第4話 その世界は、空の時代を迎えていた
台地に形成されたノルトの街は、所々に急勾配の坂道や階段が存在するが、西の外縁部まで抜けると徐々に平地となり、一気に景色が開ける。そこから先は大草原が広がっている。ミーティアが向かっている民営空港は、そこに隣接するように立地していた。
三本の滑走路を取り囲むように、飛行機用の倉庫が立ち並んでいる。いくつかの倉庫は開いており、あるものでは飛行機の整備がなされていて、またあるものではすぐに飛びたてられるようにけたたましい音を上げながら暖機を行っていた。
それら倉庫の一つ、大きなシャッターが半開きになっているところの前で、ススだらけの肌着を着た初老の男性が木箱に座りながら道具の手入れをしていた。咥えているタバコから昇る煙が、緩やかな春風に押されながら一筋の線になっていた。
そこに、
「おっちゃーん!」
ミーティアの声が響いた。老人があたりを見渡す。だがどこにも見当たらない。
「こっちー、上だよーうーえー!」
強い風が吹き降りた。老人が見上げた。両足の翼を巧みに動かし、ミーティアが大きく旋回しながら、ゆっくりと降りてきていた。老人の側に、降り立った。
「おう。ウォリス修理工房んとこのガキか。こりゃあまた奇天烈なものを。そいつぁ一体どうしたんだ」
老人が、タバコの火を消しながら立ち上がった。
「アランがくれたんだよ。すごいでしょ。こんなことも出来るよ、ほら」
ミーティアは、両手両足を広げると、くるくると周りだし、それから力いっぱいジャンプした。すると、風をめいいっぱい吸い込んだ足の推進機が駆動し、ミーティアの体を浮き上がらせた。風を巻き上げながら、ふわりふわりと漂う。だがそれも長くは保たず、またもやゆっくりと落ちてきた。
「っとと。……さすがに向かい風なしにずうっと飛んでるってのは無理だけどね。そしてどんなもんだい、この足さばきとバランス感覚」
そう言い、つま先で地面を数回叩くと、翼が畳み込まれた。
「いや、大したもんだ。推進機の小型化ってのは簡単にできるもんじゃねえ。やはりアランのやつ、やはり街の修理屋にしておくのは惜しい腕だ」
「って、えぇぇー私じゃなくて翼の方か」
「ガキがいっちょ前の褒められようなんて思うんじゃねえ」
「むぅ…。そう言うんだったら、私の代わりにこっちもちゃーんと褒めてやってよね。はい、アランに頼んでた飛行機の修理用パーツ」
ミーティアが、鞄の中に入っていた包を渡した。老人は中の金属片を様々な角度から眺める。その目線は職人のものだ。
「信頼してるよ。だから仕事を任せてんだろ……」
「飛行機のパーツだよね。そんなに大切なものなの?」
「こういう細かくて小せえものを、きっちりしっかりこなすことが出来るやつが少なくてな……。ふむ、いいだろう。これなら使える」
老人はパーツを近くの台の上に置くと、肩をほぐしながら立ち上がった。続けて腰を叩く。
「にしても、その推進器、一体全体どういう仕組みなんだ。ガキとは言え、人ひとりを持ち上げる推進力を賄うには推進機が小さすぎる。なんか画期的な効率化の秘密があるのか?」
「い、いやあ秘密だなんて。きっとないよ多分ないってうんうん」
真っ向から否定したミーティアに、男は怪訝な顔をした。
「なんでぇ、もしや、またお得意の『企業秘密』ってか。まあいいさ、気が向いたときに聞かせてもらうよ」
「えへへ、なんかゴメンね」
「ガキがいっちょ前に責任感じてんじゃねえよ。言いたくないことがあるなら言わなきゃいいさ。……ところでだ、アランから頼まれてたパーツがあるんだ。届けてやってくれ」
男は、湾曲した金属板を台の上に置いた。受け取ったミーティアが感嘆の声を上げた。
「うわっ、まるで一晩中叩いて曲げましたって言わんばかりの綺麗な曲線。しかも薄い」
「察しが良いじゃねえか。そうやって作ったんだよ。安心しな、多少ぶつけたからって凹んだりはしねえよ。だが、大事なものらしいからきっちり届けてくれ」
