第四話 散策

 高校から帰宅後、茶の間にて。

 おれと同じく半ドンだった鈴蘭をはじめとした蔵屋敷家の面々――伯父さんや叔母さん、そして与一のじーさん、ばーさん――、と一緒に食卓を囲む。

 大所帯での食事というのは賑やかで、どことなく肩身が狭い。

「ねえ、周平くん、学校はどうだった?」

 大皿に盛られた芋の煮っころがしをつまむ鈴蘭が、そんなことを訪ねてくる。

「ああ、まあ、普通だよ」

 青菜のお浸しを口に運びながら答える。

「普通って……、もうちょっと具体的に答えてよ」

「いや、そうとしか言いようがないんだよ」

 午前中で授業も終わったし。

「むー」

 不満そうに頬を膨らませる鈴蘭を見てか、周りの皆が小さく苦笑する。

「まあまあ、いいじゃねえか。鈴蘭は周ちゃんになんじゃからよ。周ちゃんに関することは何でも詳しく聞きたいんじゃ」

 かかか、と妙な笑い声で茶々を入れるのは与一のじーさん。昨日と同じく見当外れのことを言うが、この人のたわ言にはもう慣れた。

「そうそう、鈴蘭ったらね、周平くんがこっちに来るって話を聞いた時から急にそわそわしだしちゃって。普段は滅多に掃除なんてしないのに、部屋も綺麗に片付けて、準備万端、周平くんが来るのを今か今かと心待ちにしてたのよ、うふふ」

「お母さんまで……、やめてってば……、もう」

 未だに周囲のからかいに不慣れな鈴蘭だが、それでも、どこか満更でもなさそうに否定する。

 いやー、微笑ましい。

 和やかな雰囲気に当てられてか、おれの気が少し緩んだ。

「そうだな……、強いて言うなら、文芸部に入部

 だから、つい、今日あった出来事を漏らした。

「え? 文芸部に?」

 驚きに目を丸くさせる鈴蘭。他の皆も同様に、意外や意外だとでも言いたげにおれを見る。

 はっきり言って、この反応は正しい。

「ほんと、参ったよ。どういうわけか、同じクラスにいた文芸部の副部長に見初められてさ、あれよあれよと言う間に部室に連れられて、そのまま仮入部だと。あの勢いには驚いた。もっとも、おれとしてはいい迷惑だが」

「でも、登校初日に部活動が決まるなんてすごいね。わたしなんか、どの部活がいいのか迷っちゃって、結局、どこにも入れなかったのに」

「……まあ、色々とあったからな」

 ボソッとつぶやく。

 まさか、クラスの不良に絡まれて、その流れで文芸部の一員になったとは言えない。

「ねえねえ、文芸部にはどんな人がいるの?」

 にこにこと、やけに楽しそうに微笑みながら尋ねる。

「随分と食いつくな」

 食事中だけに。

「だって、気になるんだもん。周平くんがどんな人たちと知り合って、どんなお話をしてるのか」

「……別に、面白くないぞ?」

「そんなことないよ、だって、周平くんのことは何でも知りたいもん」

「…………」

 こいつは……。

 無自覚に、とんでもなく恥ずかしいことを……。

(こんなのだから、じーさんたちに茶化されるんだろうが……)

 まあ、鈴蘭らしいと言えばそうなのだが。

 こういうところは相変わらず子供っぽいというか、なんと言うか。

「やれやれ、そこまで言うなら、仕方がない」

 周囲から注がれる生温かな視線が痛い上に、このままでは間が持たないので、大人しく話すことにする。

 まあ、別に、隠すことでもないからいいんだけど

「えーっと、そうだな、文芸部の顔ぶれは何と言うか、個性的だな」

「うんうん」

「堅物っぽい庄屋の娘である女部長の東に、おれを無理やり文芸部に引き入れた張本人であり副部長の天宮、そして、町医者の息子の露木に、のんびり屋の浅間、人畜無害そうな高井戸に、あとは……、学ランに白衣っていう、ふざけた格好をした芥川か」

「……え?」

「……ん?」

 一瞬、鈴蘭の動きが止まった。にこやかな笑顔が引きつり、顔面が硬直する。

 ……なんだ?

「どうした? 芋が喉に詰まったか?」

 冗談交じりに言ってやると、それを合図にするようにビクッと体を跳ねらせる。

「う、ううん、なんでもない。いろんな人と知り合いになったんだなあって、ちょっと驚いただけ」

 取り繕うような笑顔。

「ふーん……」

 慌てた様子の鈴蘭を特に気にせず、おれは叔母さんの作ってくれた郷土料理に舌鼓を打った。

「それにしても、周ちゃん、山村地区の東や、露木んとこのせがれとも顔見知りになるとは、やるのお」

「いやあ、ははは」

 和気あいあいとした、食卓の空気。

 頭の中は、どうやって町の調査をするかで埋め尽くされていた。

 

