第11話社会人には「嘘」が必要です。Part3

 空腹も満たしたところで、いよいよドームの最上階である『冬』のフロアへやって来た。

 俺は花には詳しくはない。今だって、タンポポとユリ、ひまわりぐらいしかぱっと出てこない。

 彼女はそんな俺に、よく見たことのある道端に生えている名もない花から珍しい花にも平等に1つずつ名がついていく。フロアが進む度に俺の世界が少し花でカラフルに色付けされていくのを感じる。(まあ、三十路になるとその知識も遠い記憶の彼方かなたほうむり去られるのだが。)

「おっ、この花は流石に覚えているぞ。アリスの1番好きな花だ。」

「…私の一番好きな花?」

 疑問に思うのも無理はない。他人から押し付けられた好きに何の意味を見いだせるというのか。

 しかし、彼女はの前に立ち止まり、どく気配すらない。それだけ、引き寄せられるものを感じているのかもしれない。

 繰り返すように俺は彼女に言う。

「そうだ。お前の一番好きな花だ。」

「スイセンが私の…。」

「あれれ?アリスちゃんと柊君??見ない組み合わせだね。」

 振り向くとそこには、2人だけの世界に侵入してくるの存在があった。

「西ノさいのみや沙耶乃さやの…先輩。」

「その顔は『何故、お前がここにいる?』って顔だね。分かるよ。けれど、そんなことはどうでもいい。今、大事なのは2人が何故一緒にいるかだよ?」

 そうまくし立てて言ったはどこか満足気である。

 、西ノさいのみや沙耶乃さやのは先輩であり天敵である。何でも見透かしたような漆黒の瞳、それに劣らない真っ黒のセミロングヘアーは毛先をビシッと揃えられている。着ている和服も黒色という目立つ格好だが、彼女はそれをにしてしまう。どういう訳か、その全てが彼女らしさであり不自然でないなのだと納得してしまうのだ。

 塗り固めたような嘘を嘘で塗り固めたような何処までも先が見えない彼女の腹のうちに一種のドスグロさを感じ、たじろいで動けない。

 蛇に睨まれた蛙というのは、きっとこういう状態を言うのだろう。

「優斗君にデートに誘われただけ。」

 意外なところからの言葉は、俺に数秒の沈黙を与えた。それは、西ノ宮に対しても同じだったらしい。

「…そう。それは、デート中にも関わらず邪魔してごめんなさい。」

 そう言うと彼女は俺の方に近づいてきて耳打ちする。

「あなたは私から逃げられない。」

 彼女は優しく微笑むと、俺から2歩さがる。(怖い。)

「今日のところは、いい物も見れたしおいとまさせていただきます。」

 俺らに手を振り彼女はエレベーターへと向かった。(怖い。超怖い。)

 彼女の立ち去った道には、おこうの香りが漂っている。それは、彼女が見えなくなっても十分効果を発揮し、しばらくの間、俺たちは立ち竦んでいた。

 ふと、隣に目をやると足が震えている。怖かったのだろう。

「さっきは、ありがとうなアリス。」

「…。」

 首を縦に振るでもなく、横に振るでもなく固まっている彼女の手をとり強く握りしめる。その温もりが彼女の硬直をゆっくりと溶かしていき、俺に視線を向ける。その少し潤んだ瞳に自然と笑みがこぼれてしまう。

「次の場所に行こう。」

「うん。」

 今度は、ちゃんと頷く。

 次の場所へとお互いの熱を確かに感じながら歩いていく。

 ―――その通り道には、花の香りが漂っていた。

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