第26話 ”全ての風が、あなたの行く先を示さんことを”

 ミーティアとアラン、そしてルルカは、日の出とともに空港に来ていた。空港からその先の大草原にかけては、白々した霧が薄くたなびいており、湿度を含んだひんやりする空気が立ち込めていた。あたりは静まり返っている。人々が活動を始めるには早く、加えて霧が遠くからの音を吸収していた。耳がつんと遠くなるような心地がした。

「こんな時間に空港に来るなんて久しぶりかも」

 ミーティアは肺一杯に空気を吸い込んだ。潤いと冷たさをはらんだ空気が指先まで行き渡るようだった。

 ミーティアは大きなアタッシェケースを、アランは工具箱とボストンバックを持っている。ルルカはミーティアの頭の上で船を漕いでいた。まるでふわふわの毛玉だった。

「ルルカは随分呑気にしているな」

「昨日が珍しく夜更かしだったんだってさ」

 ミーティアが首を左右に振ってみると、寝ぼけたままのルルカは逆に左右と揺れてバランスをとっていた。

「スゴくない?」

「あんまり遊んでやるな」

「ふひひ」

 滑走路わきを歩いていると、朝霧の向こうからにわかに人影が見えてきた。

「ったく、こんな朝早くからお出かけかよ。付き合うこっちの身になれってんだ」

 煤だらけの作業着を着た老人が、しかめっ面でタバコを吹かしていた。手持ち無沙汰に鍵を振り回している。空港には他に人影はなく、動き回る飛行機も見当たらなかった。

「おっちゃんって、いつも空港にいるよね。家にちゃんと帰ってるの?」

「日がなイチニチ、ここで仕事してんだ。ここで飯食って寝たほうが話がはええ」

「おっちゃんって、部屋汚そう」

「なんだと生意気な!」

「きゃー怒ったぁー!」

 ミーティアが面白がって走り出した。怒鳴った老人だったが、だからといって追いかけるようなことはしない。

「朝早くから申し訳ありません」

 アランがミーティアの背中を目で追いながら申し訳無さそうに言った。老人は持っていたカギをアランへ放り投げた。

「てめえは逆で生意気さがねえ。無駄に年食っただけで大人になったつもりか。もっと可愛げを持て。頼るときは頼ってくれたっていい」

「そうは言われましても……」

「なんだその気の抜けた声は。そういうとこだよ」

 いくつかの格納庫の前を通り過ぎていく。どこもかしこも閉まったままだったが、一つだけくぐり戸が開いている格納庫へとやってきた。

「よし、ミーティア。開けるぞ」

「よしきた」

 アランとミーティアは、家の大きさほどある格納庫のシャッターを左右に引いた。

 重々しい音とは裏腹に扉は勢いをつけて開いていく。いまだ淡い朝日がするすると格納庫の中に差していった。

 そこには一機の飛行機があった。

 小型の家庭用機だ。一対のプロペラが付いている。機体後部からたくさんの荷物が積められるように、ハッチが設けられているが、比較的スマートな体つきをしていた。

「注文通りの機能はつけてやった。それに整備も十分だ。燃料も問題ない。いつだって飛べる」

 老人が煙草の火を消しながら言った。ミーティアが飛行機のそばまで駆け寄ると、見上げながらため息を上げた。

「へぇー。あんなにボロボロだったのにここまできれいに出来上がるもんだね」

「ああ。ずいぶん時間がかかった。でもおかげで新品同様だ」

「おいおい新品程度で満足されちゃあ困るぜお二人さん」

 老人は息まきながら、

「俺がどれだけ手をかけてやったと思ってるんだ。エンジンは特別性、速度は同型機の1.3倍は出る。翼の強度も段違いだ。なんでも下に吊って運べるぞ。試しにキッチン丸ごと運んでみるか? それに積載量も中型機並み、頑丈さも折り紙付きだ。さらに、試作段階の音波受信機も取り付けてやったぞ。これはまあ、アランの希望だから俺はよく知らねえ。使い勝手が悪けりゃあすぐ外す」

「よくわからないけどすごいってことでいい?」

「技術者泣かせなことをいうんじゃないよ嬢ちゃん」

「わからないものはわからない!」

 そう言い切ったミーティアは、機体のエンジン回りを見ていたアランに駆け寄ると、

「さっそく乗ってくんだよね」

「ああ。早速の出番だ」

 老人は新たな煙草に火をつけると、

「気をつけろよ。この前の争いから、軍が民間機の飛行を制限してやがる。こんな時に緩衝空域を飛んでるところを見つかっちまったら、問答無用で御用だ。間違っても西に向かいすぎるんじゃねえぞ」