 …………………………。


 ……………………。


 ………………。


 昼食後の自由時間。

 おれにはやるべきことがある。

 空いた午後の時間を使い、町の散策に出かけることにした。

 案内役を買って出たのは鈴蘭。

 彼女は、この町から少し離れた学校に通っている。バス通学で高校に通うおれと違い、朝早くに起きて電車通学としゃれ込んでいる。

「一度でいいから、周平くんと学校に行ってみたかったな」

 共に田舎道を歩くおれの横で、ふと、そんな愚痴をこぼした。 

「周平くんって、子供の時も、夏休みのあいだか、お正月の時にしか、こっちに来なかったし……」

「それは、しょうがないだろ」

 別に、遊びに来ているわけじゃあるまいし。

「おれの父さんも母さんも、仕事が忙しいからな」

「そういえば、周平くんのご両親って……」

 諦観気味ていかんぎみに吐いたおれの言葉から裏を察した鈴蘭は、ややして口をつぐむ。

 おれの家族は、滅多に顔を揃えることがない。父は政府の役人として慌ただしい毎日を送り、母は大学の非常勤講師として各地を転々としている。

 風祭家が一堂に会し、この町を訪れるのは、冠婚葬祭もしくは新年の挨拶回りの時ぐらいだ。

「皆、それぞれ事情があるんだよ」

「……うん」

 たしなめるように言うと、鈴蘭は素直に小さく頷く。

「それも、そだね……」

「ああ、だから、あんまり我がまま言うんじゃないぞ?」

「はーい」

 彼女の口から出てきたのは、何とも気の抜けた返事。

(本当にわかってるのかね……)

 相変わらず能天気な鈴蘭を横目に、若干、呆れてしまう。 

「でも……」

 ちらりとおれに視線を送る。

 向けられた彼女のその大きな瞳は、無垢な輝きに満ちている。

「今は、こうして一緒にいられるから……、それでいいかな」

 照れ隠しのためなのか、俯き加減につぶやく。

 彼女の横顔がほんのりと赤く染まっているのは、太陽の陽射しのせいだけではないだろう。

 恥ずかしそうにはにかむ鈴蘭を見て、なぜか、おれはそう思った。


 …………………………。


 ……………………。


 ………………。


 足下が不安定なでこぼこ道に注意しながら、肩を並べて歩く。

 基本的に無言だが、時折、思い出したように言葉を交わす。

 話題と言えば、学校の授業のこと、勉強のこと、テレビのこと、芸能人のこと、家族のことなどの他愛の無いもの。それらの話が数珠繋ぎとなって、延々と続いていく。その繰り返し。

 何の変哲もない、ごくありふれた日常の風景――。

 おれは、どこか楽しげに微笑む鈴蘭の横顔を見ながら、こうして隣に誰かが一緒にいてくれる毎日が、ここでは当たり前になるのだろうと直感した。

 ――果てしなく続く地平線、空の青と繋がった緩やかな稜線りょうせんを描く山々、優しい風が吹く度に運ばれる土と緑のにおい……。

 のんびりとした時間が過ぎていく。

 不思議だった。

 天高く昇った太陽の柔らかな陽光に包まれていると、突然、何かを思い出しそうになる。

 なんだろう。

 これと似たような感覚を、おれはどこかで……。

「……あ、ねえねえ周平くん」

 柄にもなくノスタルジーに浸っていると、不意に鈴蘭が声をあげる。

 その声で、現実に呼び戻された。

「なんだ……、藪から棒に」

「ほら見て、あそこ」

「……ん?」

 鈴蘭が指さす方向に目を向けると、そこにあったのは大きな看板。

「なになに……、『尾前町教会堂へようこそ』……」

 どうやら、この先に教会があるらしい。

「へー、珍しいな」

 素知らぬ体を装う。

「うん、あまりわたしも来たことないからよくわからないけど、孤児院に併設されているみたい」

「ふーん」

 素っ気なく返事する。

 理由は、考えるまでもない。

(……確か、あの教会堂の土地は、すでに買収予定のはず……)

 一応、教会堂の周辺地域も調査の対象ではあるが、特別、優先する意味はない。

(第一、おれは、神様なんて信じてないからな)

 宗教関係の設備なんて、自分や親族が熱心な信者でもなければ興味など湧かないのが自然だ。どちらかと言えば足元に転がる石ころの方が、遥かに存在感を放つだろう。

生憎あいにく、おれは現実主義者だ。目に見えないものを信仰するほど、落ちぶれちゃいない)

 何にせよ、すでに収用済みの宗教施設に用はない。

 そう結論付け、足早に去ろうとした時だ。

「ねえ、周平くん」

「ん? どうした」

 その場を離れようとするおれをよそに、鈴蘭は教会の方に視線を送りながら、おずおずと尋ねてくる。

 まさか……。

「せっかくだから、少し覗いてみよっか」

 予感的中。

「お前……、本気で言っているのか?」 

「う、うん。こういう機会って滅多にないし、それに、今までちょっと気になってたから……」

(こいつ……)

 ひとりだと気後れして入れないから、おれをダシに使おうという魂胆か。

(能天気な鈴蘭のくせに、生意気な)

 どれ、ちょっとからかってやろう。

「へー、そうかー、鈴蘭はキリスト教に興味があるのかー」

 聞こえよがしに言ってやる。

「えと、そういうわけじゃないんだけど……」

 案の定、戸惑う鈴蘭。少し恥ずかしそうに視線を泳がせ、あたふたと小刻みに両手を動かす。

 期待通りの反応に、おれは気分をよくする。

「えらいなー、鈴蘭は。神様を信じてるんだなー」

「そりゃ、神様は信じてるけど……」

「……え?」

 あまりに神妙な顔で言うもんだから、思わず閉口する。

「……ウソだろ?」

 唖然としながら問うが、即座に鈴蘭は首を振った。

「ウソじゃないよ。だって、この町の人は、みんな神様が好きだもん」

「…………」

 少しむくれた顔で断言する鈴蘭の姿を見て、そういえばと思い返す。

 神とは、何も、キリストのような比較的名の知れたものだけを指すわけではない。

(例の『イイヅナ様』って奴か……)

 尾前町に特有の土着的な神も、立派にその対象に含まれるのだ。

(……くだらねーな)

 この町に来てから常々抱いていた疑問が、いよいよ大きな不満となって噴出する。

(いつまでもガキじゃねーんだから、いい加減、神なんて抽象的な概念なんてさっさと捨てちまえばいいものを……)

 言ってしまえば、大の大人が未だに幽霊を信じてるようなものだ。

 これほど愚かで馬鹿馬鹿しいことはないだろう。

 この世にある物は、所詮、現象に過ぎない。

 そして、現に現象として現れる以上、そこには何らかの法則性がある。

 要するに、神と名付けられた存在も、結局は単なる自然現象や物理法則の一部に過ぎないということだ。

 だとすれば、そこに神という不可解な存在が存在しないことは明白だ。

(なぜ、みんな、こんな単純な事実に気付かないのだろう?)

