酩酊

 目を開けると彼の頬があった。彼の腕に巻きついた布団を引き剥がして被る。彼の寝相はあまり良くないらしいと気がついたのは数ヶ月前だ。これは言い換えると、同じ布団で寝るような仲になってから数ヶ月経ったということでもあるのだが、そうなった経緯も今となっては判然としない。ただ、抱える痛みが笑ってしまうほど似通っていたことと、好きなものより嫌いなものの方が一致していたことは確実に要因として挙げられるだろう。彼の煙草の銘柄をなんとなくコンビニの陳列棚から探してしまうような、そんな感情をこの私が抱くようになるとは思わなかったが、私は彼とのこの関係を気に入っていた。そんなことを考えながらぼんやりと隣を見ていると、閉じられていた彼の瞼は少し震えた後に何度か眠たそうに瞬いたと思えばゆっくりと開かれた。

「夢見てたわ」

依然として眠そうな眼をこちらにゆるりと向けながら彼がそう言うので、その内容を聞いてやろうと頬杖を付く。その内容は夢らしく判然としないものだったが、彼の無意識の中で形作られる物語はどんなものだとしても興味深かった。彼が当たり前に口走る言葉のひとつひとつが私にとっては異質で稀有なものに映る。私はそれをひとつひとつ捉まえて隅々まで観察しているのだ。最近になって彼の言葉は存外普遍的で、そこら辺に落ちている石ころと変わらないことに気が付いた。なんだ、とため息を吐きたいような気分になりながら、私はその石ころを大切に胸の中にしまうのだった。

 インプットした言葉はすぐにどこかに吐き出さないとやっていられない私とは対照的に、彼はあまり自分のことを話さなかった。だから私は、彼が取り込んだものを後ろならなぞるように追いかけている。彼が好きだと言った音楽も映画も小説も、私にはその良さが理解できないものもままあったが、彼と同じ価値観になれるような気がして、私はそれを摂取し続けた。いつか彼と同じ色の言葉を吐けますようにと思いながら。ふと肌寒さを感じて、服を着るために布団から這い出ようと半身を起こすと、彼の腕が私の腰に伸びてきて私は布団に連れ戻される。彼の煙草の匂いとシャンプーの匂いが香った。私も彼も、お世辞にも明るい性格とは言えず、他人の不幸で腹が膨れるような人間だった。それは私が彼と少しずつ会話を交わしていくうちに確信した事だ。彼がそうなった経緯を私は計り知れないが、大方私と似通ったものではないかと踏んでいる。それは私たちが長年抱えてきたものであって、簡単に言葉にできるような代物ではなく、もしできたとしたらこんなに悩まないような、そんな痛みだった。彼の温度を胸に一心に感じているこの瞬間だけは、この痛みから解放されるような気がした。彼に聞いたわけではないが、きっと彼も同じ思いで私に肌を寄せているのだろうと、これもまた私は確信していた。

「ねぇ」

二度寝の快楽を享受しようと微睡みの海に沈む彼を引きずりあげるように声をかける。ふにゃふにゃとした返事が返ってくる。

「私ね、君に出会ってからどれだけ悪行を犯しても自己嫌悪に陥らなくなったの。なんて幸せな無法者かな」

時折こうやって酩酊したかのような言葉を吐くのが私は得意だった。悪癖とも言える。彼は決まってそれに対して少し顔をしかめた後、何かしらの言葉を返してくれる。

「いい子は天国に行けるけど、悪い子はどこにだって行けるらしいからな」

「目が覚めたみたいで嬉しいよ」

そう言うと私は彼に口付けを落とす。私達のキスはいつも長かった。生温くて退廃的な愛を口に含んだまま水音を立て続ける。唾液と混ざって変質したそれに偏執する私達は醜いな、と思いながら。

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