第33話 風を掴むということ

 ミーティアとグランツが空中戦を始めてすぐのとき。

「あちゃー、グランツのやつ、すっかり頭にきてるね」

 ココがあきれ返った声で呟いた。それから眉をひそめ、

「にしてもあの子、グランツの雰囲気に飲まれる気配がないってのは妙だね。あいつの撃風ウチカゼは一級品だから、人間が撃ち込まれて平気で飛んでいられるはずないのに。それにあの動き。あの子もしかして……」

 ココが独り言ちる間、飛行機の中でアランとロイが静かに話し合いを始めていた。

「アランさん、この先どうしますか」

 ロイは通信機に語り掛けながら、壁に手をついてゆっくり立ち上がった。貨物室には最低限の窓しかないので、外の様子がまるでわからなかった。時おり獰猛な飛翔音が飛行機を包むのが、ロイの恐怖心をあおってきていた。

『……今はミーティアが向こうを引きつけてくれているが、こっちは捕まったままで手足も出ない状況だ。森へ向かうにも逃げるにも、どうにかしなければ』

「それでなんですが、アランさん。僕に考えが――」

 ロイがそう言いかけた時、

『待ってくれロイくん。今ルルカが……、…………も――……もし? もしもし? どもども、ダイジョブ? これ、俺っちの声届いてる?』

 通信にがさつくノイズが響いた後、声の調子がガラッと変わっていた。ルルカが話しているのがわかった。ロイが返答する。

「こちらは大丈夫」

『うおっ、マジで姿が見えないのに声だけ聞こえるのな! 通信ってすげー。……じゃなかった。アランもロイも聞いててちょ。ミーティアは忙しそうだからいいや。……鳥のあいつらさ、なんかミョーなんだよな』

「妙、というと?」

『うーんとな、体格とか雰囲気とか見るに、たぶん猟団の連中だと思うんよ。あ、猟団って、そっちで言うところの軍人ね。で、だと思うんだけど、狩猟甲冑とか鉤爪とか、そういう戦装束もしてないし、その辺がチグハグなんだよなー。なんでここにいるんだろ、非番なのかな?』

「鳥側の空賊とか、そういうならず者の可能性は?」

 ロイの言葉を、ルルカは大きく否定した。

『あーナイナイ! そんなことしたら森を追放されちゃうし、俺ら森を離れちゃ生きていけないもん。だから猟団のフリをしてるならず者ってセンはナシね。そんな奴らなら末代まで噂残るから、俺だってひとめ見りゃあわかるよ』

「よし、そういうことならなおさら確証が持てる」

 ここで再びノイズが入った。声がルルカからアランに代わる。

『ロイくん、何か考えがあるのかい?』

「今から機外に出ます」

 ロイは外していた飛行眼鏡を掛け直した。

『それは……! さっきの話をわかっていてのことかい?』

「はい。軍人の僕が、緩衝空域を越えていることは規約違反です。それでもきっと、こいつらは話せばわかる連中だと思うんです」

 そう言った時、機体が大きく揺れた。翼が軋む音がする。グランツがミーティアに放ったつむじ風が外れて、飛行機のすぐそばをかすめた衝撃だった。直撃していれば、機体が四散するところだった。

「……話せばわかると思うんですが」

『そこまで言っておいて弱気にならないでくれよ……』

 アランは小さく唸ってから、一呼吸おいて、

『今からハッチを開けるが、上の鳥に見つかるわけにはいかないから、全開には出来ない。だから離陸補助もできない。ミーティアのように、とは言いたくないが、上手く飛んでくれ』

「やってみせます」

 ロイは、銃やそのほか装備品を外し、ハッチの縁まで歩いた。まもなく、ハッチがゆっくり開き始める。同時に、風が機内に流れ込む。

 補助動力無しでの離陸は、軍では緊急時のみの手段として禁止されていた。それを思い出すだけで体が強張る。

「なんてことはない……」

 先ほど、ミーティアがして見せた動きを思い出す。『掴むべき風を掴めばいい』と言っていた。

 緊張することはない。翼はある。

 ハッチが半分も開く前に、ロイは翼を閉じたまま、飛行機から飛び出した。

「っ!」

 全身を強風が打つ。右も左も、上も下もわからなくなりながら揉みくちゃにされる。たまらずむやみやたらに足掻きそうになるのを堪える。

 慌てるな。風はある、風はある、風はあるんだ。

 心を落ち着かせて、息を整え、機翼を展開した。途端に、体が浮き上がった。

「……!」

 タイミングよく、巻き上げ風を掴んだ。

 翼以上に、体が、心が、自由になった感覚が、ロイを包んだ。

「よしっ」

 ロイは機翼の出力を上げ、飛行機の直上に居座る怪鳥の側まで加速した。

 

 突風が、飛行機と、それを押さえているココのすぐそばをかすめた。

「おいグランツ! 狙いがちょっとガサツすぎるんじゃないのかい!」

 グランツはココの言葉に答えない。つむじ風が当たらないとわかると、ミーティアの体を直接鷲掴みしようとその脚と凶悪な爪を伸ばした。だがミーティアはそれも避けると、爪の間をすり抜けぎわに、またもや足の羽毛を切ってみせた。グランツの怒りはもはや度頂点に達していた。

「あんなに怒ってるグランツを見るのは久しぶりだねぇ。こりゃあ私にも止められないかもなあ」

 もはやなぜミーティアが避けられているのかわからないほど、ふたりは交錯していた。

 その時、

「話がある!」

 ココの後ろの方から声がした。首だけで振り返る。ロイが、緊張した面持ちで飛んでいた。

「その格好、もしかして軍人っ!? どこからーー」

 ココが思わず声を張り上げる。

 ロイは両手を開いて見せた。こういうときは、相手の調子に合わせて話すんだ。落ち着いて、ゆっくり。

「武器は持っていない。それに、この間合いは君のものだろう? 僕一人、どうとだってできるはずだ。まずは話を聞いてくれ」

 ココはロイの様子を伺った。その眼もとには緊張の様子が浮かんでいた。そしてゆっくりと口を開いた。

「こちらの質問に答えてもいないのに、話がしたいとは、そっちの軍人っていうのは随分と礼儀を知らないようだね」

「質問だと?」

「あーわかったわかった。そうだね、こっちも慣れない言い方をしたから回りくどかった。つまりだ……、あんたは敵なのか、味方なのか、答えな」

「それは――」

 ロイは言葉を一度飲み込んだ。多くの思惑が胸をよぎる。

 敵意をそらすために『味方だ』というべきか。

 いや、そうじゃない。

 軍人としての何たるかを気にするそぶりを見せていたことを考えると『あくまで敵である』と言い切るべきか。

 そうじゃない。

 ここに来たきっかけの言葉を思い出す。それはミーティアが何度も言っていたことだった。

「――敵になるか味方になるか、それを知りに来た」

 その言葉を聞いたココは、わずかに目を見開くと、小さく、長いため息をついた。

「……こんな都合のいいことがあるもんかい、団長」

 小さく独り言ちた。

「どういうことだ?」

 ロイが聞き返すと、

「なんでもない。どうあれ、あんたへの答えはこうだ。『ならば刮目して見よ』」

「見ろって、一体何を……」

「すぐにわかるさ。……ちょうどいい、時間だよ」

 ココが空を見上げた。ロイもその先を視線で追った。

 風上である大森林のほうから、大きな雲が流れてきていた。その雲が、間もなく日の光をさえぎろうとしたときだった。

 雲の中から、巨大な影が振ってきた。 

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