 と、この町の呑気な性質にいい加減うんざりした時だ。

「――ふざけるな!」

 一瞬、おれに向かって誰かが言ったのかと思った。

 田んぼの付近をうろちょろしていた鳥が、今の声で一斉に飛び立つ。

「なんだと、コラァ!!」

 耳をつんざく怒号が、風の凪いだ辺りに響き渡る。

 それは、教会方面から聞こえてきた。

「……ねえ、今の……」

 不安そうな面持ちで鈴蘭が寄りすがる。

「……ああ、わかっている」

 怖がる鈴蘭を気にしながら、同意する。

 もちろん、普段なら他人がどこでどうなろうとおれの知ったことではないし、別に気にも留めないのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。

 心当たりがあったのだ。

 しかも、教会の方から聞こえたものだから、尚更、放っておけなかった。

(一体、何があったっていうんだ?)

 頭の中に湧くのは当然の疑問。

「……周平くん、どうしよっか……?」

 声を潜めて尋ねて来るが、答えはすでに決まっていた。

 おそらく、それは鈴蘭も同じだったに違いない。

「……行ってみるか」

 だから、おれがそう言った時、鈴蘭はこくりと頷いた。

「うん。……ちょっと、怖いけど……、でも、なんだか気になるし……」

 鈴蘭はおれを見上げながら可愛らしく握り拳を作ってみせる。

 頼もしいのか、単に向こう見ずなだけか、どうにも不安は拭えないが……。

(まあ、これが鈴蘭らしさというやつだから、しょうがない)

 田舎育ちのせいか、鈴蘭は都会の人間より好奇心旺盛である。見たことがないもの、面白そうなもの、知りたいもの、とにかく、自分の興味があるものに対しては一途且つ強情で、その上意地っ張り。

 だから、昔はさんざん尾前町のあちこちに連れまわされた。山の中、森の中、川のほとり……。それこそ枚挙にいとまがない。

(……山、か)

 そこで、思い出した。

(そういや、ガキの頃に訪れた山の中で、なんかあったような気がするが……)

 胸の奥で、何かがつっかえる。

(……駄目だ、思い出せない)

 それに、今は、昔のことを思い返している場合ではない。

「……じゃ、行くぞ」

 言葉少なに告げ、先頭に立って歩く。

「あ、待ってよー」

 一拍子遅れて鈴蘭がおれのあとについて来る。

 身体の奥から込み上げる得体の知れない感覚は、すでに消えていた。


 …………………………。


 ……………………。


 ………………。


 教会堂の入口までやって来た。

 背の高い生垣に囲まれた、広めの施設。正方形に造られた二階建ての建物と、いわゆる教会と思しき三角形の形状の建物が隣同士で並んでいる。

 門は開いていた。

「よし、入るぞ」

「う、うん」

 辺りを注意深く見渡しながら、門をくぐる。

 十字架が天辺に掲げられた塔が目をひく教会の敷地内。門の横には、赤や黄などの暖色が華やかな花が一面に植えられた花壇があり、訪れる者の目を楽しませると同時に、何者も侵略しがたい厳かな雰囲気を演出する。

 まるで、ここだけが周りの空間から切り離された別世界のようだ。現に、平坦なあぜ道と田畑が続くばかりの田舎にあって、この教会は抜群の異彩を放ちつけている。

 周囲を田畑に囲まれた、一風変わった洋風の施設。

 静かな小鳥のさえずりと、草葉が揺れるざわめき。

 天より注ぐ陽光を一身に受けて背丈を伸ばした花々の香りを運ぶ、初夏の爽やかな風に誘われるように、頭の奥深くに押し込まれた記憶が呼び覚まされる。

 ……おかしい。

「どうしたの、周平くん?」

 鈴蘭が心配そうにおれの顔を覗き込む。

「何か、気になることでもあった?」

「いや……」

 首を振って否定する。

 ありえなかった。

 おれは、ここには初めて来るはずだ。

 それなのに、ここを『懐かしい』と感じるなんて……。

 教会から漂う中世風の古風な佇まいが、おれに望郷の念を思い起こさせたのだろうか?