「わかりました」

「りょかーい」

「ったく、気がはやるのもわかるが、どうしてこんな時に飛びたがるんだが。

いちいち止めねえがよ……。管制塔には伝えてある。あとは勝手にしな」

 そう言い残し、老人は格納庫を去っていった。

「さ、いっちょお出かけしますか」

「そうだな」

 ふたりはさっそくスロープから機体に乗り込んだ。

 ミーティアは自由に、アランは窮屈そうに身をかがめながら機体の中を移動する。

「うっわー、すごい広い!」

持ってきた荷物を機体後方の貨物室に置いていたミーティアが声を上げた。

「でも全然おしゃれじゃない!」

 貨物室の壁面は、たっぷりの防音材とむき出しの金属フレームで覆われていて、なんとも無機質な雰囲気で包まれていた。

「これから手を加えようと思ってたんだよ。危ないから早く席に座ってくれ」

「はーい」

「ルルカ、まだ寝てるのか?」

「うん。さすがに移動始めたら起きるんじゃない?」

 アランの隣の席に座ったミーティアの頭の上で、相も変わらずルルカがお饅頭じみた寝方をしていた。

「揺れるかもしれないから抱えておいてやってくれ」

「ほいさ」

「それと、何も触るなよ」

 手をワキワキさせながら計器を見ていたミーティアにくぎを刺した。

 ここからは車を運転するのと同じくらい簡単な作業だった。エンジンを始動すると、数回機体が大きく揺れた後に細かい振動と音が機内に充満する。ゆっくりと格納庫を出て、離陸用滑走路へと舵を切った。道中、アランは数度管制塔へ無線通信を行ったが、この街らしいこざっぱりとした返答を受けて、間もなく滑走路の末端へとやってきた。この間、ミーティアは眼下に見える滑走路の白線を目で追っていた。

「こんなに大きいのに空飛ぶんだもんね、うそみたい」

「嘘じゃないぞ。今から飛ぶんだからな」

 アランは、エンジンのスロットルを全開にした。エンジンが一番のけたたましさを響かせる。ぐん、と飛行機が加速を始めた。車輪から伝わる滑走路の凹凸が体を揺らす。眼下に見えるあらゆるものが筋になって、はるか後ろのほうへ過ぎ去っていく。

 そのまま操縦輪を引く。

「来い来い来い来い……っ」

 アランがどこか面白そうに呟く。声に力がこもっていた。

次の瞬間、機体が視界が上向いたと思うと、途端に地面から伝わる振動がなくなった。

「おお」

 体を、どこかくすぐったさがある重みが包む

「おおおおお」

 するすると機首は上を向き、みるみるうちに地面が遠くなっていく。滑るように飛行機は高度を上げていった。

「すっごーい、ホントに飛ん――」

「よっし飛んだ! 飛んだぞ! やった!」

「うわびっくりした!」

 ミーティアは思わず目を丸くした。ここまで感情をあらわにするアラン珍しかった。

「もうそんな大きな声出さなくてもいいじゃん。ちゃんと飛ばしてたんで――」

 だがそこで気づいた。

「……もしかして、試験飛行とかしてないの?」

 突然アランの表情が固まった。機首の角度が一瞬緩くなる。

「……自信があったからさ」

「してよもう! いやこの前ぶっつけ本番で飛んだ私が言うのもなんだけど!」

「設計上は完璧だったんだよ、うん。完璧だった。だから飛んだしな」

「すごい自信!? いや今日は私もルルカも乗ってるんだよ!」

「んぁ? 呼んだ?」

 ルルカが目を覚ました。ずんぐりむっくりの毛玉が縦にミョンと伸びた。首を伸ばして左右にふりふりする。

「あ、ルルカおはよう」

「ういおはよっさん。……んお? おお、もう空じゃん。いやあ座ってても飛べるんだから大したもんだなあ。ヒコーキ侮りがたし」

「聞いてよルルカ、アランったら試しもせずにこの飛行機を飛ばしてさ!」

「なに言ってんだよミーティア。翼があるんだから飛ぶだろ」

「いや飛ぶのにも設計から随分苦労するんだぞ」

「だったらなおさらぶっつけ本番はヤメてよ」

「本当に頑張った。昔の自分が知ったら驚くだろうな。慣れない機械いじりも続けてみるものだ」

「んもう、この飛行機ちゃんと森まで飛べるのか不安になってきたよ……」

「まあそう気にすんなってのミーティア。落ちるまでは飛び続けるってもんさ」

まあどうあれだ。ルルカは翼を大きく広げて、とはいってもミーティアの肩幅ほどしかないが、三度ほどゆっくりと羽ばたいた。寝起きの準備運動だ。

「二人揃って空の上ってのは初めてじゃん。ってなら、あれだ。”全ての風が、あなたの行く先を示さんことを”。とりあえずはようこそ空へ、ってな」

 三人を乗せたにぎやかな飛行機は、高度を上げながら西へ西へと向かった。

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