第二話 初登校

 また、夢を見ていた。

 おれは、芝生の絨毯に仰向けになっている状態で目を覚ました。

 半身を起こして周囲を窺えば、そこは確かに見覚えのある場所だった。

 静寂をたたえた湖畔こはん、どこまでも続く青い空、背の高い木々が生い茂る森林、そして、おれが寝ころぶ新緑の草原。

 おれは、暫定的ざんていてきに、この場所を『夢の世界』と呼ぶことにした。

『夢の世界』では、時間が止まっている。ここでは一切の変化が訪れないからだ。

 ただ、穏やかな自然の景観が辺りに広がるばかりである。

(どうして、おれはここにいるんだろう?)

 漠然と、そんな疑問が思い浮かぶ。

 ひどく、場違いな気がした。

 ここに、おれが存在していい理由がない。

 寸分の狂いもない『夢の世界』と比べて、自分が、どうしようもない不純物に思えてくる。

(おれは、本当は、どこにいるべきなんだろう?)

 不意に生じた微かな疑惑は、やがて大きな亀裂を走らせる。

『夢の世界』は、おれの心境の変化によって如実に姿を変容させた。

 すべてが崩れていく。

 足元が崩壊し、天が割れる。

 身体が浮遊し、意識が落下していく感覚の中――。

 世界と世界が寸断される、その寸前で――。

 おれは、確かに声を聞いた。

「また、会いましょう」と――。


 その声で、おれは、目を覚ますのだった。


 …………………………。


 ……………………。


 ………………。


 意識と記憶が錯綜する中、ゆっくりと身を起こす。

 時間は明け方。東に見える山の隙間から、昇ったばかりの太陽が顔を覗かせている。

 窓から差し込むささやかな陽光を浴びながら、は、自らに課せられた使命を再確認する。

 ……運輸省に勤める政府高官である風祭かざまつり宗吾そうごに命令され、おれはこの町にまでやって来ていた。

 というのも、以前、運輸省宛てに、こんな手紙が届いたからだった。


『大国にかしずく愚かな諸君らへ――。

 即刻、新国際空港開発計画を中止せよ。さもなくば、彼の地に眠る忘れ去られた神が、幾年にわたる重たい沈黙を破って目を覚まし、再びの悲劇を引き起こすことになるだろう。互いに離ればなれとなった星々が巡り合うその時までに決断を下さなければ、神はその鉄槌を無慈悲に振り下ろすだろう。

 覚悟せよ、人々から吸い上げた血税で私腹を肥やし、神代の国土を痩せ衰えさせる拝金主義者どもよ。自らの行為を悔い改めよ。審判の時は間近に迫っている。

 日本を愛し、敵国を嫌う――亜細亜アジア八月同盟より』


 亜細亜Asia八月August同盟Alliance、通称『AAA』は、極左派に位置する反社会的組織で、目的実現のためには手段を選ばない過激な連中だ。

 国防を揺るがしかねない危険な組織から犯行声明文が送付されたとなれば、さすがの日本政府も黙ってはいない。

 これまでにも、こういった脅迫文や怪文書の類は、政府の推し進める新国際空港開発計画に反対する団体や、現行政府をよく思わない過激派の連中から幾度となく送られてきたと、父は一笑いっしょうしていた。

 しかし、今回ばかりは今までと事情が違った。

 具体的には、犯行声明文に書かれたとある一文に、これが単なる国賊の嫌がらせだと捨て置けない秘密が隠されていたからだ。

『彼の地に眠る忘れ去られた神』――。

 父に言わせれば、この《忘れ去られた神》というフレーズが、どうにも気掛かりらしい。

 なぜなら、目下、新国際空港建設のために土地を買い上げ、山々を切り崩し、着々と計画の準備を進行させているこの尾前町には、一部の人間にしか知らされていない土着の神様が存在しているからだ。

 つまり、尾前町の中でもほんの一握りの人間しかその存在を認知していない神を知る人物が、犯人あるいは犯人の協力者の可能性が高い。

 そう推理した父は、予定通り計画を進める一方で、今世紀最大級の国策である新国際空港開発を阻止しようと企てる不遜な輩を一網打尽にしようと、かねてから極左派の一斉検挙を目論む公安とも連携しながら、ある策を講じた。

 その策というのが、おれの存在の是非に大きく関わっている。

『新国際空港開発予定地特別派遣調査隊』――通称、特派員。それは運輸省の人間でも一部の者しか名乗ることを許されない、政府公認の特権を付与された、名誉ある称号だった。

