第3話

「校舎がデけぇだけあって、理事長室もデけぇってかァ……」


 イドラは目を細めながら、そんな事を一人げに呟く。

 今、彼がたっているのは目的地である理事長室の前だ。


 リーゼリットと別れた後、イドラは真っ直ぐに道?を突き進んでいたのだが……十分もしないうちに理事長室が存在する本校舎が見えてきたのだった。

 本校舎に到着したイドラは、次に少し離れたところに存在していた事務室に行った。


 またもや失礼な態度での応答となったのだが、予め話が通されていたのか、イドラに少しビクビクしながらも、事務室にいた教員はイドラを理事長室まで案内してくれた。

 故にこうしてイドラは理事長室の真ん前で突っ立っていたのである。


「あァ?しかも革扉かァ?……扉一枚にどんだけ金かけてンだよ」


 イドラが扉を見てまず最初に感じたことがそれらだった。

 でかい、高いというものである。


 いくら理事長室とは言っても、扉一枚にここまでこだわるのは、イドラは全く予想していなかった。


「まァ、いいかァ。……とっとと済ませて帰りてェし」


 そう考えたイドラは扉をコン、コンとノックする。

 いくら常識をあまり知らない彼でも流石にノックの仕方位は知っていた。


 ……実際に行ったのは今日が初めてではあったが。


「入って大丈夫だよ、イドラ」


 すると数秒もしないうちに、扉の向こう側からその様な全てを魅了するかのごとく、甘い声が発せられた。


 そのままイドラは部屋の中に入ろうとしたのだが……ここで彼は少し思う。


「……めんどくせェ」


 扉を開けるのもそうだが彼自身、扉の向こう側にいる人物はいささか自分のことを少し舐め腐っているとここしばらく考えていたのだ。


 故に、ここで少し威嚇をしてやろうと。

 ゆっくりと右足を持ち上げて……そのまま扉をぶち抜く程の蹴りを放った。


 あまりの威力に扉は耐え切ることができず、とんでもない振動音を響かせながら、扉はベコンベコン、バキバキとなって理事長室の中まで吹き飛ばされて……そのまま砕けた。


「……これで風通しも良くなるってモンだろ」


 彼は本気でそんなことを考えながら、既に入口……というよりは長方形の枠の形をした穴をくぐり抜ける。


「ははは……もう少し丁寧に入室して欲しかったかな」


 イドラの耳にそんな声が聞こえる。

 先程魅了されると言ったが、別にこの声の持ち主は魔法や何かを使っている訳では無い。


 ただ単に生まれ持った特性と言うだけである。

 ……まあ、イドラには全く通じないが。


「別にどうでもいいだろォがよォ。……たっぷりと国から貰ってンだろ?いくら最高級とは言え、扉の一枚痛くも痒くもねェンだからよ」


「そういう問題ではなくて、常識的に考えてなんだけど……まあ、君に常識を聞くだけ無駄だったね」


「ハッ、良く分かってンじゃねェか」


 イドラはどかっと高級そうな来客用のソファーに腰掛けた。

 背もたれに手をかけて足を組む……傲岸不遜な態度だったが、この部屋の持ち主……つまり、理事長は特に気にしない。


 この辺りが、理事長の性格や器の広さを表しているのだろう。


「……で、今日は何の用なンだ、カルラ?」


 カルラ……それは理事長の名前である。

 ここの理事長は人間ではなく……種族的には耳長種エルフなのだが、しかしただの耳長種エルフでもない。


 見事に種族進化を果たした1000年以上を生きる古代耳長種エンシェントエルフなのだ。

 整った顔立ちは耳長種エルフ特有のそれだが、通常種よりも両耳が長い。


 個人差はあるが、それしか耳長種エルフ古代耳長種エンシェントエルフかを見分ける方法がないので、パッと見は分からないものだ。


 故に古代耳長種エンシェントエルフは非常に珍しいのだが……イドラは特に気にする様子もなく話す。

 これも元々の知り合いだからとかいう訳ではなくて、イドラが単に気にも留めていないだけである。


「……おや、いつもより何処か不機嫌だね?」


 何処か愉しげな感情を瞳に浮かばせながら、理事長……カルラはそう話す。


「あ゛ァ……道中めんどくせェ奴に会ったのが一つ、道に迷ったのがもう一つだァ……」


「ああ、確かにここはとても広いからね……渡していた地図はどうしたんだい?」


「捨てたに決まってンだろ。……あんなもンは持ってるだけ無意味だからなァ」


「ははは、まぁいいけどさ」


 イドラとカルラのそんなやり取り。

 イドラのその言葉に対して、カルラは怒る訳でもなく……仕方ないな、といった感じで両腕を組みながら話した。


「……それで、面倒臭い奴、というのは?」


「金髪女だァ。……ありゃ、貴族かァ?」


「……その子の名前は?」


