過去に学び、未来に繋げ。

第三十八話 戦後の世界は

東京平和条約の締結によって日米間の国交も復活したが、その当時は両国の軋轢が激しかった。しかし共産主義の台頭で日米は協力関係に移行することとなる。

そして日本はソビエト連邦が核開発を終えたことを知って核開発競争に参加。イギリスの次に核兵器を完成させ、世界で四番目の核保有国となった。

大日本帝国憲法も大幅な改正がなされ、日本は天皇による帝国主義的統率から議会政治となった。もちろん、裕仁天皇はご存命である。


1964年、東京でオリンピックが行われた。学徒出陣が行われたトラックで、日本代表の競技選手が列をなし行進する。その後ろからはアメリカや西ドイツが追随する形で行進する。

日本代表は陸上競技やバレーボールで金メダルを獲得した。戦争終結からたったのたったの17年で各国の関係は一気に改善し、「平和の式典」と言われるオリンピックを無事開催することができていた。



1972年、日独伊英米仏など主要各国が一堂に京都に集い、一度第二次世界大戦の戦後処理、賠償が終了したことを確認。そしてまた同じような悲劇を起こさないためにもと、主要国においての軍事力の制限についてが話し合われた。結果的に「京都陸海空軍軍縮条約」が締結される運びとなり、世界各地で軍人のリストラ、予備役化がすすみ、海軍艦艇は空母を商船に改装、大型の爆撃機は民間旅客機に改装され、民間に安く売られるということが頻発した。


1983年9月11日、アメリカの世界貿易センタービルにハイジャックされた航空機が衝突するという未曾有のデモが起こった。犠牲者は日本人を含めた千人以上が死傷し、世界に大きな衝撃と恐怖を与えた。


1990年、ソビエト社会主義共和国連邦において民主主義による軍事クーデターが発生した。各国はこぞって民主主義派の政権に協力的な姿勢を示す。そして、1910年代に成立した世界初の社会主義国家が滅亡した。

ソ連の崩壊後東西ドイツの国境検問所が東西ドイツ市民によって破壊。東西ドイツの活況線は消え、「ドイツ連邦共和国」として統一を果たした。南部ドイツのドイツ国家社会主義連邦もその流れに乗じドイツ連邦に加盟。戦後三つに分断されたドイツは統合された。


2003年にはイタリアが正式に主要国家に復帰。世界的に先進国の一員となった




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