第30話 飛行訓練

 緩衝空域も中ほどを過ぎた。

 地面は碧く、空は青い。草原の中に、小島のように林が点在するさまが通り過ぎていく以外は、既に見慣れた景色となりつつあった。

 つまるところ、景色に飽きていた。

 そういうわけでミーティアはというと、

「ふざけてないよー。これでもちゃんと周りに注意してるんだからっ」

 器用に背面飛行をしながら空を眺めていたりしていた。

『よくそんな芸当ができるな』

 ロイが素直に感心していた。その表情は少し緊張気味だ。

「楽しいじゃん。やらないの?」

『上下が不覚になるからやらないように教育されているんだよ。実際に事故も起きている。見ているだけで肝が冷えるからやめてほしいくらいだ』

「あー。どうりで」

 いやにあっさりしたミーティアの反応に、ロイが眉をひそめた。

『どういう意味だ?』

「いやあね。なんだかそっちのみんなって、飛んでるとき窮屈そうだなっというか、自由じゃないなって思ってさ」

『遊びで飛んでいるんじゃないんだ。普段だって任務か訓練で飛ぶというのに、今回は特にだ。気持ちだって引き締まってしまうものだろ』

「うーん、そういうちょっと違うくてさ」

『というと?』

「なんというか……、あれだよ。あんまりガチガチになってると、掴むべき風に乗り遅れるよ、ってこと」

『なんだいそれは。抽象的な』

「そうかなあ、わりとはっきり言ってると思うんだけど」

『ふたりとも、聞こえかい』無線機にアランの声が入ってきた。

『そろそろ緩衝空域を抜ける。問題なくここまでやってくることができたのはひとえにロイくんの案内のおかげだ。ありがとう。……そしてここから本番だ。少しでも早く大森林を目指す。足の速さなら機翼よりもこちらのほうが上だ、ふたりとも機内に戻ってくれ』

「はーい」

『今ハッチを開ける』

 ミーティアとロイは、飛行機の真後ろに移動した。飛行機のエンジンから吹き出す生ぬるい排気がふたりの顔を撫でた。まもなくゆっくりとハッチが開く。ハッチにまとわりついていた風切り音が乱れ、激しさを増した。

「開いたよーいい感じ。それじゃ、ロイお先にどうぞ」

『ありがとう』

 そう返事をした後、ロイは飛行機と並走したまま動かなかった。

「ん? どしたの? 聞こえなかった? お先どーぞー」

『え? う、うん。聞こえていたけれど……着艦アンカーはないのかな』

「…………ナニソレ?」

 ミーティアが首を傾げた。ロイの表情が固まった。通信機の奥でアランの声が漏れていた。

『あー……。すまないロイ君。なにせ民間流通の輸送機だ。荷下ろし用のクレーンアームならあるから、必要ならそれにしがみ付いてくれないか』

『そんな』

「いやいは必要ないでしょー、大袈裟なんだから」

『そんなわけあるか。着艦ワイヤー無しに乗り込むなんて聞いたことない』

「そう? んじゃあ手本見せるね」

 ミーティアはこともなげにそういった。少しだけ減速して飛行機と距離を取ると、一気に加速し、飛行機のやや下から掬いあげるように高度を上げつつハッチに近づくと、直前で推進器を止めて翼を閉じた。慣性でふわりと浮き上がったまま、軽やかなワン・ツーステップで、

「たんったんっとん……っと。ほらこんな感じ」

『いや無理』

 着艦したミーティアに即答するロイだった。

「無理って、どのへん?」

『いやいやいや、機体の後ろにどれだけの気流の乱れが起きているかわからないのか? そんなところに突っ込むだけじゃなく、翼を閉じるなんてどれだけ危ないか――っ』

「ふふん。つまりはね、こういうことなのだよ」

 自慢げにミーティアが鼻を鳴らした。

『こういう?』

「掴むべき風を掴めばいいんだよ。翼はあるんだから。そしたらさ、この通り」

 ミーティアは飛行機からぽんっと飛び降りると、風上に体を立てると同時に翼を開いて風に乗った。遅れて起動した推進器がミーティアの体を空に支える。

「ね?」

『むう……』

こともなげに言うし、やってのけるが、それがどれだけ危なく恐ろしいことか。もし突風が吹いてきたら、翼が開かなかったら、エンジンが再始動しなかったら……、そのどれかが起きただけで、30秒後には地面に落ちている未来が待っている。それはつまり、助からないということだ。

「と、いうわけでほら、ロイの番だよ」

『……』

「ほらほら」

『……本当にやらなきゃ駄目?』

「アランも急ぐって言ってるんだから。ほらほら」


 そうして、ミーティア鬼教官がロイをしごきあげ、ようやくコツをつかんだロイがハッチにしがみつきながらも乗り込もうとできるまでに意外と時間がかかってしまった。

『ちょ! 落ちる! 落ちるって!』

「もう、カッコがつかないなあ。バシッと乗り込みなよ」

『無理なもんは無理だ! せめてもっと練習させてくれ!』

「いっそのこと推進器切っちゃったほうがイケるもんだよ」

『そんな怖いことができ……うわ落ちる落ちる!』

「危なっかしいなあ。ねえアラン、ルルカに中から引っ張りあげるようにお願いできる? 紐とかあればどうにかなるんでない?」

『待ってくれ。……なに?……。……わかった。……今起きたから待ってってさ』

「あっ、そう」

『俺がハッチまで引き上げに行くか? 少しの間なら操縦も固定できるぞ』

「いんや、危ないからそこまでしなくていいよ」

『なんんんのこれしき……っ! っわぁ滑る!』

『当人の声が随分必死のようだけど本当に大丈夫なのか?』

「んもう、仕方がないなあ」

 ミーティアがロイの足を支えてあげようと飛行機に近づこうとした時だった。


「入った。行くよ」

「俺は頭を抑える。てめえは翼だ。わかったな」

「はいはいわかってるよ」


 その違和感に気づき、ミーティアははっと顔を上げた。青空。まぶしい日差し。そのまま叫んだ。

「アラン! 真上、大きい、ふたつすぐ来る!」

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