感傷的本能
Nakime
失われた誰かに捧ぐ
あなたが去っていった部屋の中に私はいた。
きっともう戻ることは無いと、静かに誰かが呟いた。
部屋に反射する誰かの啜り泣く声。
夕陽が交差する無人の室内。
時間だけが足早に通り過ぎていく。
私はあなたにさえ、別れを言えないのだろうか。
片付けられた部屋を見渡し、その輪郭を辿る。
無感情な鐘の音が、遠くから響いていただけ。
その傍で誰かがまた泣いているのだろうか。
私はまた何も出来なかった。
一向に明けない暗闇が、背後まで来ていた。
時は止まらず、記憶は色褪せ、感情は次第に錆びついていく。
夜の息遣いが聞こえる、月が昇る足音さえも釈然と。
私だけが周囲の事象の速さから置いて行かれている。
蹲ったまま何も手につかない。
くぐもった感触を胸に手繰り寄せ。
まだあなたのことを忘れられないでいる。
握った手の感触をまだ覚えている。
笑った暖かさにまだ触れていたいの。
そっとひとひら、あなたの手を重ねて。
きっとあなたは、私に微笑みかけて。
私に足りない位に楽しかったと嘯くの。
あなたはもっと早くに行けば良かったと。
カップに映る景色が静かに揺れている。
映る景色は形を変えて瞳に入り込む。
見えていても分からないことがある。
見えないけれど分かってしまうこともある。
ぐらつく足元を十字架に貼り付けて。
さぁ現実を見ろと誰かが叫んでいる。
もうこの部屋には誰もいない。
もうあなたは私を感じていないはず。
夕が弾け、夜が欠け落ちてしまった不透明な部屋を。
顔のない誰かが音も無く、灯りを消して去っていった。
感傷的本能 Nakime @Nakime88
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