 おれはまだ正式には政府の人間ではないが、幼少の頃より特別な訓練を受け、いずれは父を超える役人となるべく厳しく育てられてきた。

 ゆえに、今回の脅迫文に端を発する騒動を鎮圧するための一人として、父の名の下に異例の抜擢ばってきをされた。

 特派員。父から直接その肩書きを与えられたおれは、選ばれた他の数名の精鋭と共に、秘密裏に現地調査を命じられ、今に至る。

(……いよいよ、か)

 おれには、ある目的があった。

 特派員としての役割ではない、別の目的が。

(……絶対に成し遂げてやる……)

 柔らかな陽光が差し込む窓際に立ち、決意を固める。

 日は、もうすでに高く昇り始めていた。

 おれは、ゆっくりと目を閉じ、過去の記憶に思いを馳せる。

 それは、思い出と言うには生ぬるい、一刻も早く消し去るべき、忌まわしい代物だった。


「――

 ダーク・スーツに身を包んだ、背丈の高い男。

 と呼ばれる人物が、おれをその名で呼ぶ時、心の底から恐怖した。

 なぜなら、父がその名でおれを呼ぶのは、決まっておれがミスを犯した時だからだ。

「ぐっ――」

 思い切り胸倉を掴まれた直後、おれは床に勢いよく放り出された。

「なぜ、私の言うことが聞けない?」

 降り注がれる冷たい響き。

 眼鏡の下に覗く冷徹な眼差しに、幼い日のおれは震え上がった。

「本当に、つまらん生物だな、貴様は」

 固い床の上に直接正座するおれを見下し、吐き捨てる。

。幼稚園児でも理解できる簡単なことが、なぜ貴様にできない?」

 おれは膝に手をつき、震えながら俯いていた。

 父が用意したテストは、当時、小学生だったおれには難し過ぎた。

 だが、父にそんな言い訳が通用するはずがない。

 父は厳格な人物だった。一糸乱れぬ装いに象徴されるように、わずかな瑕疵かしも見逃さず、どんな些細な失態も認可しない。

 だからこそ、であるおれの犯したミスを絶対に許さない。激しく怒鳴り散らし、罵倒し、人格を否定する。

 だが、父の怒りが感情的で突発的なものではなく、用意周到に意図して演じられたものだと知ったのは、もっとずっとあとのことだった。

 何も知らないガキだったおれは、嵐が過ぎ去るのを待つように、ただ、ひたすら、この時を耐えるしかない。

「くだらん、本当につまらない生物だな、貴様は」

 おれは床に思い切り叩きつけられ、大きな手で頭を押さえ付けられる。

「貴様は家畜……家畜以下だ。知識のない人間など、この社会にはまるで不要。何の利用価値のないゴミクズだ。むしろ、人間の役に立つ分、家畜の方が有用ですらある。貴様は、薄汚い小屋の中を這いずり回るしか能のない家畜にも劣る存在だということだ」

 何も言い返せない。

「家畜に言うことを聞かせるには、なにが一番効果的か知っているか?」

 身体を押さえ付けられながらも、おれはどうにか首を振るう。

 間髪入れず、平手打ちが降って来た。

「それは暴力だ。家畜には知性がない。ゆえに、まったく人語を解さない。だから、主人の言うことを聞かせるために鞭を打つ。そうして、良いことと悪いことの区別をさせる」

 もう一度、物凄い風切り音がおれを襲う。目の前が白み、口の中に鉄の味が広がる。

「家畜以下の貴様も同様に、私の言葉をまるで理解していない。ゆえに、こうして身体に直接言い聞かせるしかない。悪は悪だと、その惰弱だじゃくなる身体に刻み込ませるように」