(気のせいか……)

 というか、そうに違いない。

 そういうことにしておこう。

 うん。

 確証はないが、結論付ける。

 頭の切り替えが早いのがおれの取り柄だ。

「ちょっと、辺りを確認してみるか」

「そうだね」

 改めて周囲を見る。

 教会の横に建てられた孤児院と思しき横長の建物は、どことなく校舎を彷彿させる。ひょっとしたら、児童の学校代わりでもあるのかもしれない。広々とした中庭には滑り台に代表される遊具がいくつか設置され、子供たちが思い切り遊ぶ光景が目に浮かぶようだ。

「……ん?」

 視線を教会の方に向ければ、十字架の掲げられた塔のそばに、何人かの人影があったことに気付いた。

 大柄な二人組の男と、それらに対峙するように立つひとりの男。

 おれと鈴蘭は、遠目に窺える人影のもとに近寄る。

「……!」

 いや、待て。

 嫌な予感がして足を止める。

 彼らの姿がはっきりするにつれ、疑念は徐々に確信へと変化していく。

(……やはり、か……)

 さっきの声を聞いた時からもしやと思ったが、まさか、こんなところでも出くわすとは。

「……もう一度、言ってみろよ」

 よく目立つ鉤鼻かぎばなと、斜めに構えた性格が滲み出る三白眼が特徴的な彼――露木銀治郎――が、二人の大男を見上げながら血気盛んに言った。

「何度でも言ってやるぜ、ボウズ。ここはオレらのシマなんだ。泣く子も黙る我らが『木田組』のなぁ」

 胸元の開いた黒色のシャツの上に白色のジャケットを羽織り、頭髪をニワトリのトサカのように逆立てた、いかにも柄の悪いにーちゃんが、ズボンのポケットに両手を突っ込んだまませせら笑う。

「だからよお、ここでどんなふうに振る舞おうが、俺たちの勝手なんだわ」

 虎柄のジャンパーが似合うスキンヘッドのオヤジが、サングラスをちょっとずらして鋭い眼光を覗かせ、威圧的に言う。

 一般人がひと目見れば裸足で逃げ出しそうな強面こわもての連中相手に、露木は一歩も引かない。驚くほどに毅然きぜんとした態度で向かい合っている。

「残念だが、この場所では、あんたたちの言う道理は通用しない」

「なんだと?」

「ここは神が住む場所だ。誰にも取り上げることは出来ない。この土地を始め、この世のものは、すべて、神のものだからだ。俺たちは、神の所有物を一時的に借りているに過ぎない。俺たちが死んだ後に、これらの財産を持っていけないように、俺たちのものなど、何ひとつとしてない」

 真面目くさった表情で言うもんだから、強面の連中はポカンとした間抜けな顔で露木を呆然と眺めていた。

「おい、聞いたか」

「ああ、聞いたぜ」

 やがて、男二人は顔を見合わせると、腹を抱え、ぶっと噴き出す。

「あのなあ、ボウズ。ここがすでにだって知ってるか?」

「そうそう、この土地は、もう、神様のものじゃねえんだわ。というか、神様なんて元からいねえから、ここは、誰の物でもねえんだわ。んで、おれたちが金を出したから、ここはおれたちのものなんだわ、ん? わかったか?」

「そういうわけだ、ボウズ。小学校からやり直しときな」

「ぎゃはははは!」

 二人して小馬鹿にしたような態度。聞くに堪えない下品な笑い声が教会の膝元に響く。

 しかし、露木はまったく動じていなかった。

「確かに、ここの土地はあんた達、木田組のものだ。あくまでも、現時点での話だが」

「……あ?」

 連中の顔がピクリと引きつる。

 構わず、露木は続けた。

「ここの土地は、結局は政府が収用する。とやらのためにな。知らないとは言わせない。それとも、あんたたちのような組織の末端には、そんなことさえ上から伝えられないのか?」

 臆した様子を微塵も見せず、淡々と述べると、たちまち男どもの表情が怒りに染まる。

「っち、甘い顔してやりゃあ付け上がりやがって……」

「一度、痛い目見なきゃあ、わからねえようだな」

 男たちは露木の方ににじり寄る。男の動きに合わせ、露木も臨戦態勢を取る。

「ね、ねえ……、周平くん……」

 おれの横で小さく震える鈴蘭が、蚊の鳴くような声で話しかけてくる。

「なんだか大変なことになりそうだよ……」

 血の気の多い田舎者に囲まれて暮らす鈴蘭も、あまりこういった場面に遭遇することに慣れていないのか、青い顔でしつこく尋ねる。

 おれは肩をすくめてみせた。

「まあ、そうだな。このままじゃ、腕の一本や二本じゃ済まないだろうな」

「他人事のように言わないでよ……」

「どちらかと言うと他人事に近いしな」

「えぇ……」

「だって、無闇に加勢したって、返り討ちに遭うのが関の山だぜ?」

「それは……そうかもしれないけど……。でも、このまま放っておくなんて……」

「じゃあ、鈴蘭が止めに入るのか?」

「そんなの、無理に決まってるでしょ……」

「だったら、おれだって無理だよ。腕っぷしにそこまで自信あるわけじゃねーし、痛いのは嫌だし。そもそも、今回に至っては、売られた喧嘩を買っちまった露木にも責任があるし」

「…………」

 鈴蘭がおれを見る。可哀相なものを見るような目つきだ。光を失った生気のない瞳が、おれの内部に直接訴えかける。

「……」

 ちらっと、露木たちの方を見る。露木は連中と睨み合っている。今にも掴み合いの大喧嘩が始まりそうな雰囲気だ。

 出来ることならあまり関わり合いたくないが、お人好しの鈴蘭が奴らの動向を気にしている以上、ぼんやりと静観しているわけにもいかないか。

 八方ふさがりとは、まさにこのことだ。

(まったく、世話の焼ける連中だぜ)

 覚悟を決め、重たい腰を上げる。

 それにしても、ここに来てから周囲に振り回されっぱなしの気がする。

(……ま、何事も経験か)

