第4話
カルラがそう呟いた瞬間、明らかにイドラの顔が歪む。
「懐かしい名前だなァ……」
イドラはそう呟くが、それに感慨深く、感動しているなどと言う訳では無い。
どちらかと言えば、不愉快な言葉を聞いた、という感じであった。
「そうかな?……君にとってはそこまで時間は経っていないと思うんだけど?」
「毎日聞いてた言葉を聞かなくなった瞬間、人っつうもンは感覚が狂うもンなンだよォ……」
カルラのその言葉に対して、ぐしゃぐしゃと頭を掻きながら、イドラはそう告げる。
しかし、イドラが直ぐにカルラの言葉の間違いを訂正した。
「てかよォ、お前の言葉は間違ってるぜェ?
イドラはそのように否定をするが……カルラの表情は以前としてニコニコしたままで、変わらない。
「そんな事は無いよ。人の身でありながら、絶対的存在である神になった男……それが君だ」
カルラのその力強い言葉に対して、イドラは少しバツが悪そうに「チッ……」と顔を逸らした。
イドラがそのような反応を示した理由は、カルラの言うことがあながち間違いではなかったからである。
……故に、イドラには否定ができなかった。
「10年前、とある組織によって秘密裏にある実験が行われていた。……実験名は
カルラはイドラの過去についての話をし始める。
イドラは、物心ついた頃から天狼の森というところにある、研究所の部屋の中に居た。
無駄なものが全く無く、自分と他の被検体の子供達がいるだけ。
いつだったかイドラは研究員から聞いたことがあった。
自分達はとある目的のための実験体……つまりはモルモットだと言うことを。
こんな実験なために、素質のあった自分達は様々なところから誘拐されてきたということも。
平民から……貴族まで、様々な子供達を、だ。
そうして毎日、薬物に実験、拷問……なんならイドラは生きたまま解剖までされたことがあった。
……そんな生活を送っていれば、多くの子供達が直ぐに死んでしまうのは明白だった。
正確な日数はイドラにも覚えていない。
……が、しかし数年も経つ頃には生き残っていたのは唯一イドラのみ。
それは、イドラという実験の適性者が現れたので、他の人材はもう用済みになったという事であった。
ーーーそう。全て、廃棄処分となったのだ。
「更に嫌悪を感じるのは、過負荷実験における人為的に種族進化をさせるための手順だよね……」
そのカルラの告げを聞いて、イドラの中にさらに苛立ちや嫌悪、気持ち悪さなどの負の感情が生まれる。
……思わず、吐いてしまいそうになるぐらいに。
しかし何とかイドラはそれを耐えて、話を聞き続けた。
「普通の方法ではどのようにやっても、人間という種族を種族進化させることは不可能だ。……そうして、悩み詰まった時に、しかしある一人の研究員が世にも恐ろしい……まさしく、悪魔としか表現出来ない方法を思いついた」
「……あァ、流石の俺でもひく程になァ」
「彼はこの世界に存在する数億人もの人間族の嫉妬、怒り、憎しみ、悲しみなどの
カルラはスラスラとそんな事を言ったが、これは実際問題とても非人道的な実験である。
この世界にいる数億人の人間種の全ての負の感情を一箇所に集めるのだ。
魔法などの摩訶不思議な力があるこの世界でそれをもし解き放てば、世界が混沌に陥るほどの呪いが発生するだろう。
……それには、それほどの危険がある。
そして、そんな莫大な呪いの様なエネルギーの塊を人の身で全て受ける。
そんな事をすれば、どのようになるのかは簡単に予想が着いた。
結果としては様々なものであった。
……植物状態となる者、精神構造がおかしく狂う者、暴れる者などはまだ比較的良かったのだろう。
負の感情を受けたかなりの数の者が、その呪いによって、死よりも遥かに恐ろしい体験を何度も繰り返し……最終的にはイドラ以外の者が死んだ。
イドラはその時の実験の様子を鮮明に思い出せる。
泣きわめく者、恐怖に叫び出す者など多様であった。
そして、当のイドラもその時にはあまりの恐怖を腰を抜かし何も喋ることが出来ずに……そのまま膨大な負の感情を体内に埋め込まれてしまう。
嫉妬、憤怒、悲しみ、憎悪などの幾重の感情の呪いがイドラの中で暴れ回った。