 何度も、何度も、父はおれを殴った。そのたびに、おれの頭は揺れ、臓器が歪み、全身が悲鳴を上げる。

「わかったか?」

「く……あ……」

 声を発することができない。もはや痛みをこらえるので精一杯だった。

「わかったかと聞いているんだ!!」

 父の怒号が降りそそぐ。

「は……、はい……」

 意識が飛びかけるも、なんとか声を絞り出す。

「よろしい」

 そう言って父はおれを開放すると、満足げに息を吐いた。

「……ようやく、それらしい顔付きになってきたな」

 鋼鉄のような冷たい顔に貼り付けられた、黒い笑顔。

「国家に忠実な公僕こうぼくに相応しい、血走った目だ」

 父の言葉に、心が急速に冷えていくのを自覚した。

 地獄は、まだ、始まったばかりだった。


 ――5年。

 あれから5年経った。

 から徹底した教育を施されたおれは、周囲から『天才』と持てはやされるほどの圧倒的な学力をつけた。

 今では、政府に強い影響力を持つ風祭宗吾の跡を継ぐ最有力候補の一人とも目されている。

 約束された地位と、名声。

 誰もが羨む場所に、おれは立つ。

 それでも、一向に気分が晴れない。

 富? 権力?

 それが何だというのか。

 おれには、ある野望があった。

 そのために、一時的にに従っているまでの話だ。

 おれが、何のために地獄の日々を耐え抜いたのか。

 ――約束。

 約束がある。

 ずっと昔……。

 ……あの日、あの時、5年前に交わした、約束が。

 「…………っ」

 酷い頭痛が襲って来た。

 おれは思わずひたいを押さえる。

 脳の中身が大きく揺さぶられるような不快感。

 乱れそうになる呼吸を整え、飛びそうになる意識をどうにか保つ。

 ……おれは確かに知識を得た。他人を騙し、誤魔化し、欺くだけの知恵をどうにか自分のものにした。

 しかし、膨大な知識と引き換えに、ある代償を背負った。

 常に、頭が痛い。それも、時には意識を奪いかねないほどに痛みが肥大化することもある。いわゆる偏頭痛というやつだ。

 一度、頭痛が酷くなると、もはや正常な思考はままならない。気付けば、数十分から数時間ほどの時間が経過していたこともある。

 まるで、おれがおれでなくなっていくかのようだった。

 実際、おれは、昔のおれとは違うのかもしれない。

 と呼ばれるおれは……、もう……。

 「………………」

 目の前が白む。意識が混濁し、だんだんと息が荒くなる。

 だが……、それでも……。

 胸の奥で煮え滾る、抑え切れないほどに膨れ上がった憎悪。

 いやしくも国家の犬に身をやつすおれを、依然として突き動かすもの。

 それは……。

「……いよいよ、始まる」

 待ちに待った復讐が。

 そして、『亜細亜八月同盟AAA』を陰で操る――司令塔ハンドラーとしての最後の戦いが。

「邪魔はさせんぞ、……」

 忌まわしきその名をつぶやく。

 であって、でない者――対自的存在。

 頭痛はいよいよ激しくなる。

 そこで、意識がぷっつりと途切れた。


 …………………………。


 ……………………。


 ………………。


 ――午前8時過ぎ。

 朝だと言うのに木造校舎の内部は薄暗く、全面板張りの廊下はどこかジメッとした空気が漂う。

(しかし、昨夜はあまり眠れなかったな)

 本校のようなリノリウムではない廊下で込み上げるあくびを噛み殺し、眠気まなこをこする。

(明日からの生活の具体案を考えすぎて頭が冴えるわ、カエルがうるさいわ、野犬の遠吠えのような物音が聞こえるわ、変な夢は見るわで、散々だった)

 野犬の遠吠えに至っては、方角的に蔵の方だったように思えるが……。

「――起立、礼、着席」

 教室から聞こえる、意識を現実に戻す声。廊下からでも朝礼を行う様子が伝わってくる。

「出席を取る前に、皆に伝えることがある」

 教師のものと思しき言葉を耳に入れ、身構える。

「今日、我が瀬津高校第一分校3年A組に、新たな生徒が増えることになった」

 静寂に満ちていた教室内が、にわかに騒然とする。

(この時が一番緊張するぜ)

 教室内では、誰が来たのか、男か女か、美人か否かと騒がしい。

 だが残念、おれは男だ。

(ああ、男子生徒どもの失望する顔が目に浮かぶ)

 まあ、それはいいとして。

「風祭君、入ってくれ」

「はい」

 教師の声に誘われ、おれは教室の中へと入っていく。

 朝のホームルーム。

 男子は白い半袖のワイシャツと黒ズボン、女子は半袖の黒のセーラー服という、夏服に身を包んだ生徒たちが一斉におれを見る。

 ホコリっぽいニオイのする教室には、数えて10人ほどの生徒がいる。男女の比率は男が8、女が2と言ったところか。

 だからだろう、クラスの連中は、転校生が男と見るや、明らかな落胆の吐息を漏らした。それはもう、クラスの至る所から聞こえるぐらいに。

(男ってのは欲望に忠実だよな)