「リーゼリット=シュバインだとよォ。……そいつァ有名なのか?」


「うん……そうだね。彼女の実家はかなりの権力を持っていると思うよ。……誰にでも優しくて良い娘なんだけど……何が面倒くさかったんだい?」


 そうカルラは聞いてくるので、イドラは「……あァー」と言いながら話す。


「理事長室までの道のりを教えてほしいつって、声をかけたんだけどよォ、礼儀だのなんだのって話が通じねェンだ」


 イドラは不機嫌にそう話すが、それを聞いてカルラは顔を少しゆがめて、苦笑しながら話した。


「……君はやっぱり彼女にもその態度で話しかけたのかい?」


「あァ?たりまェだろ」


 イドラが鋭い目付きでカルラを見ると、彼は盛大なため息を吐きながら「……それもそうだよ」と話す。


「初対面でそんな態度を取られたら、普通の人は大体が不愉快な気持ちになるんだからね」


「……あァ?そうなのか?」


「うん。少しずつで良いから常識を勉強することを私はおすすめするよ」


 すると、イドラは舌打ちをする。


「……チッ。人間の心理ほど分からねェものはねェな」


 イドラはカルラのその話を理解し、そっぽを向きながらそう言った。

 しかしそんなイドラを見て、微笑ましそうにカルラは視線を向けた。


 イドラがここまで常識を知らないのにはとある理由が存在している。

 そして、今から繰り広げられるのはそれについての話だ。


 そうしてついに、カルラが話の本題に入る。


「……身体の調子はどうだい?」


 いきなりの雰囲気の変化にイドラは少し黙ってしまったが、今日呼び出された内容を読み取ると気持ち的にだが、だるそうにしながら答えた。


「あァ、悪くはねェが……まァまァってとこだなァ……」


 イドラは自身の身体の調子をそのように表現した。

 悪くは無いが良くもない……とても微妙なラインであった。


「それはまぁ、良かったというべきなのかな?君はまだ目覚めたばかりなんだからね」


「まァ、それについては俺も感謝してる」


 目覚めたばかり……というのは比喩でもなんでもなく、物理的の意味を指している。

 とある森の奥底にある建物で、衰弱して倒れていたイドラを見つけて、運び出してくれたのがカルラなのである。


 更にはイドラに治療を受けさせ、目覚めた後も家宅や生活必需品の用意などは全て無償でカルラが行っていたのだ。

 カルラがいなければ恐らくは、イドラはずっと森の奥底で意識を失ったまま過ごすこととなっただろう。


 イドラにとって認めるのは少し癪だったが、こうして普通に生活が送れているのは間違いなくカルラのお陰であったので、恩は感じていた。


「ここ最近はどうだい?君はもう被検体では無く自由の身だ。君にとっては数年ぶりの外界だろう?……楽しいこととかはあったかい?」


 まるで、親のようにして慈愛の感情をこもらせながらそう聞いて来るカルラ。


 イドラがここまで常識を知らなかった理由……今、それが明かされた。

 彼はとある実験の被験者であったのだ。

 それもとても非人道的的なそれである。


 毎日毎日、実験に薬物……そんな生活を数年以上送っていたため、常識などを知る機会などはあまり無く、外の世界の事をほとんど何も知らなかったのだ。


「あァ、外の世界はとてもおもしれェ。毎日が刺激的だなァ。……あそことは大違いだぜ」


 その言葉を聞いて「ふふっ」と笑みを浮かべるカルラ。

 これまでがこれまでだったために、とりあえずはイドラの様子が満更でもないようであったので、安心していた。


「……君はあの家からここまで徒歩で来たのかい?」


「……ん?あ、あァそうだ」


 突然のそんな質問に、少し戸惑いながらもイドラはそう返した。

 カルラが今イドラに貸し出している家宅からこの学院まではそう遠くない距離である。


 なので、この学院までイドラは徒歩で赴いた。


「なんだァ?なんか不味かった、ってかァ?」


「いやいや、別に何も不味くは無いんだけどね……ただ単に思った事があっただけだよ」


 ここでそのような質問をされた意味が分からなかったイドラはそう聞くが、特に問題は無いことをカルラは返す。


 しかし、イドラは「思った事だってェ?」と、訝しみながら告げた。

 そんなイドラを、知的な微笑を浮かべながら見つめていたカルラは、数秒もしないうちに不敵な笑みを浮かべながら口を開く。


「まさか誰も思わないよねぇ。……世界の2大原理の一つの『悪』を司り、ゾロアスター教においても絶対悪とされている神の一柱。数々の厄災を生み出す悪神『悪意の群衆アンラ・マンユ』。……それがこんな齢16歳の少年だ、なんてさ」

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