第19話 愛国卿
ロイは言葉を飲んだ。
「あなたは……」
そこに腰掛けているのは、対空戦艦オーディナル・プルトニー艦長、国防公爵、愛国卿――ヘンリー・マーシャル、その人だった。
マーシャル卿は、椅子に深く腰を掛け、静かにロイを見据えていた。随分な年齢であるが、それを感じさせない威圧感を放っている。
「君が、マクファーレンくんか。話は、士官学校のころから聞いているよ。優秀な成績には驚かされていた」
しゃがれた声が向けられた。背後の窓による逆行で表情は薄っすらとしか見えない。しとしとと話すが、元来の情熱的な性分がどこかにじみ出ている声だった。歴戦の猛者という貫禄がそこにあった。
「恐縮です。私もこうしてお目にかかることができ、光栄でございます」
思わず生つばを飲み込む。同じ貴族とはいえ、相手は大貴族、雲の上の存在だ。国王陛下からの信頼も得ており、指先一つですべてが決まるほどの権力を持つ。白といえば黒が白になる、まさしくそれほどの力を持つ人物だ。
まあ、ありていに言ってしまえば、自分なんかが関わったところで何の得にもならない相手ということだ。
「ところでその、私は本日、司令官殿に呼ばれて参ったのですが、今どちらにいらっしゃるのでしょうか」
「エルギン司令官には、席を外してもらった」
これにはロイも流石に驚いた。この基地内で、司令官を敢えて離席させてする話なんてほとんどないはず。
「これはまた、一体何故でしょうか」
しまった。生まれ持っての好奇心が口を開いてしまった。
マーシャル卿は、小さく唸ってから続けた。
「……私も、先日の戦闘に心を痛めているのだよ。予期せぬ敵の襲撃によって国が危機に貶められたのだ。国家のため、国民のため、出来得る限り力になりたいと考えている。しかし、下から情報が整理され上がってくるのを待っていては、情報に“モヤ”がかけられてしまう。よくあることだ。それだけではない。時間が経てば経つほど、次の危機に対応できなくなってしまう。情報は速さが命だ。だから、私が直接話しを聞くことにしたのだ」
「わかります……。閣下のお気持ち、お察し致します。私も、貴族として、軍人として、国と民に報いる覚悟です」
「いい心がけだ。若いものが高い志を持っていてくれると、この国も安泰だ」
マーシャル卿は、椅子から立ち上がると、ロイに背を向け、窓の外を眺めた。軍の滑走路と、大草原と、地平線には霞がかった大森林と母の樹が見えた。
「ならば是非とも、君の言葉で聞かせてくれ。あの日の出来事を」
そう言われても、言葉に窮してしまう。
「お言葉ですが閣下、それに関しては、報告書にまとめたことが全てでございます。……任務中に、多数の未確認勢力が大草原の干渉空域を越えてノルトへ向かっているとの報告を受け、警戒を実施。ノルト旧市街上空で戦闘に発展し、制圧任務を実施するも、部隊は壊滅。その後、単独で旧市街上空の安全確保に努めたあと、現場の判断でノルト遊撃中隊所属第三遊撃小隊に臨時編入し、未確認勢力の撤退まで、保安確保に努めました」
マーシャル卿は、ロイの言葉の一つ一つに頷いた。机の上には、ロイの報告書が置いてある。きちんと目を通した上で、その内容と確認しているのだろう。
「ならば、些細な事でいい。他に、気づいたことはないか」
「気づいたこと、ですか」
「先の戦闘の中、所属不明の飛行体が確認されているそうではないか。報告によるとそれはヒトで、航空騎士隊に配備されている翼に機翼に類似した装備を持っていた。単独行動し、武装は無し、或いは見て取れない程度の軽武装であり、それが起因してか、非常に高機動だったとのこと。今は暫定的に、青ツバメと呼称しておるが……」
「青ツバメ……?」
たまらずロイが怪訝な声を上げた。