 敵意と失望が入り混じった居心地の悪い視線を感じながら、思う。

「それじゃ、風祭君。自己紹介を頼む」

 事前に調べた通り、石蕗つわぶきという、変わった名字の若い男性教師が担任だ。

 その石蕗先生に促され、教壇に立つ。

「風祭周平です。瀬津市から来ました」

 生徒たちの好奇の視線に囲まれる中、おっかなびっくり自己紹介を始める。

「趣味は読書で、好きな本は森鴎外の『舞姫』です。こっちに来たばかりでまだまだ不慣れなところが多いですが、少しずつ色々と学んでいきたいです。短い間ですが、よろしくお願いします」

 ぺこりと一礼する。

 ……こんなものかな。

「よし、下がっていいぞ」

 教壇から降りると、代わって先生がそこに立つ。

「知っている奴も中にはいると思うが、改めて先生の口から説明させてもらう。風祭君は、瀬津市内にある本校からこちらの分校に編入してきた。これがどういう意味か、わかるな?」

 心なし厳しめの石蕗先生の言葉で、クラス中がしんと静まり返る。

「彼は、特待生として我が第一分校に編入してきた。つまり、本校でも指折りの優等生というわけだ」

 一挙にクラス全体がざわつく。

 生徒たちのおれを見る目が一気に変わるのが肌でわかった。

(先生……、本人がいる目の前で、わざわざハードルを高く上げなくても……)

 無駄にプレッシャーがかかるじゃないか。

(……まあ、そんなのは今さらか)

 家柄の関係上、周囲から期待を寄せられるのは慣れている。たとえ過度な物であったとしても、おれはそれを一身に引き受けてきた。

 元々、本校の特進クラスに所属していたおれだったが、今までの功績が認められ、模範生としてこの分校に招致しょうちされた。

 もっとも、それは表向きの話だが。

(まあ、本校に比べりゃ、分校こっちなんて遊びみたいなものか)

 あそこは徹底した実力主義の場所。生半可な気持ちで臨めば即落第の厳しい世界だ。

 とはいえ、実弾という名の金をばらまいて無理やり合格、進級させる親がいないとも限らないが。

「皆、仲良くしてやってくれ」

 先生が言うや否や、「ええーっ」と、そこかしこから非難の声があがる。

(おいおい、勘弁してくれよ)

 閉鎖的コミュニティ特有の洗礼に、長い間維持していた作り笑顔が歪みかける。

「先生~、彼は成績優秀の優等生なんですよね~? だったら、オレたちみたいな一般生徒とは釣り合わないじゃないんすかね~?」

 後ろの方に席がある大柄な男子生徒が、不遜な態度で皮肉を言う。

 それを皮切りに、「そうだそうだ」とか、「よそに行け」とか、「お呼びじゃない」とか、好き勝手な野次が飛ぶ。

(……まったく、手荒い歓迎だ)

 毎度のごとく訪れる不条理な展開に、溜め息をつきたくなる衝動が襲う。


 ――バンッ


「そこまでにしないか」

 教壇を強く叩き、語気を強めて先生が一喝する。

「本校の生徒を無下に扱ったことが知れたら、あちらのお偉いさんから苦情が来る。そうなると、罰せられるのはお前たちの方だ」

 厳しい面持ちで教室内をぐるりと見渡す。

「言っておくが、先生だって例外じゃない。特待生にもしものことがあれば、監督不行き届きとして責任を問われるからな」

 ――だから、余計なことはしてくれるな。

 石蕗先生の容赦ない警告に、教室内は再び静まり返った。

(へえ、言うじゃないか)

 彼の見せた教職者らしい対応に、ひとまず安堵する。

 先生の言う通り、瀬津高校本校は国内有数の進学校だ。ゆえに、富裕層の生徒も多く、親類が大物であることもざらで、中には政界にコネクションを持つ人間もいる。

(……まあ、誰かとは言わないが)

 ゆえに、本校からの推薦を受けて斡旋あっせんされた特待生がぞんざいに扱われたとなれば、上の人たちが黙ってはいない。瀬津高校という大きな看板に、傷が付くからだ。

 生徒ないし教師が起こした不祥事の多くは、表沙汰になる直前、強引に揉み消される。

 だから、本校で問題を起こした人間が、分校に飛ばされることもある。

(無論、おれは違うが)

