第13話社会人には「オアシス」が必要です。

 気が付けば、月曜になっていた。あのデートで疲れていたからか、日曜は何も考えずベッドでずっと寝るという社会人の休日のような過ごし方をもろにしてしまったのだ。

 しかも、社会人で身についた怠慢のせいでギリギリの登校となるとは何ともみっともない話だ。

 B組の教室の扉を開けると何時もより騒がしい空間と俺への疑心的な視線がそこには広がっていた。どうやら俺の噂をしているらしい。その噂には大いに心当たりがあるので何食わぬ顔で席へと着席した。覚悟してはいたが、それにしても広がるスピードが早すぎる。こんな芸当が出来るのは西ノさいのみや先輩だけだろう。彼女とは近々会わなければいけなくなるのだろう。先が思いやられる。

「おい、ユウ、お前噂になってるぞ。」

 周りの空気を読まずにズカズカと話てくるのは、服部 一、コイツしかいない。

「知ってるよ。大体、噂の内容も訊かなくても分かる。」

「マジか、つまり本当なんだな。」

「まあな。盛られて話されてることもあるだろうが、アルファベットの話が出てこない限り全部本当だ。」

「あの難攻不落のアリス嬢をどうやって落としたんだよ?」

「落としてはねぇよ。デート行っただけだ。」

「同じようなもんだろ?詳しく今度聞かせろよ。「気が向いたらな。」

 はじめがここまで食いつくのも無理はない。彼女はそれだけ有名で、今まで誰とも付き合ったなどという噂すらなかったんだから。

 とりあえず、今日のところは教室ここに居場所はないようだ。周りの視線が痛すぎる。

 D組であるアリスは大丈夫だろうか?と一瞬思ったが、彼女の場合はその美しさからかと思い考えるのをやめた。

 俺は荷物を全て置きっぱなしにして、もうすぐ始まるであろう授業などは全く気にせずに教室を後にして、屋上へと向かった。

 屋上には普段鍵がかかっている扉があって誰も入れないようになっているのだが、その扉はドアノブを左にめいっぱい引っ張りながら、扉を上下に揺すって引くと開く…しかも、扉を閉めるとオートロック機能付きという有難い防犯システム付きだ。(ただ古いだけだが。)

 なので、屋上ここな唯一安全に煙草の吸えるオアシスということでもある。俺はリフレッシュも兼ねて煙草をふかしながら、授業もふけるという素晴らしい時間を過ごす。

「ここで吸うアメスピは最高だ。」

 アメスピは、他のタバコに比べて燃焼時間が長い。そのため、ゆっくりと流れ込む煙は確実に肺を傷付けているのが分かる。これも一種の自傷行為なのだろう。自分を傷つけるというのは実に気持ちいいものだ。それを否定する奴もいるだろうが、筋トレだって本質は痛めつけることなのだから変わりはない。(だからと言って筋トレはしない。)

 ガンガンッ。激しい音と共に扉が開く。子の扉の開け方を知っているのは俺としかいない。

「やはり、ここにいたか柊。よろしくしているか?」

「お久しぶりです、竜胆りんどう先生。」

「久しぶりって程でもないだろう?お前の担任なんだから。月曜にはホームルームがあって必ず会うから、せいぜい一週間ぶりだ。」

 竜胆りんどう凛音りんねは、俺の担任であり俺にとっては実に12年越しの再会である。

 薄化粧をした凛々しい顔立ち。姿勢の良さとコンプレックスであろう胸が邪魔しないおかげでピシッと決まったスーツがしっかりとしたたたずまいを感じさせ、高校生の俺からしたら大人らしく、三十路の俺から見れば27歳という実年齢よりも大人びよう気を張っているようにも見える。

「先生も吸いますか?」

「アメスピだろ?そんな時間は私にはないよ。」

 そう言って、彼女はうちポケットからラキストの箱の縁をトントンと叩き、上手に箱から出た1本を咥えて、火をつけた。

 深く吐いた煙は、燻された香ばしい匂いがする。

「教員の間でも噂になっているぞ、逢峰アリスの件。」

「…そんなにですか。」

「人に積極的に関わろうとしなかったお前が珍しい。何を企んでいる?」

「企むって程じゃないです。ただ『過去の清算』って所ですかね。」

「ほう、彼女と何かあったのか?」

「昔の話ですよ。けど、チャンスだとも思っています。」

「…なるほど、良い傾向か。」

「はい?」

「気にするな、こちらの話だ。そうそう、そろそろ6月にある修学旅行の班決めもある。他の授業は知らんがホームルームは出ろよ。」

「いいんっすか?そんなテキトーで??」

「他の授業は私の管轄外だ。無論、私の英語の授業をサボるなら容赦はしない。」

「怖ぇよ。てか、担任だろ…管轄下にあると思うんですが?」

「そんな、かまってちゃんだったか?可愛いところもあるな。」

 彼女は俺の頭をワシャワシャと撫で回す。恥ずかしい、顔は赤くなってないかな?と本気で思ってしまう。どうも彼女には弱いのだ。

 そして、煙草の火を消してポケット灰皿入れに吸殻を入れた。

「私は戻るよ。お前はお前の好きにしなさい。今日は多めに見てやる。」

「…ウッス。」

 その後、扉へ向かう彼女は一回も俺を振り向くことはなかった。その背中は誰よりも大人びていた。

「もう一本吸ったら、今日は帰るか。―――家に。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る