日常は、戦争の延長戦だった

第16話 不安定になってしまった日常

 ノルト旧市街で発生した戦闘ニュースは世界中を騒がせることになった。

 鳥たちによる突然の襲来は、様々な憶測を呼んだ。空賊に成り下がった集団による組織的な反抗であるといったものから、鳥側の斥候であり人鳥間の開戦の前触れと触れ回るメディアも存在した。一部界隈では、鳥の飛来をすべて制限するべきだという積極論が早くも出ていた。この主張は、一方で穏健派による、人間経済を下支えしている鳥の存在による影響を鑑みて極端な判断を下すのは早すぎるという声によって辛うじて抑えられている状況だった。しかし、既に経済面では最悪の展開を想定した動きが現れていた。穏健派の声がかき消されるのも時間の問題だった。

 そのような不穏な憶測ばかりが生まれるのにも理由があった。鳥側の高等議会である『鳥老会』が、状況を確認中の一点張りなのだ。新しい話が何一つ出てこない中、状況は確実にキナ臭い方向へ向かっていた。

「市民に犠牲者がいなかったのが、唯一の救いだったな」

 犠牲者はいなかった。それでも多くの建物が損壊を受けた。それに巻き込まれた負傷者も少なくなかった。

 昼下がり。やっと落ち着いた街の、その家の中で、作業着姿のアランはダイニングテーブルで一息つきながらテレビを見ていた。隣では、同じようにミーティアとルルカもテレビに向かっていた。ルルカは、その後の空域規制によって森に帰れずじまいだった。

「まあ、俺がこの街にこぉしていてられるだけでも、まだ平和だってことさ」

「そうは言うがルルカ、お前のお仲間が起こしたことだぞ。そんな呑気に毛繕いしてる余裕があるかよ」

「これはねぇ。いざってときに誰よりも早く飛ぶための毛繕いなんだよ。"大地も空も物事も、全ては繋がっている”ってのが、うちらのコトワザさ」

「じゃあ今回のことも何かと繋がっているゆえの出来事、か」

「それは知んねえよ、っと」

 ルルカが、冬毛の残りを抜き、他の羽根と同じようにテーブルの上へ並べて置いた。こういうところは妙に几帳面なルルカである。

「ルルカ、あそこに来ていた鳥に心当たりはないのか?」

「いやいやいや、流石にわかんねえよ。声を聞けばわかったかもだけどさ。それか、もし格式ある種族なら、格好やら何やらで大体はわかるけどよ、妙に見当たらなかったし」

「そうか。……そうだよな。簡単にわかるなら、ここまで憶測が飛び交ってないよな。……果たしてこのあと、どうなっていくのやら」

 ここで、今まで無言のままだったミーティアが口を開いた。机に突っ伏したま、顔だけをふたりに向ける。先日の戦闘以来、何か疲れが残っているのか、覇気がない。

「理由を聞きたかったら森に来いって言ってた」

 どこかムスッとした雰囲気のミーティアが、言葉を続ける。

「森に来たら“真実”があるってさ」

「真実……か。随分強い言葉だ」

「うん。そんな感じに聴こえた。……きっと向こうには事情があるんだと思う。乱暴な方法を取らなきゃいけないって思うような事情が」

「随分と、向こうの肩を持つんだな。ただのならず者の可能性だってあるんだぞ」

「やっぱりさ、耳がいいとね、声を聴くと気持ちもなんとなくわかっちゃうから。……怒ってるんだけど、悲しんでで、そのせいかどこか焦ってて、なんだか複雑な感じだった。聴いててこっちが“もにゃもにゃ”する感じ」

「だが、その主観的意見は、今の状況を判断する絶対的根拠にはならない」

「ごめんもっとやさしく」

「ミーティアにどれだけ自信があったとしても、あの鳥たちがどういう集団なのかは、結局のところ予想しかできない、ってことさ」

「ん~わかってるよもぉー!」

 ミーティアは勢いよく机から身を起こした。

「んあーもう気になるー! あんな言われ方して無視できるわけないじゃんさもぉー!」

「えらい不満たまってるな。まさか行くなんて言うなよ?」

 ルルカが毛繕いを終えた。ミーティアは勢いよく椅子から立ち上がると、

「行くよ!」

「森に?」

「森に!」

「言うと思った……」

 ルルカが渋い声を上げた。そしてそれ以上に渋い表情をしていた。

「俺としちゃあ鳥を代表して、ようこそって言いたいトコだけどよぉ」

 ルルカだけではなく、アランも眉間に皺を寄せていた。

「いかんせん、この状況だ。空域規制の上、大草原上空から干渉空域まで空軍の監視が強まっている。軍の身内でなければ、飛んでいるところを見つかっただけで捕まるのがオチだ」