 なにはともあれ、教師の後ろ盾を得たことで今後の活動はしやすくなるだろう。

(学生たちからは反感を買うことになるだろうがな……)

 辺りをちらりと見やる。

 本校にも負けず劣らず、教室には、事前に調査した通りのそうそうたる顔ぶれが揃い踏みだ。医者の息子、町の有力者の次男坊など、枚挙にいとまがない。

「皆も、彼を見習ってますます勉学に励むように」

 先生がハッパをかけたことにより、クラス全体の気が引き締まる。

「……っけ」

 最初に野次を飛ばした男子生徒が、つまらなさそうに不貞腐ふてくされているのを除けば。

「先生からは以上だ。何か質問があれば、挙手して伝えるように」

「はい、先生」

 早速、クラス内でも前の方に位置するひとりの女子生徒が手を挙げる。

 この空気でも怯むことなく、率先して声をあげるとは、なかなか図太い神経の持ち主のようだ。

「なんだ、天宮あまみや

「風祭くんの席は、どこになるのでしょうか」

 天宮と呼ばれた女子生徒が提言したのは、至極しごくもっともな質問だった。

「そうだな……」

 先生はひとしきり考えたあと……。

「よし。露木の隣でいいだろう」

「は? 俺、ですか」

 露木と呼ばれた、壁際に位置する席に着く、目つきの悪い男子生徒が自分を指さす。

「露木と言えば、お前を除いて他にいないだろう」

 この返しに、生徒の誰かが小さく噴き出す。

「……わかりましたよ」

 見るからに気難しそうな露木は、仕方ないとばかりに立ち上がる。

「この机を、俺の隣に持ってくればいいんでしょう?」

 教室の端に寄せてあった未使用の机と椅子を引きずり、隣に置く。

「ほら、これでいいですか?」

 人を食ったような尊大な態度。

 あの大柄な男子生徒もそうだが、どうにも素行の悪い連中の姿が散見される。

 本校には、身なりの整った礼儀正しい奴が多くいたものだが、こっちは逆に不敬な生徒の比率の方が高いようだ。

「それじゃ、風祭君。きみの席は露木の隣だ」

「はい」

 壁際の席まで移動する。

「きみが露木くんか」

 とりあえず、こちらから話題を振る。

「隣の席だと、何かと聞くことが多いと思うから、これからよろしく」

「……よろしく」

 目線を合わせようともせず、つっけんどんに言う。

(まあ、最初はこんなもんかな)

 疑い深そうに細められた三白眼と、まるで中世の魔女を思わせる鉤鼻かぎばなが目を引く露木は、おれに興味ないとでも言いたげに、さっさと教科書とノートを開く。

 色素の薄いボサボサ頭が、奴の人柄の悪さを殊更ことさらに強調した。

(なんだか、自分にしか関心がないって感じだな)

 とはいえ、それは都会も同じか。

(これはこれで、気が楽でいいけどな)

 物は考えようってことだ。

「よし、授業を始めるぞ」

 こうして、この町に来てからの初授業が始まった。


 …………………………。


 ……………………。


 ………………。


「それじゃ、今日の授業はここまで」

 4時限目が終わり、ホームルームを挟んで終礼が行われる。

 今日は土曜日なので、学校は午前中で終わる。いわゆる半ドンだ。

 部活動かクラブ活動でもしていない限り、生徒は蜘蛛の子を散らしたように散開し、さっさと帰宅する。

(さて、おれも帰り支度でもするか)

 と、机の上を整理しようとした時だった。

「おい……てめえ、風祭とか言ったな?」

 ヌッと、巨大な影が覆い被さる。

 見れば、巨漢の男子生徒がおれを見下ろしていた。

「ちょいとばかし、オレと話をしようじゃないか」

 そう言っておれの机にドカッと乗り上げたかと思えば、薄暗い光を覗かせる垂れた瞳で、傲然とこちらを見下ろす。

 例の、朝に野次を飛ばしてきた大柄の男子生徒だと気付いたのは、すぐだった。

「やっぱり都会だとよお、お前みてえな点取り虫が幅を利かせてたのか? ん?」

 偉そうに腕組みし、鼻息荒くふんぞり返る男子生徒。

「まあ、そんなところかな」

 終始、喧嘩腰の男子生徒の動向を注視しつつ、軽く受け答えする。

 角刈りの頭髪、角張った顔付き、鋭い視線。刺々しさを感じさせる見た目通り、性格までとんがった野郎だ。

「ならよお、あんまり調子に乗らねえ方がいいぜ?」

 にやりと不敵な笑み。

「向こうじゃそうだったかもしれねえが、ここで物を言うのは、なんと言っても暴力と権力よ。そして、オレはその両方を持っている。これが何を意味するか、お利口さんの転入生にならわかるよなあ?」

