第2話

「ここが、黎明学院かァ?……でっけぇな、おい」


 この世界でも五指に入る程に有名で、実績のある教育機関を目の前にして少年……イドラはそう呟いた。


 その瞳にはイドラにしては珍しく驚愕と感嘆の感情が浮かんでいるという事が分かる。

 驚愕は予想以上の黎明学院の校舎の広さから、感嘆はその校舎から発せられる雰囲気からだ。


「それにしても広すぎんだろうが……とんでもねぇ金が吹っ飛んだろうなァ」


 もちろん、校舎自体が金で作られているなどの成金趣味という訳では無い。

 しかし、校舎を構成している一つ一つの素材が、どれも最高級のものを使われており、多額の建設費が用いられているという事をイドラは理解した。


「……こりぁ、誰もが入学したくなる訳だ」


 イドラはここの学院の教師も設備も優秀なものばかりを集めていると聞いていた。


 最高の校舎に、最高の教師、更には最高の設備と来れば、五指に入るほどの学院というのも納得できるし、人気校ということも納得できた。

 故に志願者が多く、ここの生徒もとても優秀であるのだ。


 それがこの学院が名高い理由である。


「まぁ……にしては、全然人がいねェけどな」


 実はイドラはこのエンフォース皇国の首都に来てまだ一ヶ月もたっていなかった。

 故に知らなかったのだが、今日は祝日であり授業は休みであるのだ。


 ほとんどの生徒が学院には来ておらず、休日を楽しんでいた。


 ……まあそんな事を全く知らないイドラからすれば、この時間帯に生徒を数人しか見かけないのはとても違和感のあるものだったが。


「チッ、まァ、とりあえずヤツのところに行くとするか」


 ズボンの両ポットに手を突っ込みながら、明らかに不機嫌な様子でイドラは歩き出した。


 今日、こうしてイドラが黎明学院を訪れていたのは、ここの理事長がイドラの事を呼び出してきたからである。

 本来なら貸付の家宅で一人でのんびり過ごしていたかったイドラだが、ここの理事長には少し恩があるので、不機嫌になりながらもわざわざこうして歩いていた。


「理事長室はどこだァ?……って、ンだこれ?地図ってもんはクソ使えねぇな」


 しばらくは予め貰っていた地図を見ながら、歩き続けていたイドラだったが、道順を間違えていることに気付いた。


 実はイドラはとある事情で、地図というものを使った事がなかった。

 いや、知識としては知っていたが本音を言うと、そもそも見たことすらもなかったのだ。

 故に実際使ってみると、使い方がよく分からず迷ってしまったという事だ。


「はァ……」と盛大なため息を吐いたイドラは地図を投げ捨て、そのまま適当に歩く事とした。


「クソめんどくせェ……」


 先程からイドラが歩く度に、数人程度だがチラホラと見かける生徒達がそそくさと、まるでイドラから逃げていくようにして離れていく。


 これはイドラから発せられている負のオーラを感じ取ってのためだ。

 ……まあ、それも当たり前だろう。

 不機嫌なイドラの近くにいれば、何かとばっちりを食らうかもしれないといのは理解できるものだ。


「……ン?ンだあの女は?」


 しかしもう数分適当に歩いていると、イドラを認識しているはずなのに特に反応を示さない……ベンチに座っている女子生徒を見つけた。


 これまでがこれまでの反応だけに、やけに印象強くイドラは認識する。


(まァ、あの女にでも聞いてみっかァ……これ以上、適当に歩いても辿り着ける気がしねェ……)


