第4話社会人には「適応能力」が必要です。

 三十路になって登校する高校には多少の違和感と高揚感を抱きながら漕ぐ自転車には、若い身体とは反してはずなのに若干の重い足取りと息切れを与えた。

 途中、道を間違えるかもしれないという若干の懸念もあったが、全て杞憂にすぎなかったことを認識することとなった。

 よく使った裏道も猫の集会所と化してる普段誰もいない公園も全て覚えていた。

 あの頃、定位置となっていた駐輪場に自転車を停めて、若干の小走り気味に教室へと向かう。

 教室の扉の前で、深い深呼吸を数回行った後、扉をゆっくりと開ける。

 開けた瞬間、室内の温度差によって吹き抜ける風は懐かしい青春の香りを届けてくれる。

 そして、扉を全開にすると、規則的に並んだ机と椅子が視界に飛び込んできた。

「ヤバい…自分の席どこだっけ?」

 もにゅもにゅと小声で呟き、キョロキョロと首を振る。

 5月という時期を考えると、席替えをしていないはずだから、普通に考えれば五十音順で座ればいい。

「ひ」と言えば、真ん中の方だから、席も真ん中に座った記憶を頼りに、黒板を横軸とした縦6席・横5席

 の計40席あるうちの中央にあたる縦3横3席目を選択し、腰を下ろした。

 時刻は、7時30分。少し早く来てしまったようで、教室に自分しかおらず閑散としている。

 ここまで、穏やかな空気だと居心地も悪く、制服を適当に着崩した。

「タバコ吸いてぇ。」

 その言葉は直ぐに霧散して教室に再び沈黙が戻る。

 そのまま少し目を閉じると、ゆっくり意識が遠くなっていく。

 朝から頭を使いすぎたからだろう。その身を机に預け、欲望に従った。

「もし…君…きて。」

 微かに耳をくすぐる穏やかな声が聞こえる。

「もしもーし、柊君起きて!」

 先程よりも少し大きな声に反応し、体を起こす。

 本当に寝てしまっていたのか。自分の精神の図太さに呆れてしまい苦笑する。

「あっ、起きた。」

 その声の方に視線を向ける。

 雪のように白い肌。今にも折れそうな細い腕や脚をもった華奢な身体。

 何もかも深い青を含んだ黒色をした優美に流れるロングヘアを手櫛で抑えて、首を傾げて、少し潤んだ髪と同色の瞳は真っ直ぐに俺を覗いている。

 その黒から視線を逸らすことも出来ず、瞳を見開いて、見つめ返す。そこには、特別な感情もきっとあっただろう。

 を忘れるはずがない。

 俺は息をつまらせながら、口から零す。

「…神崎かんざき 夏憐かれん

 彼女は苦笑した。

「ここ私の席なんだけど、柊君は1つ後ろの席だよね。」

 その言葉で、はっと我に返る。今までは色んな意味で寝ぼけていたのかもしれない。

「ごめん、ちょっと疲れてて間違えたわ。」

「あれだけ、ぐっすり眠られてたら疲れ具合も相当なものだって、 傍から見ても分かるわよ。」

 彼女は、口を手に抑えて静かに笑う。

 やけに恥ずかしく感じる。

 席を間違えた恥ずかしさと言うより、彼女と13年振りに話したことへの気恥しさからくるものだろう。

 彼女に軽く会釈し、1つ後ろの席へと移動する。

 すぐに突っ伏して周りからフェードアウトをかます。それは、周りから見れば思春期の男が席を間違えた恥ずかしさから顔を上げられない状態に見えるだろうし、俺としても会話を極力しないという点では過去改変も無闇に起こらないという点では一石二鳥である。

「あーあ、やっちまったなユウ!」

 わざとらしく俺の机に持たれかかり、無作法に話しかける男の声がした。

 俺は、話しかけるなアピールを全力でする為に顔を伏せて適当に相槌をする。

 その主は声からして、高校の時に良くつるんでいた服部はっとり はじめだろう。

 中学校からの仲で、高校は親友。そして、高校以降からは程度の仲になってしまった。具体的に言えば、新年の挨拶を律儀にどちらかが送り、それを返すだけの仲なのである。

 同窓会では、近況報告をして終わりの色々意味で良い関係を築いたのだろう。(俺とも他者とも…)

 そう思うと、懐かしさよりも気まずさの方を感じて話すことをたじろいでしまう。

 そんな考えを他所に服部は嬉しそうに小突く。

 少し鬱陶しくも嬉しくあり、顔を上げてその手を払い除ける。

「分かったから、やめろはじめ。何か用か?」

「いや、部活もしてないお前が『疲れてる』なんて、らしくないこと言うからさ。」

「どんな事でも働けば疲れる。いや、働かない日も働く日のことを考えて疲れる。」

「なんじゃそりゃ?」

 おっと、いけませんね。長年で板についてしまった社畜アピールが火を噴いちゃいました。

 ここから、飲みの席でも「どっちが社畜か」で盛り上がることが100万回ぐらいあるけど、後で悲しくなるからやめようね。(俺調べ)

 そんなくだらない談笑を授業を告げるチャイムまで楽しんだ。

 その後は、授業はなんて事もなく、ひぃひぃ言いながら勉強について行こうとするヤツら、寝てるヤツら、先生に対して殺意の視線を向けてるヤツらを大人面しつつ見渡し、たまに前の席から漂うフローラルな香りに鼻腔をくすぐられ、気づけば下校時間になっていた。

 状況把握や解決しなければいけないことを考えなければいけなかったが、高校生という若々しい世代に適応する為に必死で、その余裕は皆無だったと言っていい。

 明日があるならば明日以降、善処しよう。

「善処します。」って、いい言葉だよね。何がいいって、政治家の大好きな言葉。人をダメにする言葉って言い替えてもいい。なんて、素晴らしい言葉。

 そんな馬鹿げた事を考えながら、下駄箱の扉を開ける。そこには、今日の謎を全て解き明かすオシャレに封蝋で閉じられた封筒が1枚、ローファーの上に乗っていた。

 その宛名には『時の魔法使い』と刻まれていた。

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