「……へえ、確かにそれは恐ろしいな」

 確かにこいつの素性をかんがみれば、陳腐な脅し文句もあながち的外れではない。

「だったら、これ以上、出しゃばるんじゃねえぞ? 痛い目見たくなかったら、大人しくすっこんでることだ。さもなくば、地獄がお前を待ってるぜ」

「……なるほどね」

 お手本通りの月並みなセリフ。

 だが、おれとしても、あまり事を荒げたくない。

 ここは素直に引き下がるとしよう。

「……よせよ、明星みょうじょう

 執拗にまとわりつく男子生徒をどうにか煙に巻こうと画策していると、不意に横槍が入る。

 隣の席の露木が、おれと、明星と言う男子生徒の間に割り込んだのだ。

「なんでえ、……。まさか、こいつの肩を持つわけじゃねえよな?」

(ギ、ギンバエ……)

 あまりにもあんまりなあだ名に、意図せず吹き出しかける。

「それもあるが、お前の図体がデカいせいで、俺も割を食うんだよ」

 言われて見れば、露木の席は明星によって占領されかけていた。

「さっさと、その無駄にデカい身体をどけてくれないか? お山の大将気取りの、木偶でくの坊さんよ」

「おいおい、ギンバエが何やらブンブン騒ぎ立ててやがるぜ? まったく、耳障りにも程があるってもんだ」

 売り言葉に買い言葉。

 露木と明星は、もはやおれのことなど眼中にないのか、互いに睨みを利かせ、一歩も譲らない。

(もしや、こいつらは、元から仲が悪いのか?)

 今のおれに確かめる術はないが、この只ならぬ空気からも容易に察せられる。

「しかし、よく考えてみろよ、明星。まだ分校のことを何も知らない転入生相手に威張り散らし、権威を振りかざして……、みっともないと思わないか?」

「……っけ、よく言うぜギンバエよぉ。毎度毎度、正義の味方ぶりやがって。この偽善者めが。いい加減、うんざりなんだよなぁ」

「言ってろ。所詮、親の七光りしか取り得のないお前にどう思われようと、俺の知ったこっちゃない。実際、お前は自分の力で何を成し遂げた? ん? 何ひとつとして、無いんじゃないのか?」

「んだとコラ? それはてめえも一緒だろうが!」

「そうかよ、まあ、そうかもしれんな。だったら、尚更、少しは実力で物を語ったらどうだ? ……この、転入生のようにな」

「え、おれ?」

 急に話の矛先を向けられ、目を点にする。

「なにぃ……」

 明星の鋭い目つきがおれを見る。

「お前も、こいつのように鳴り物入りで本校に編入してみろよ。そしたら、誰も何も言わないだろうさ。それこそ、存分に威張り散らせるぜ? こんな片田舎の狭苦しい分校じゃなくて、もっと大きな場所で、な」

「……っち」

 露木の挑発が図星だったのかどうかは知らないが、明星は苦い顔をすると、ふてぶてしい態度で机から降りる。

「……やれやれだ。ギンバエがうるさいもんで、すっかり興が削がれちまった。運が良かったな、新入り」

 負け惜しみとばかりに吐き捨てる。

「だが、忠告はしておいたぜ? オレの目が黒い内は好き勝手に出来ないということを、肝に銘じておくことだ」

「…………」

が、調子に乗るなよな……」

 最後にどすの利いた捨て台詞を吐くと、明星は周囲の生徒を散らしながら、肩を揺らし、大股で去っていく。

 明星、か。

(……面倒な奴に目を付けられたもんだ)