「らっじゃ」
「頼んだ」
さあて、ちょいと休憩、と呟き、男は少し風下に立つと、ポケットから新しい煙草を取り出す。
「いい加減やめたら? 体に悪いよ」
「お前の体に迷惑はかけてねえんだ。大目に見ろ」
「おっちゃんまさかのワガママってやつか」
「こういうのは我儘とは言わねえだろ」
「まじか。んー…、しまった私のボキャブラの限界だぁ」
「妙な言葉知ってるな。ボキャブラなんて聞いたの数年ぶりだぞ」
「どや」
「威張れることじゃねえ」
「なんと」
「………………。そうだ、お前んとこの飛行機も、この前修理し終わったぞ」
「ほんと? さすがおっちゃん、仕事できるーっ」
「一五番のハンガーだ。見てくなら、鍵貸すぜ」
男は、少し遠くの倉庫を親指で示した。ミーティアは少し考えたあと、
「ん~……っ。いや、アランと一緒に見るまで楽しみにするよ」
「そっかい。仲がいいこった……」
男は、煙草に火をつけて、深く吸い込んだ。吐いた煙が、最初は一塊になって空へ昇っていくが、間もなく散り散りになって流されていった。
そのとき、ミーティアの耳が微かな駆動音を捉えた。草原の方とは真逆の、街の方の空からだ。
「どした。なんか聞こえたのか」
男が訪ねたが、すぐにその答えは姿を現した。それと同時に、男が悪態をついた。
「けっ、今朝は随分騒がしいな」
それは、ミーティアが先ほど街中で見たものの同類だった。だが軍用機ではなかった。
人間が飛んでいた。
重い体を重力に抗わせるための推進器を背負い、機翼と呼ばれる機械仕掛けの翼を身に着け、体を叩く強風から実を守るためのフライトスーツを身にまとい、そのほか大小さまざまの重火器を携えていた。
「空騎士の貴族様が見栄を張っておられやがるぜ。ったく」
国家空軍騎航師団航空騎士隊――通称:空騎士――、部隊員のほとんどが貴族の人間で構成されている、選りすぐりの部隊である。隊の名前は、翼一つで空を駆ける姿を、その昔、貴族が馬に跨り戦場を駆けた様になぞらえたものである。
「三人のグループが三つだから……、一中隊だっけ。朝から緩衝空域に向かうのかな」
「今日は、士官学校の入学式でもあるしな。仕事してる様子を伝えて威張りたいんだろ」
一団は、あっという間に空港上空を飛びぬけ、大草原の先へ向かっていった。
「我が物顔で空港の上を飛びやがって、道理で今朝から離陸許可が出てねえわけだ。迷惑甚だしい」
「それにしても、どこに行くんだろう。……『向こうのみんな』が、気分を悪くしなきゃいいんだけど」
「連中も馬鹿じゃねえ。静かに見ていてくれるさ」
男が煙草を吸い終え、倉庫の中へ戻っていった。
最後の煙が、空に揺蕩っていく。同じ空に、呑気に浮かんでいる航空機がいた。まん丸とした機体には、国営放送のロゴが描かれた、取材用の航空機だ。家で見ていた入学式のニュースを上空から取材していたものだ。
「学校……かぁ」
ミーティアは小さく呟いた。そして、地平線にうっすら見える森林に視線を向けた。
今日のように特に天気がいい日には、西に広がる草原の地平線に、うっすらと森が見える。その殆どが樹高100メートル以上の巨木からなる大森林だ。その中に一本、今朝も見た母の樹が、圧倒的な存在感を放ち佇んでいるさまが、大草原の縁に位置するここからでははっきりと見えた。
あの麓には、鳥たちの世界があった。
長い歴史と高度な文化を持つ鳥たちだ。有史以来、ずっと人と対立し合ってきたが、近代になり、緩衝空域を設けることによって、両者の正面衝突は大きく減少した。今では戦争の足音もほど遠くなり、戦争の最前線として栄えてきたノルトは今となっては相互交流の起点となり、ほんの少しずつだが、私的な範囲での交流が続いている。
この世界は、空の時代をむかえていた。
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