或る疑念

 彼女は大人びているというか、いやに歳不相応なところがあった。よく回る彼女の舌、その言葉の節々に諦観の色が滲んでいるのは、元来持ち合わせたものなのか、なにかが彼女をそうさせたのかわからなかった。ただ、否応なしに感じられるのは、まだ幼く聡明な彼女はそのうち俺のそばを離れて社会的に大成するのではないかという予感だった。だからわざわざ俺の側にいて傷の舐め合いに興じる必要なんて無いように感じていたが、その反面、お互いに同じような場所に傷を抱える人間にはもう出会えないのではないかといった奇妙な確信があった。そんな彼女は時折よくわからない言葉を口走る。癖みたいなものかもしれない。ただ、その時だけは彼女も年相応というか、思春期らしいしたり顔で話すのだった。俺は彼女にそんな言葉を引き出させられることが嬉しかった。

「わざわざ言葉にして確かめ合うことになんの意味があるんだろう。いくらでも取り繕える五十音が何を約束してくれるっていうの?」

そんな台詞を彼女が発したのはいつだったろうか。冗長な恋愛ドラマを二人で観ていたときだった気がする。大きなその瞳に憂いを湛えながらこちらを見る彼女の問いに俺は少し黙って、なにかを答えた気がするがよく思い出せない。俺の返事を受けた彼女が満足げに目を細めるあの表情は今も脳裏に焼き付いているのに。

 彼女とは共通の嫌いなものが多くあった。うるさい子供を注意しない親、映画を見ている最中に話しかけてくる奴、きのこの山、パートのババア。そして何より、こんなに生きづらいこの世と、そんな場所で浪費してきた自分自身の人生が俺たちは嫌いだった。ただ最近、俺はある疑念に苛まれている。それは、例によって彼女が発した一言に由来する。

「私は今幸せだよ、私と君以外信じられないこのめちゃくちゃな世界が愛しいよ。だけどさ、君が消えちゃった後、私はそんな世界とどうやって生きていけばいい?そんなのはさ、無理なんだよ。」

かなり極端な話だと思った。その時の彼女は涙こそ浮かべていなかったものの、殊に悲痛な表情をしていた。彼女の言う『君が消えちゃった後』が死別を表すのか、ただ単に破局を表すのかは分からなかったが、お互いにこの関係にいずれ何らかの形で終わりが来るだろうことは分かっていたから、彼女の言葉は重みを伴って部屋に響いた。──俺は、彼女を取り返しのつかない所へ連れてきてしまったのかもしれない。いくら彼女が大人びているとはいえただの幼気な少女だったと言うのに、俺は彼女を取り巻く世界を貶し、蔑み、否定したのだ。彼女の愚痴に対して彼女の周囲の人間を否定したことも少なくはなかった。俺は知らず知らずの内に彼女からこの世界に対する希望を奪っていたのかもしれない。自分の才能は過信するのに何かに挑戦することには怯えるような、そんな俺が望んでいたのは、彼女も俺と同じように世界に失望することだったのかもしれない。彼女が成功するのを恐れた俺は、彼女を俺と同じところまで引きずり下ろしてしまったのかもしれない。そう思えてならないのだ。そんなことを考えて今夜も夜が更けていった。

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