 まるで、嵐のような男だ。

 これから、あいつと同じクラスで授業を受けると考えると、自然と気が滅入る。

「……転入早々、災難だったな」

 露木が同情の視線を向ける。

「まったく、明星の奴、相変わらず弱者には強気で……気に食わないな。調子に乗ってるのはどっちだって話だ」

 憎々しげに言う。

「……それにしても、大した度胸だな」

 明星が消えた方向に向けて愚痴を吐いていた露木だが、今度はおれの方に向き直る。今まで浮かべていた渋い顔とは違って、いくらか爽やかな表情だ。

「あの明星と互角に渡り合うなんて、見直したぜ。ここには、奴に逆らえる人間はほとんどいないってのによ」

 初めて見る、露木の笑顔。

 同じように。おれも、ニヤッとする。

「いや、なに、都会にも、ああいったどうしようもない人間はいるもんだ」

 それこそ、腐るほどにな。

「だから、慣れてるって言えば、慣れてるんだよ。ああいう輩の扱いには」

 遠い目で語る。

「ほう、なかなか肝が据わってるな。都会の人間にしては珍しい」

「なぜ、そう思う?」

 問い返すと、露木は少し考え込んだ。

「……これは偏見かもしれないが、都会にはずる賢くて卑怯な奴しかいないと思っていたからな。それこそ、臭いものには蓋をする、見て見ぬふりの精神って奴が深く根付いていると、そう思っていた」

「……………」

 これは、昨今の尾前町に対する政府の干渉を遠回しに批判しているものだと解釈した。

 だから、おれはゆっくりと首を横に振った。

「残念ながら、それはあながち間違ってないぜ」

「なんだ、結局はそうなのか」

「とりあえず、そういうことにしておけ。要するに、おれが特別っていうか、特殊なだけだ。……そう考えとけば、これから無駄な期待をしなくてすむぜ?」

 思わせぶりに薄笑いを浮かべてやると、露木がぷっと噴き出す。

「……お前、面白い奴だな」

「昔から変わり者だとよく言われる」

「奇遇だな、それは俺も同じだ」

「というと、おれたちは似た者同士というわけか」

「そうかもしれないな」

「ははは」

「ははは」

 と、ひとしきり笑い合ったあとだった。

「……明星の野郎は、銀行頭取の息子なんだよ」

 真面目な顔で、露木は言った。

「銀行? それって……」

 心当たりがあった。

「ああ、……明道銀行って知ってるか?」

「……聞いたことはある」

 厳密には、洗いざらい知っている。

 明道銀行と言えば、都心でもまあまあ名の通った地方銀行のひとつだ。

(とはいえ、それはあくまでも地銀という小さな枠内での話だ)

 まあ、こんな田舎じゃ、わりかし大きな権力なのかもしれないが……。

(それでも、まだ、蔵屋敷家の方が勢力が大きい気がするぜ)

 ともあれ、無用ないさかいに巻き込まれるのは御免ごめんこうむりたい。

(降り掛かる火の粉は振り払う必要があるが、わざわざ火中の栗を拾う危険を冒すことはない)