 そう考えたイドラはその女子生徒に歩み寄り、前に立つと初対面とは思えないほどに失礼な態度と口調で声がけた。


「おい、女。俺の質問に答えろ」


 座っているといこともあって、彼女とイドラの目線には高低差が存在していた。

 イドラは上方からまるで見下すようにしている。


「……なんですか?」


 イドラのその言葉に反応して、その女子生徒は顔を上げる。


 腰まで伸びている、陽の光に照らされてサラサラと光り輝く金髪に、何処か幼さを残した美しい碧眼。

 鼻筋もスっと通っており、薄紅色の小さい唇などはまるで造詣品のように美しい。

 スタイルも女性らしいプロポーションを誇っており、まさに美の女神と形容できる程であった。


 恐らくは学院に数人もいない程の美少女、誰もがそう思うだろう。

 ……しかし、何事にも例外は存在する。


 今回でいえば、イドラがその良い例であった。


「理事長はどこだァ?手間暇かけたくねェから、さっさと話せ」


 イドラは彼女の美しさを前にしても、全く動揺せずに態度を崩さない。

 本来なら彼女を初めて見た者は、その全てが緊張したり頬を赤らめたりと何らかの反応を示すはずなのに。


「こう言うと自意識過剰かも知れませんけど……貴方は、わたくしの事を見ても何も反応を示さないのですね……」


「あ゛?」


 彼女はその事に、少し驚きながらそう話した。

 しかし、イドラはその言葉の意味をよく分かっていない。


 ……イドラにとって美醜などとてもどうでも良い事である。

 醜かろうが美しかろうが、スタイルが良かろうが良くなかろうが、そんな事は全く気にしないのだ。


「何言ってんだテメェは。……とりあえず、さっさと理事長の場所を話せ」


 イドラは頭をかきながら、彼女に向かってそう話す。

 すると、彼女はムッと表情を変化させながら、口を開いた。


「なんですか、その言葉使いは。……初対面の相手なんですから、丁寧に接するべきではないでしょうか」


「あァ?だから何言ってンだよ。なんで俺がテメェに丁寧に接しなきゃ行けねェンだ?」


 イドラは正直、この世には敬意を払うべき相手などはいないと思っている。

 これは、まだその相手に会えていないだけかもしれないが、少なくとも現時点ではそう思っていた。


「なっ!!私はリーゼリット=シュバインですよ!?この名前を聞いても、まだ、そんなことが言えますか!?」


(……ンだこの女は?貴族か?……まあ、ンな事はどうでもいいが)


 さぞ有名なのだろう。

 彼女は腹を立て、自身の名前を出すことでイドラに敬意を払わせようとする。

 ……が、イドラには全く通じかった。


「だからテメェの事なんて知らねェよ。……チッ。おい、理事長はあっちの方向でいいのかァ?」


 しかし、元々我慢ができないイドラだ。

 このやり取りが、とても面倒臭くなってきたという事で、強引に話を終わらせることとした。


「……へ?理事長室ですか?」


 彼女……リーゼリットはここでもまだそんな事を返されるとは考えていなかったのだろう。

 呆けたように、イドラの指さした方向を見てしまい……そうして、僅かながら反応してしまう。


(ビンゴだなァ……)


 その僅かな反応をイドラは見逃さなかった。

 故に思う。

 彼女の反応は、正しいことを意味するそれであったのだから。


「あァ、もういいわ。今のテメェの反応で分かったからな。……じゃ、行くわ」


「え?」


 これ以上の会話を断るために、彼女の話す暇なく強引にそれだけ言って、イドラはその場から大きく跳躍。


 辺りに生えている木々の枝の上に順々に乗り移っていき、理事長室の方向へと進んで行った。


「なんですか、全くもー!!!」というリーゼリットの言葉が聞こえたような気がしたが、イドラはそれを無視する。


「リーゼリット=シュバインねェ。……まぁ、一応覚えておくかァ……」


 イドラはそう小声で呟いたが、それは特に理由がある訳では無くて、何気ない一言であった。

 実際、イドラはリーゼリットに対し何も思うところはなかったのだから。


 ……しかし、後日この学院でイドラとリーゼリットは思わぬ再会を果たすこととなる。


 なので、結果的に彼女の名前を覚えておいて、損はなかったのだろう。

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