痛いのではなくて、自分が狂うほどに怖く、苦しく、気持ち悪い。
―――しかし、何の因果かイドラだけが呪いを耐え抜き、膨大な力を手に入れた適合者となったのであった。
……これが神にも等しい力を持つ、厄災と呼ばれたイドラが生み出された瞬間だった。
「故に、君には名を与えられた。……それが、ゾロアスター教において絶対的悪を司る
感情には力を増幅させる効果が存在している。
それを数億人分受けているイドラは先程も言ったが、隔絶した神にも等しい力を有していたのだ。
故にイドラは、この世の絶対悪神である
「……そう言えば、おめェも良くあそこに来ていたよなァ?」
あそこ、というのは天狼の森にある研究所の事だ。
イドラはまだ幼少期の頃だったが、何度も研究所内でカルラの事を見かけたことがあった。
そう。カルラが到底表には出せない程残虐なイドラの過去をここまで知っていたのは、彼が関係者であったからである。
「まあ、私は特に実験自体には関わっていなかったけどね。……弱みを握られての、資金援助だけだったし」
しかし、これがカルラが生きている理由であった。
カルラが実際に行っていたのは資金援助だけであり、研究自体にはそもそも全く関与していない。
そして、それはカルラのとある弱みに付け込まれたもので、自分から進んで資金援助をしていた訳では無い。
これがもしも研究員の一員だったなら、いくら助けられたとは言え、イドラは彼の事を殺していただろう。
実際、イドラは研究所にいた研究員をその力で全て皆殺しにしていた。
……一人残らず、である。
たった一人で計数百人に及ぶ研究員を殺戮し尽くしたそれは、事情を知る一部からは『厄災』と及ばれていた。
「君は祝福の一年というものを、知っているかい?」
「あ゛?ンだよ、それは?」
祝福の一年というのは今から数年前にあった、殺人もテロも全くない一年のことを指す。
それだけでは無い、窃盗や誘拐などの犯罪がそもそもなかったのだ。
そう。これは
世界中の人間族の悪感情を全て取り除いたため、その後のしばらくは全くと言って良い程に皆から悪意が無くなった。
もちろん今は、さらに数年が経過しているので犯罪行為も以前と比べてかなり増えてきているが……それでもかつて一年間全く犯罪がなかった時期があると言うのは本当であった。
……ちなみにこの事については、一般的には神の祝福などと言われている。
それをカルラから聞いた瞬間……イドラはあまりの可笑しさに吹き出しそうに……いや、吹き出してしまった。
「ぷっ、ぎゃはははははは!!!神の奇跡だってェ?あまりにも馬鹿らしすぎて笑けてくるぜェ」
あまりにも馬鹿らしそうに、カラカラと笑うイドラ。
まあ、イドラの言っている事もわからなくはない。
事情を知っている者からすれば、それが神の奇跡などと言われても、違和感しか感じないのだから。
「そんなに笑ったらダメだよ、イドラ。
カルラもそう諭すが、満更でも無い様子だ。
恐らくは彼も、何処か違和感を覚えているのだろう。
「……でェ、そんなァ昔話をしに俺を、呼び出した訳じゃないンだよなァ?」
イドラは、いきなり笑いを止めてギロりと睨みながらカルラにそう言った。
「俺は正直、おめェとこれ以上過去の話なんてのは、したくねェンだ。……思い出すだけで、不快になるしよォ。無駄な事は好きじゃねェ……さっさと本題を話せ」
イドラは先程までは表面上は笑っていたが、内心は実際そこまで穏やかでは無かったのだ。
それにイドラは無駄な事があまり好きではないし、さっさと本題を話して欲しいというのが、彼の本音だった。
その言葉に対して、カルラは「……そうだね」と言って、過去話を中断して、本題の内容に入ろうとした。
彼……カルラも、そんなイドラの内心は理解しているので、昔話をするためだけに呼び出したりはしていなかった。
……もし、本題など何も無くてただ単に昔話をしたかっただけであるのならば、イドラは本気で下衆の表情で笑っただろうが。
「なら、率直に言おう。……イドラ、君さえ良ければこの学院に入学をしてみないかい?」
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