 町の住人の動向を知るのは重要なことだ。

 事実、このガラの悪い男たちは、尾前町で幅を利かせる暴力団事務所『木田組』を名乗っていた。

 木田組は、田園地区を縄張りとしている組織で、表向きは家屋の設計、建築、祭り舞台の設営や運営といった土建業の仕事などを請け負っているが、その実態は、都心に本拠地を置く関東有数の暴力団、『暁光会ぎょうこうかい』系に属する、れっきとした反社会組織だ。

(確か、暁光会のお偉いさんが山村地区の東家と古い付き合いがあって、その縁故えんこで尾前町に事務所を置いているんだったか)

 もっとも、今では、新国際空港開発の土地問題を巡って暁光会のお偉いさんと木田組の組長との間で意見が割れ、分裂状態にあると聞いている。

 要するに、木田組は国側に付く一方、暁光会の上層部は政策に反対しているということだ。

(村社会の人間模様ってのは往々にして複雑怪奇、都会に生きる人間には理解できないことがざらにあるからな)

 ここだけの話、木田組は地元の有力者である明道銀行に命じられ、政府の土地収用の片棒を担いでいる。

 つまり、今のような脅迫行為を各地で繰り返してる。

 土地関係のいざこざは、いわゆる民事問題なので、警察は動けない。

 その盲点を突き、彼らはこうして好き勝手やってるわけだ。

(だから、おれが出る幕はないんだよな)

 とはいえ、暴力団の末端が居丈高に吠えているのを黙って見過ごすというのも寝覚めが悪い。

 彼らが血気にはやるあまり暴力沙汰に発展し、警察が動き出しても困る。

 ……仕方ない。

 渋々、露木のもとに歩み寄る。

「鈴蘭はそこで待ってろ、絶対に来るんじゃねーぞ」

 身を竦ませている鈴蘭に隠れているよう指示する。

「え、でも……、周平くんは?」

「おれなら大丈夫だ。さっきは、ああ言ったが、じつは、こういう修羅場には慣れている」

 伊達に父から英才教育を施されたわけじゃない。

「え、そうなの? 無理してないよね?」

「ああ、平気だ。昨日もこれと似たようなことがあったしな」

「……そっか、大変だったんだね」

 不安そうな面持ちから一転、同情の表情に変わる。

 まあ、変に気遣われるよりは気が楽だからいいんだけど。

「いいか、おれが合図するまで出て来るんじゃないぞ?」 

「う、うん……わかった、けど……」

 どうにも歯切れが悪い。視線をあてもなく泳がせる一方、何かを伝えたそうに、目線をちらちらとおれに送る。

「なんだ? ……手短に言えよ」

「……無茶、しないでね?」

「……もちろんだ」

 鈴蘭に見送られ、依然として火花を散らす野郎どもの元へ近寄る。

「おいおい、せっかく立派な教会があるって言うから来てみれば……」

 わざとらしく声を張り上げる。

 思った通り、奴らの視線が一斉にこちらを向いた。

「……っけ」

 野郎二人はおれの姿を見とめるや否や、つまらなさそうに唾を吐く。

「っち……」

 露木は露木で、見られたくない場面を目撃されたと言わんばかりに舌打ちする。 

(わかりやすい反応だなー)

 露骨な嫌悪感を示す二人組と露木の冷たい視線をよそに、三人の状態を確認する。

 部外者の登場に興醒めしたか、柄の悪い二人組は間合いを取って距離を置き、互いに睨みを利かせるにとどまる。

(まあ、最初からこれが狙いだったわけだが)

「なんだ、てめえは?」

 やり場の失った怒りの矛先をこちらに向けるように、トサカ頭のにーちゃんがガンくれる。

「おれか? 見てわかるように、ただの通りすがりの学生だよ」

 律儀に名乗る。

「あ? 舐めとんのか、ワレ?」

 スキンヘッドのオヤジが血相を変えておれを睨む。

「部外者はすっこんでな。怪我したくなけりゃあな」

 犬か何かを追い返すように冷たくあしらう。

 だが、ここで引き下がっては元の木阿弥もくあみ

「残念ながら、おれは部外者じゃねーよ」

 露木の方を見て言う。

「あ、なんだと?」

 トサカのにーちゃんがニワトリのようなカクカクとした動きでガンくれるが、怯むことなく続ける。

「おれは、こいつの同級生でね。クラスメートがやられそうになっているところを、みすみすと見過ごすわけにはいかねーんだわ」

 胸を張って答える。

 ブチッと、血管の音が切れる音が聞こえた気がした。

「……いい度胸してるじゃねえか、ボウズ」

 ポキポキと関節を鳴らし、準備運動とばかりに首を回す。

「いっぺん、死んでみっか? あ?」

 男が腕を振り上げる。おれは咄嗟に身構える。

 びゅん、と、風切り音が聞こえた――その瞬間だった。

「……待ちな」

 まさに流血沙汰の騒動に発展しようとする寸前、意外な人物から待ったがかかる。

 男も、腕を振り上げたままの格好で動きを止めていた。

 声がした方を見る。向けられた視線の先。大きな鐘がつり下がる塔の陰に、ひとりの男の姿があった。

「明星……」

 露木がその名をこぼす。

(……なに……)

 驚いて人影の方を凝視する。

 おれたちの前に現れたのは、あの明星だった。威圧的に顎を高く上げ、虫けらでも見るような暗い目つきで周囲をぐるりと瞥見べっけんする。

 不敵な笑みを浮かべる明星を、露木は鋭く睨み付ける。

「そうカッカすんなよ、ギンバエ……。見ろ、自慢の鼻が怒りで赤くなって、まるで山に住む天狗のようだぜ?」

「……っ」

 露木は、対峙する明星の野郎に身体的特徴を揶揄やゆされ、憎々しげに唇を噛み締める。

(……まさか、とは思ったが)