「見つからなきゃいいんでしょ! だったら私が翼をつけてビューンって――」

「この前に一回飛んだっきりだぞ。飛び慣れていないのに無理するな。ましてやそんな長距離、動力が保たない」

「そこはアランが頑張っていいモノを作ってさあ!」

「無理だ」

「だっやらやっぱり私がビューンって」

「それも駄目だ」

 自分の力を過信するな。アランが小さく添えた言葉に、ミーティアは歯がゆさを抱きつつも言葉を飲み込んだ。

「じゃあどうするってのさ!」

「ミーティアちょっと落ち着けよぉ。……そうだ、これやるから、な?」

「ルルカの抜け毛なんていらな……! あ、これ結構キレイかも」

 ミーティアがルルカとじゃれ合っている間、アランがお茶をすすり待つ。やがて、

「ミーティアが行きたいっていうんだったら、俺は止めるつもりはない。そういう、昔の約束だ。だからといって、無闇に無茶をさせるつもりもない。行きたいと言うなら安全に森に行ける方法を考えよう」

「むぅ~……」

 ミーティアが低く唸りながら、再び机に突っ伏した。大きく溜息をつくと、

「あーあ、せめて、空軍の人達がどの辺をパトロールしてるのかがわかればなあ。その間を縫ってヒュンヒュンって森まで行けるのに」

 アランが椅子から立ち上がった。

「まあ、今はどうなるかわからないんだ。変化があるまで、今は気楽に行こう。お偉いさん同士の話し合いですんなり解決するかもしれないんだ。ニュースが静かなところを見ると、どうやら軍はミーティアの存在に気づいていないようだしな」

「確かにねえ……って、ああ! しまったぁ」

「ミーティア? ……まさかお前、接触したのか!」

「ひとりだよ、たったひとり! 危なそうだったから放っておけなくてさ……だめだった?」

 アランは額に手を当て、重いため息をついた。

「それでも報道がないということは、その軍人が報告に値しない捨て置ける情報と判断したのかもしれないな。まさか軍も、報告を受けた上で秘匿するほど重要な因子であると判断できたわけではあるまいし……。いやまてよ、もし前者だった場合、状況によっては利用できるかも……一体どんな人間が……」

 しばらくひとりで呟いたあと、

「どうあれ、突然ミーティアの事を探し回るようなことはしないだろう。それに、旧市街で慣れない怪しい動きをしている人がいたら存外目立つ。噂だって立つ。だから気にせず日常に戻ろう」

「日常に、かぁ」

「俺達はあくまで一般市民」

「一般市民、ねぇ」

「そういうことだ。それじゃあ、俺は仕事に戻るよ」

 そう言い、アランは作業着のポケットに仕舞っていた手袋を着けた。その様子をぼーっと眺めていたミーティアが、

「アラン、なかなか忙しそうねぇ」

「あのいざこざのせいで、家具やら家電やらを直して欲しいって依頼がてんてこ舞いさ。修理に修理にまた修理ってね、やれやれだよ」

 アランが少し、とぼけてみせる。不似合いなその仕草がどこかクスリときた。

「よかったじゃん。自分のやれることがあるのは良いことだよぉー」

「ふむ。ならばそういう君にも、やれることをを命じよう。ほら」

 アランが、胸ポケットからメモを取りだした。鞄と一緒に渡す。その一式を、ミーティアはあからさまに嫌な顔で見つめた。

「ふげぇ~またお使い? 朝に行ったのにぃ~。むぅ、やることないからいいけどさ」

 観念しながらミーティアが椅子から立ち上がる。そのとき、

「あっ……っとと」

 足元が大きくふらついた。椅子の背もたれに捕まったが、それでも勢いが止まらず、近くの壁に手をついた。

「大丈夫か?」

「ん……、だいじょぶ。ちょっとした立ちくらみだよ」

「無理するなよ。それでなくても十年ぶりに飛んだんだ」

「そう言われてみると……、ん~、もしかしたらずっと“空酔い”してるかも。でも、もう大丈夫だよ、ほら!」

 ミーティアは、ぴょんぴょんと数回飛び跳ねてみせた。

「何かあったらすぐに相談してくれ。そうだ。ルルカ、よければミーティアについて行ってくれないか?」

「えぇー、こんな情勢の中だってのに街に繰り出せってのかよぉー」

 ルルカが翼を広げて猛抗議をした。ルルカにとっては必死の猛抗議なのだが、その姿はちょっと可愛らしい。

「旧市街の中なら大丈夫だろ。いまさら鳥を白い目で見るやつもいないさ。いたらご自慢の嘴で眉間を小突いてやりな」

「ったくよぉ、とんだ兄バカじゃねえか。よぉしミーティア、仕方なしだ、ついて行ってやろう」

「ふむ、感謝してやろう」

「おう感謝しろい。その代わりまた肩借りるぞ」

「えぇーイタイケな乙女に容赦ないよぉ」

 突然、アランが小さく噴き出した。

「ミーティアが自分から子供アピールとは珍しいな」

 ミーティアとルルカが怪訝な顔をする。

「ドユコト?ドユイミ?」

「『いたいけ』ってな、『おさなげ』と書いて『幼気』って読むんだぞ。教えてなかったか?」

「よぅしルルカくん! いっちょ私の肩を借りるがいい、それが大人の嗜みだぁ!」

「あーうん。嗜みかどうかは知らんけど、楽ができるならお言葉に甘えるようん」

 でもルルカは書き方知ってた? 知るわけねえだろ鳥だぞ。そう会話を続けながらふたりは家を出ていった。

 二人を見送り、アランも三人分の皿を片付けたあと、一階の作業場へ戻った。

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