着替えて寝るべきだった。
「時間がもったいない」
でもそんなことは、今だけはどうだっていい。
まさかサービス終了の当日だなんて。
体調不良で早く帰れと言われたのが奇跡としか思えなかった。
ジャケットとベルトだけ椅子にかけて、パソコンの電源を入れる。
PCケースに随分埃が溜まっていることに気付いた。
仕事を始めて五年。
最後に触れたのはいつだっけ。
仕事を思い出すから、と触る気にもなれず、置物として鎮座していたのだ。
一抹の不安をよそに、年季の入ってしまった筐体の中身は息を吹き返して、ランプが灯る。
ケースと繋ぎっぱなしのヘッドギアも連動して電源が入る。
「よし、よしよし……」
ヘッドギアを持つと、パソコン以上に埃を被っていた。
軽く手で触れた途端埃が舞い上がり、くしゃみと咳が出てしまう。
日焼けして外装ボロボロのギア。
何度も何十回も、いや何千何万と被ったかもしれない代物。
「うぐっ……」
一際強い頭痛が走った。
眩暈のあまり倒れそうになって、どうにかベッドに座り込むことに成功する。
ゲームを本当にやる体調じゃなさそう。
でも、やる気だけは満ちていた。
そもそも別に座ってやるわけじゃない。
意識を電子世界に直接繋ぐVRだし、寝ながら出来る。
ギアを被って、ベッドに寝転ぶ。
固定用パッドはもう大分前に劣化していたみたいで髪に引っかかって痛い。
被ったことを検知し、ギアのモニターが点灯。
アイトラッキングも……ちゃんと使える。カーソルが俺の視線に追従する。
入っているアプリは、プリインの体験アプリとフィフスマギナだけ。
じっと目を凝らし、フィフスマギナのランチャーが起動する。最終起動は四年前。
警告文がポップする。
体調不良時には絶対に使用しないでください――当時寝食を忘れてのめり込んでいた、構うものか。
躊躇うことなくプレイを選択。
『ダイブシークエンスを開始します。神経パルス検知、システムと同期中』
無機質な電子音がカウントダウンを始める。
目の前に表示されるタイマー。
ぴっ、ぴっ、ぴっ、と電子音が頭の中で響くごとに頭痛が酷くなっている気がする。
そして、カウントがゼロになった瞬間――ぷつっと頭の中で何かが切れる感触。
視界が暗転し、その暗闇の中に無数の光が迸る。
直後、フルダイブ式VR特有の落ちていく感覚が俺を包んだ。
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