第十話 第二次インパール作戦
1945年一月二日。
補給問題の大幅な改善に支那戦線の精鋭の投入。そして牟田口や河辺の更迭によって第一次インパール作戦と比べてはるかに日本の優勢を保っていた。
包囲された山には上空から連山などの超大型爆撃機がほいそれと爆弾を落とし山の頂上をどんどん低く削りながらイギリス兵とそれに混じったインド兵を爆散させる。包囲網が完成した翌日には約十六万いた連合国兵もほぼすべて消し飛んでいた。
一方山下将軍率いる第二軍は海南島を出港しフランス領ポンディシェリに上陸。四式中戦車や三式中戦車など様々な戦車を用いて行われた攻勢作戦は1942年のマレー進撃を再現するかのように快進撃した。そのころビルマ戦線はほぼ完全にインド守備隊が壊滅。米軍の援軍が来る前にすべて片付けるのを目標に占領範囲を広げていった。
そしてヒマラヤ方面からも精鋭ぞろいの山岳歩兵たちが攻勢を開始。6000m級の山々が連なる山岳地帯を踏破し、北方からインドへの侵入を試みていた。彼らが攻勢をしているころ、第二軍集団はインド植民地軍を圧倒。普段は農民である寄せ集めの現地人部隊など烏合の衆。徹底的に叩き潰し、殲滅していった。そしてその中の自動車化部隊は沿岸部を伝って北上を開始。数日北上したあたりでビルマ戦線の部隊との合流に成功した。二月の中ごろには全部隊が一つの前線への合流に成功し、それに乗じて第一軍と第二軍は合併され、将軍から元帥に昇格した山下奉文元帥指揮の下インド全土を占領することを第一目標、米軍の増援が来る前にすべて殲滅することを第二目標にし、攻勢を開始した。
各地の交通の要所を遮断し、一歩一歩確実に前進する。
そして日本では桜の花が咲き始めた四月十八日、とうとうデリーに攻撃を開始した。そして翌十九日に占領に成功した。その後これを好機と見たインドの独立家ネルーがラジオで一斉蜂起を要請、四月二十日にイギリス領インド帝国は降伏した。
インドに残存している米軍はすべて殲滅され、その死者数は五万人に上った。
その後治安維持のために引き抜かれた部隊以外はマレー半島から米軍に奪われたトラック島やパプア、オーストラリアの確保のための作戦を遂行するために移動を開始した。
あるうわさでは「せんちゅりおん」という特殊な装甲をもった中戦車や「とーたす」といった超強力な装甲に身を包み馬鹿のような火力をもった対戦車砲を載せた対戦車戦車が欧州には配備されているようだ。おそらく八月過ぎには南方にも配備されるだろう。そして硫黄島では海軍十二糎高角砲を無理くり搭載した「キングチーハー」という魔改造車両が最強だったそうだ。情報が流れているこの二両に対抗するためにもキングチーハーに代わる海軍十二糎高角砲を搭載した対戦車車両の開発を急がなければならない。
合同参謀兵器開発課は超大忙しだろう。
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