 下品な明星の漏らす鼻声まじりの濁声だみごえに、頭が痛くなる。

「てめえ……」

 露木は明星を睨み付けるが、対する明星は気にも留めずに不気味な笑みを浮かべている。

「おまえら、ここは一旦退きな」

 明星が、例の強面二人組に顎で指図する。

「しかし、坊ちゃん……」

「聞こえなかったのか? ……こう見えてオレは短気なんだがなあ」

 連中顔負けの恐ろしい形相。

「……へい」

「……わかりやした」

 たかだか学生風情の明星に恐れをなしたというのか、ガラの悪い二人組は小さく頷くと、すごすごと明星の後ろに下がる。

「まったく、聞き分けのねえ連中だな。無駄な騒ぎを起こすなと、あれほど口酸っぱく言っているのにもかかわらずよお」

 つまらなさそうに口を歪め、ペッと唾を吐く。

(こいつら、一体、どんな関係なんだ?)

 どう考えても普通じゃない。

(しかも、奴ら、明星のことを『坊ちゃん』と言っていたな)

 何やらきな臭い。怪しいニオイがプンプンと漂う。

「……さて、次はてめえらだ」

 どこまでも支配的な人格を持つ明星は、おれたちの方に向き直った。顔には人を見下す下品な笑みを浮かべている。

「……明星、貴様、一体、何様のつもりだ?」

 露木は威圧的に問うが、明星は涼しげに鼻を鳴らすのみ。

「その言葉、てめえにそっくりそのまま返してやるよ、ギンバエ」

「なに……」

「若い衆が言ったように、ここはすでにオレたち明道銀行のもの。てめえのような部外者が土足で踏み込んでいい場所じゃねえんだよ」

「…………っ」

「しかもその上、未だに孤児院を守ろうとしているなんてお笑いぐさだ。へどが出るぜ。てめえのやってることはまるで無意味、まさしく偽善者のやることだぜ。こんなごみ溜めのような施設を維持したって金の無駄なんだから、当然だがよお」

 口角を醜く歪ませ、挑戦的にほくそ笑む。

 露木の方は、拳をギュッと握り締め、込み上がる怒りを無理やり押し殺しているようだった。

 静かに闘志を燃やす露木をよそに、さらに明星は続ける。

「しかしギンバエ、何だってこんなごみ溜めに固執する? 結局はここも取り壊される運命だってのに、悪あがきも大概にしとけや。それとも何か? いわゆる同類相憐れむってやつか? ……くっく、だろうな、虫けらのお前にはお似合いだぜ。何なら、ここにいる奴らもごみくず同然、ギンバエ同様のうじ虫に過ぎねえんだからよ。こんな乞食ども、クソの役にも立ちやしねえ。生きていたって目障りなだけだ。そんなこと、てめえも百も承知だろうが。神に見放された存在に、価値なんざ微塵もないんだからなあ」

「明星、貴様ぁ……!!」

 一難去ってまた一難。今にも殴り合いに発展しそうな、一触即発の気配。

 ……あまりにも憶えがある光景。

(学校で一悶着あった後だというのに、よく飽きないな)

 懲りずにいがみ合っている野郎二人を眺めながら、思う。

 暴れん坊の明星に、ぶっきらぼうな露木。おおよそ神とは縁遠そうな奴らと教会で出くわすというのは、まったくもって奇妙としか言いようがない。

(おれも人のことは言えないがな)

 とはいえ、このままこうして事態を傍観し続けるわけにもいかない。

(……一応、恩を売っておくか)

 頭の中で策略を巡らせ、いよいよ行動に移す。

「――おいおい、穏やかじゃないな。こんな場所に来てさえ口論とはよ」

 一歩も譲らない露木と明星とのあいだに割って入り、行動を制する。

「……黙れよ、てめえには関係ないだろ?」

 余計な口出しは無用とばかりに威嚇する明星は、肩を怒らせておれの方に詰め寄ると、鬼のような形相で凄む。

はすっこんでな。これはオレとギンバエの野郎との問題だ。要らん口出しするじゃねえよ。……それとも何か? わざわざ殴られに来たとでも言うんか? あ?」

「悪いが、そんなつもりは毛頭ないぜ」

「なんだと?」

 ピクリと、奴の太い眉が跳ねる。

「明星、お前はこの教会をバカにしたようだが、おれは逆に、お前の高慢な態度が気に食わない。一体、どんな権利があって他者を悪しざまに言い、ともすれば見下すというんだ? お前にそれだけの価値があるのか? もし、あるなら、おれにもよくわかるように説明してくれ」