「その類いの識別標識は、鳥型の敵対勢力に対して与えるものではないのですか」
「過去に報告されている空賊の情報とも何一つ適合せず、どの類いの勢力かさえ全く判断がつかない。ましてや、現れたのがこのような状況下だ、どのような意図があるかもわからん。こうするのが妥当だろう」
そう言ってのけたマーシャル卿は、変わらず窓の外を見ている。大きな雲が二つ浮いている空を見ながら、更に続ける。
「各員の報告書を見せてもらったが、青ツバメの行動範囲の一番近くで作戦行動を働いていた可能性が高かったのが貴官というわけだ。そこで問おう。ロイ・マクファーレン少尉、青ツバメに関して、何か知りうる情報はないか?」
「知りうること、ですか……」
まるで、マーシャル卿の背中がまっすぐに見据えてくるようだった。その視線は鋭く、冷たい。ロイは息が詰まるのを堪えながら、
「……あのときは、一心不乱で、状況は、全くわかっていませんでした。その人物が居たかもしれません。その人物ではなかったのかもしれません。そうとしか、申し上げようありません」
ロイは僅かに目を伏せ、答えた。そうとしか言いようがなかった。平民の、ましてや女の子が機翼で加勢にきて、空騎士以上の活躍を見せただなんて、一体だれが信じるというのか。貴族主義の将校たちは何一つ納得しないだろう。つまり、報告するに値しない情報ということだ。なのに、だというに一体何が聞きたい。あの娘に一体何がある。
背を向けたままのマーシャル卿は、暫しの無言を続けた。
それから、
「そうか。ならば詮無いことだ。うむ」
マーシャル卿はゆっくりと静かに頷いた。
「ならば、詮無きことよ。うむ」
再び頷いた。
「少尉、私から少し、お願いされてくれないか? 青ツバメに準ずる、所属不明の飛行体について調べてほしい」
「しかし、存在するかもわからない人物のことなんて――」
「確かに海のものとも山のものともわからない人物の捜索に人員を割くことは出来ない。だが、状況は深刻だ。情報が欲しいのだ。第三勢力が絡んでいるかもしれないなどという可能性、世の中に無用な混乱を招く恐れもある。これは極秘事項だ。少尉、君だけが頼りなのだ」
「……」
ロイの胸の中に、えも言えぬわだかまりが渦巻く音が聞こえた。
「本件の真実を掴むためにも、そして民に安寧を与えるためにも、青ツバメとは何なのか、その実在を捉えることは必要だ。頼めないか?」
ロイは足を揃え、敬礼をした。軍人の模範となるような、実に洗練された所作だった。
「私で良ければ、ご期待に答えてみせます」
マーシャル卿は、満足そうな笑みを口元にたたえていた。
「そういってくれると信じていた。期待しているぞ」
ロイは、司令官室をあとにした。
司令官室を出たロイの足は、自室へ向かっていた。
マーシャル卿は情報は速さが命と言いながら、僕だけを呼び出した。この矛盾は何だ。何かを悟られないようにしながらも何かを知ろうと必死になっているようだった。
一体何を隠している?
青ツバメとは一体なんなんだ?
胸の中に湧き上がった得も言えぬ感情が、喉に詰まった異物のように、あるいは頭の奥底に佇む鈍痛のように、違和感と不愉快さを漂わせていた。どうあれ、それを解決する選択肢ははっきりしている。
青ツバメを探そう。
幸運にも、午後は待機になっている。善は急げだ。
「旧市街か」
ロイは、あの少女と初めて会った場所へ行くことを決めた。
ロイが去ったあとの司令官室にて。
「青……か」
変わらず窓の外を見ていたマーシャル卿は、小さく呟いた。そしてやおらに机の受話器を取ると、どこかに繋げ、
「羽は舞い上がった」
そうとだけ言い、受話器を置いた。
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