「……あいつの兄は、もっとまともな奴なんだけどな」

 露木が、無念そうにつぶやく。奴の顔に小さな影が差すのを、おれは見逃さなかった。

「ちょっとちょっと、大丈夫?」

 遠巻きにこれまでの一部始終を眺めていた生徒たちの輪を掻き分け、ひとりの女子生徒が駆け寄ってくる。

 現れたのは、動く度にぴょんぴょんと跳ねるポニーテールが元気の良さを象徴する、はつらつな女子生徒。

「何か、変なコトされなかったでしょうね?」

 はきはきとした口調の彼女は、心配そうな表情でおれを見やる。

「ああ、今のところは特に何も……」

「コースケのヤロー、ツワブキがあれほど『本校からの転入生に手を出すな』って言ってたのに! これであたしたちが巻き添え喰らったらどうするってのよ!」

 握り拳をプルプルと震わせ、猛々しく咆える女子生徒。

 おれは、臆面もなく愚痴をこぼす彼女の姿に少々面食らった。

「天宮、気持ちはわかるが、皆がいる中でそんなことを言うのはどうかと思うぞ」

「……おっと、そうね、あたしとしたことが、悔しさのあまりつい本音が漏れてしまったわ」

 露木の言葉で我に返ったのか、勢いよくブンブンと首を左右に振るうと、天宮と呼ばれた女子生徒はおれを見据える。

 曇りのない、透き通った瞳――。

 くっきりとした鼻筋と、自信たっぷりに持ち上げられた桜色の口唇。猫のような切れ長の目が、おれの視界を埋め尽くす。

「あなた、なかなか見込みがあるわね」

 ビシッとおれを指さし、そう言った。

 しかも、自信満々に、腰に手を当てた体勢で。

「……なんの話だ?」

 主語が不在の称賛に要領を得ず、問い返す。

「なにって、さっきのことよ!」

 とぼけんじゃないわと言わんばかりに噛みつく。

「転入初日からあのコースケとやり合うなんて、なかなか骨があるじゃない!」

 コースケというと、さっきの明星のことか。

「それ、そこの露木にも言われたよ。見上げた根性だってな」

「あら、そうなの? なんだ、先を越されちゃったわね」

「……まあな」

 おれに言われると、露木は照れ隠しのためか、視線を逸らし、ポリポリと頬を掻く。

「とにかく、ギンジ……露木が認めたってことは、これはもう相当なものよ! 光栄に思いなさい!」

「はあ……」

 なんで天宮が偉そうに言うのかがわからないが、とりあえず頷いておく。

「うーん、コレは久々に面白くなってきたわね……!」

 顎に手をやりながら、値踏みするようにおれをジロジロと眺める天宮。正直言って、かなり居心地が悪い。

「……よし、決めたわ!」

 ひと際強い口調でそう言ったかと思うと、天宮はグッとおれの方に身を乗り出す。

(なんなんだよ、一体……)

 距離感の近過ぎる天宮の威勢のよさにたじろぐが、彼女はまったく意に介した様子がない。

 そればかりか、キラキラと輝く両目を真っ直ぐに向けて、こう言ってのけた。

「風祭クン! あなたには素質があるわ! それも、今までにないくらいの才能をひしひしと感じるほどに! 数年に一度、いいえ、百年に一度の逸材よ! そう言っても過言じゃないわ! よって、特別に、我が『文芸部』への入部を許可するわ!」

「……はい?」

 思いもよらぬ展開についていけず、間抜けに返事してしまう。

「ちなみに文芸部は、教室から出て左に進んだ端っこの多目的室を主に使用しているから、間違えないようにね!」

「いや、それはいいとして……」

 話が明後日の方向に進んで、まったく先が見えないんですが。

「申し遅れたわね、あたしは天宮琴音。文芸部の副部長をやっている者よ」

「ふーん」

「で、この露木……、通称、『ギンジ』は、あたしと同じ文芸部のメンバーなのよ」

「へーえ」

「だから、ギンジと席が隣同士のあんたも、文芸部の一員として見なすわ。光栄に思いなさい」

「いやいやいや! その理屈はおかしい!」

 こじつけにも程がある謎理論を真っ向から否定すると、天宮とかいう女生徒は露骨に嫌そうな顔をする。

「なに? 他に入りたい部活でも決まっているわけ?」

「いや、そんなことはないけど……」

 そもそも、この学校にどのような部活動があるのかも把握してない。

「じゃあ、決まりね!」

 パンと両手を打ち合わせる。

「だから、なんでそうなるんだ!」

「もう、いちいち文句が多いわね。男なら、一発でビシッと決めちゃってちょうだいよ」

「無茶言うなよ……」

 まだ転入初日だぞ?

「おれは、この学校のことをほとんど知らないんだ。どこにどんなものがあるのかも、全然理解していない。それなのに、いきなり部活動に参加しろって言われても、実感が湧かねえよ」

「仕方ないわねー、それじゃあ、まずは見学から入りましょ」

「最初からそうしてくれ」

「嫌よ、あたし、妥協するのはキライなの」

(……この女……)

 言わせておけば、好き勝手しやがって……。

「じゃ、ギンジ。新人クンの案内よろしくね」

「は? なんで俺が……」

「いいじゃない、隣の席のよしみで、学校の施設と設備の確認がてら、仲良くやってなさいよ」

「いや、別にそれはお前がやればいい話だろ」

「相変わらず鈍いわねえ! アタシは部室で準備することがあるの! もう、気が利かないんだから」

「……てめえ」

「そういうワケで、あとはよろしく!」

「あ! てめ、ちょっと待て!!」

 片手を挙げて一目散に駆け出す天宮。その後を追おうとする露木。

 だが、露木はおれの方に振り返ると、覚悟を決めたかのように最初の一歩を踏みとどまる。

「……悪いな、あんな女で」

「……いや、露木が謝ることじゃないさ」

「……はぁ」

「……はぁ」

 同じ傷を持つ者同士、重たい足取りで校舎内を歩くのだった。

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