 自分でも歯が浮くようなセリフだと自覚している。

 だが、明星の気を逸らし、あまつさえおれの方に怒りの矛先を向けられれば、それでよかった。

 現に、明星は、今にも掴みかかりそうなくらいに血管を浮き上がらせ、蛇のごとく形相で思い切りおれを睨み付けている。

「風祭……」

 露木が驚いたようにおれを見る。まるで、信じられないとでも言いたげに。

 その目に宿る光の奥で、奴が何を考えていたのかは、おれには知る由もないが。

「……かかか……」

 ついに、怒りを通り越したのか。明星はニタァーッと歯を剥き出しにすると、不気味に笑い始める。

「風祭くんよぉ、オレが誰か知ってて物を言っているんだよなあ?」

 このセリフに、おれは勝利を確信した。

「さあね、会って一日も経ってない人間のことなんて、よく知らないのが普通だろ」

「だったら、教えてやるよ」

 憤然とした態度でおれを見下ろす。

「オレはな、ここらじゃ、ちったあ名の知れた家のモンなのよ。都会暮らしの小便くせえ青二才にはわからんだろうがな」

「へえ……」

 ……知っているさ。

「ここの教会も、孤児院も、オレの家が寄越した多額の寄付で成り立っているんだよ。だから、ここで何をしようとオレの勝手だ。誰も、文句は言えねえ」

「ふーん、そいつは凄いな」

 素直に感嘆の息を漏らしてみせる。

 確かに、以前、耳に挟んだことがあった。明道銀行は福祉活動の一環として慈善事業も行っていると。それが、この孤児院を始めとした福祉施設の資金援助なのだろう。

 つまり、明星は嘘を言っていない。

「たとえ、今ここでオレがお前をはっ倒したとしても、周りの人間は見て見ぬふりさあ。くく、何も御咎おとがめ無しというわけだ」

 確かに、それは他の人間からしてみれば脅威以外の何物でもない。手の付けられない猛獣が檻から出され、野放しにされているようなものだ。

 しかし、おれは、獰猛どうもう且つ野蛮な獣を手懐ける術を知っていた。

「おれ、じつは、ある家に下宿させてもらっているんだ」

「……あ? それが、何だってんだ?」

って言うんだけど、知ってるか?」

「……!」

 おれの言わんとすることを理解したか、明星の奴は驚愕に目を丸くさせたあと、その角張った顔をピクピクと引きつらせる。

 蔵屋敷は、ここの土地を多く有している。その上、例の国家計画のもとに元々保有していた膨大な土地の一部をすでに献上していた。

 とすると、当然、銀行家のお偉いさんも、彼らを懇意こんいにし、並々ならぬ敬意を払っているはずだ。

 これを知らないほど、奴は間抜けではなかった。

 ――妙な沈黙があった。

 おそらくだが、おれの言うことが本当かどうかを天秤にかけているのだろう。

 カマをかけているのかもしれない。そう疑うのは当然だ。

 しかし、この町に来て一日二日のおれの口から、地元の名家の名が飛び出ることなどあるだろうか……?

「ちなみに、そこにいる彼女が、蔵屋敷の娘さんだ」

 とどめとばかりに、物陰からこっそりこちらの様子を窺う鈴蘭を一瞥いちべつする。

「……ぺこり」

 おれの合図に合わせ、ひょっこり顔を出した鈴蘭が、小さく会釈する。

 流れは、完全にこちらへと傾いた。

「……なるほどな」

 見かけに反して頭の回転が速いのか、すべてを理解したように重たくつぶやく。おれの言うことが、こけおどしのハッタリではないと判断したようだ。

 奴は、改めておれを見る。

 おれも。やつを見据える。

「どうやらてめえは、只の無鉄砲な阿呆あほうじゃねえみてえだ」

「お前も、単なる筋肉馬鹿というわけじゃないみたいだな」

 しばし睨み合った後、どちらともなく、半歩、後ずさる。

「……さすがに今回は分がわりぃ。今日のところはこれくらいで勘弁してやらあ」

「そいつはありがたいな、おれもそろそろ教会辺りを散策したくなってきたんでね」

 目には目を、歯には歯を。

 権力を鼻にかける人間は、権力に逆らえない。

 だったら、おれは、奴らのその性質を利用してやればいい。

 表面上は笑い合うが、心の中では相手を軽蔑し、敵視し、憎み合う。

 おれたちは互いに相容れない存在だと、胸の奥深くに刻み付ける瞬間だった。

「だがな、覚えておけよ、ギンバエ……」

 振り向きざまに、明星は露木を鋭く睨む。

「すべてはすでに決まったことだ、今さらどう喚いたって事実が覆されるわけはねえ。そんな小憎らしい正義感など、クソの役にも立たねえ。むしろ、てめえの弱さをいたずらに強調するだけだとな」

「……ふん」

 くだらんとで言いたげに鼻を鳴らす。

「てめえら、行くぞ」

「へ、へい」

「わかりやした」

 強烈な捨て台詞を吐くと、奴は、借りてきた猫のような状態のお供を連れて去っていった。

「……周平くん、だいじょうぶ?」

 危険が過ぎ去ったのを確認し、鈴蘭がとたとたと駆け寄ってくる。

「それにしても、あの人、なんなの? なんだか偉そうにしてるし、口調も乱暴だし、感じ悪いねー」

 鬼の居ぬ間に洗濯か、溜まったうっぷんを晴らすように陰口を叩く。

「まったく、もう、なんだか塩まいてやりたい気分。二度と来るなーっ! って。ね、周平くん?」

「同感だぜ。できることなら、あんなのとは金輪際関わり合いになりたくねーな」

 べーっと舌を出す鈴蘭に同意を示す。

「……なあ、風祭」

 と露木が声をかけてくる。

「……その子が、例の?」

 彼は、おれの背に隠れるように立っている鈴蘭を興味深そうに眺める。

 逆に、鈴蘭は、神妙な顔で自分を見詰める露木に対し、どこか怖がっている様子だった。

「親戚の子だ」

 少々緊張気味の鈴蘭の代わりに答える。

「この教会をひと目見たいって言うんで、連れてきた。別に、やましい気持ちは微塵もないさ。そうだろ、鈴蘭?」

「う、うん。わたしたちは、そんなつもりは……」

「……そうか」

 奴はそれだけを言うと、静かに口を閉ざした。

 そして、ゆっくりと、辺りを見回す。花壇、教会、塔、孤児院の順に目をやり、最後にまた、花壇に咲いた花の方に視線を落とす。

 ――とても、悲しそうな目をしていた。

「…………」

この一連の動作で、露木の方に危険はないと判断したのか、鈴蘭はおれの背から離れると、目の前に躍り出る。

「は、初めまして。蔵屋敷鈴蘭と言います」

 ぺこりと、丁寧にお辞儀する。

「家は農家を営んでて、わたしも手伝ったりしています。それで、えっと、そこにいる周平くんとは親戚同士で、昔からよく一緒に遊んだりしていました」

 律儀に自己紹介する鈴蘭の甲斐甲斐しさに触れ、露木は小さく噴き出す。

「……俺は露木銀治郎だ。さっきは怖がらせて悪かったな」

 気難しそうなすまし顔から一転、相好そうごうを崩して名乗る。

「この風祭とは、クラスが同じ。しかも席が隣同士という因縁がある」

「え、そうなんだ! じゃあ、二人はもう友達なんだね!」

「……それは、どうかな」

 露木と顔を見合わせ、首を傾げる。

 改めて友達かと言われると微妙なところだが、ここまで関係を築いてしまった以上、顔見知りというだけでは語れないだろう。

 それにしても、いつもの砕けた感じと違い、どことなく形式ばった堅苦しい挨拶をする鈴蘭の姿は新鮮に映った。まったく、変なところで生真面目な奴である。

「そういえば、間違ってたら悪いけど……、露木くんって、ひょっとして、『露木診療所』の露木なの、かな?」

「……その通りだ」

 肯定はするものの、なぜか不機嫌そうだった。

「あー、やっぱり! 最初に名字を聞いた時から、そうじゃないかと思ってたんだ!」

「知ってるのか?」

 興奮気味の鈴蘭に問う。

「知ってるも何も、露木くんは、町に唯一あるお医者さん、『露木診療所』の人なんだよ!」

「……へえ」

 知っている。

「だから、町の人はみんな、診療所に一度はお世話になったことがあるくらいなの!」

「確かに、町にひとつしかない診療所なら、当然だよな」

 そして、ここにいる露木は、そこの跡取り息子みたいなもの。

(下手すれば、明星の奴よりも凄い肩書きだが……)

「しかし、まあ、露木も人が悪いな。そんな大事なことを、初対面のおれに言わないなんて」

「……別に、おおっぴらにすることでもないしな」

 つっけんどんに言う。

「それに、そろそろ俺のことより、自分たちのことを気にしたらどうだ?」

 わざとらしく話題を逸らすように、教会堂の方に視線をやる。

「二人は、教会を見ていくんだろ?」

「あ、そうだった」

 えへへと愛想笑い。

「あいにく、今日は空いていないが、明日は別だ」

「そうなんだ?」

「日曜日は、毎週、そこの教会堂で礼拝をしている。もちろん、一般開放して行われる」

「へー」

「教会の習わしやしきたりに興味があるなら、明日、また来るといい。孤児院の子も、教会堂の人たちも、皆、温かく迎え入れてくれるだろう。ここは、そういう場所だ」

 柔らかく笑う露木につられるように、鈴蘭も今まで以上に表情を緩める。

 意外だった。露木の奴が、こんなふうに笑うのが。いつも、しかめっ面している印象があったので、ちょっと驚いた。

「……明星のように、この神の幕屋まくやを荒らすのでなければ、いつでも大歓迎だ」

 穏やかな口調で語る露木の瞳には、その落ち着き払った所作とは正反対の、ギラギラと真っ赤に燃える熱い情念が込められていた。

 おれは、その眼に秘められた恐るべき輝きに魅入られ、戦慄せんりつする。

(……こいつ……)

 田舎によくいる、只の風変わりな奴だと思っていたが……。

 少し、認識を改める必要がありそうだ。

 あいつの、あの目……。

(あれは、相当な覚悟を背負った人間だけがすることを許された目つきだ。この世のすべてを敵視し、嫌悪する人間だけが持つ目の輝きだ)

 その威圧感は、明星の野郎の比ではない。

 そう、まるで奴は……。

「お前たちは、まだ町を見てまわるのか?」

「うん、ここ以外にも周平くんには見てもらいたい場所があるからね」

 神を信仰している素振りを見せながら、すべてを憎み切っているような側面を見せる露木銀治郎という男を警戒するおれの代わりに、鈴蘭が返事する。

「そうか、……仲が良いんだな、二人は」

「えっ?!」

 したり顔の露木にからかわれ、鈴蘭は顔を真っ赤にする。

「急に何を言い出すんだよ、お前は……」

 鈴蘭が思いきり動揺してるじゃねーか。 

「変な意味はない、単純に思ったことを口にしただけだ」

(まあ、お前はそうかもしれないが……)

「……大事にしろよ」

「あ?」

 あまりよく聞き取れなかったので、問い返す。

「……何でもない」

 だが、にべもなく突っ返される。

「……そうか」

 おれも、それ以上は追及せず、鈴蘭と共にその場を離れた。


 …………………………。


 ……………………。


 ………………。


 鈴蘭の先導のもと、町を色々と見てまわる中、おれは、あいつが見せた恐ろしい目の色を、もう一度思い返した。

 ……悪魔の顔。そうとしか形容しようがなかった。

 そして、それは、いつか見たような誰かの一面と酷似していた……。

「…………」

 頭が痛くなる。

 田畑に囲まれてひっそりと佇む教会と、孤児院。

 奇妙な既視感と、嫌な記憶に板挟みとなったところで、おれは思考を取りやめた。

 頭痛は、まだまだ続きそうだった。

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