第2話 なっちゃんとおつかい
母は私をおばあちゃんに預け、翌日には都会に帰る。単身赴任で自宅を開ける父に代わり、海野の家を守るために帰る……などといえば大げさになるが、つまり母も育児や家事から離れる日があってもいいのではないかというおばあちゃんの提案だった。さみしいかと言われたらさみしいが、おばあちゃんも田舎も好きなので苦ではないし、むしろなんだか大人みたいな気分で楽しみでさえあった。
朝からおばあちゃんの畑を手伝い、昼ご飯を食べ、昼寝をして、宿題をして、散歩に出る。車通りも少ない田舎で、まわりの家はぜーんぶ知り合いなので心配されることもなく一人で出かけたりもした。暗くなる前に帰るし、母から子供用の携帯電話を持たされていたので何かあってもそれほど困らないだろうということもあった。
散歩は決まって家からすぐの川まで行って、川沿いを歩き、太い橋を渡って帰る。それくらいだと人通りもなくはないし、時間もそれほどかからない。
まず、近くの川でなっちゃんと合流する。
「なっちゃん!」
「お、来た来た。待ってたよ」
「ちゃんと宿題やってから来たよ」
なっちゃんは大きい。それは私が小さいからかもしれないけど、すごくすごく大人に見える。
全然合わない歩幅を、なっちゃんは私に合わせてくれる。真横に立ってくれるのだ。遠い横顔はふいにこちらを向いて、ん?と優しく笑いかけてくる。
「何、そんなにみられると恥ずかしいんだけど」
「なっちゃんは何歳なの?」
「17歳だよ。急にどうしたの」
「ううん、何でもない」
他愛無い会話をして歩く。好きな食べ物、好きなテレビ番組、最近はまっているお菓子。私の話題はすぐに尽きて、むず痒い無言の中川を見る。
「ねえ琉夏。琉夏の住んでるところってどんなところなの?」
「ええー?なんにも面白くないよ。虫はいないし花も川もないし」
「でも遊んだり、買い物には困らないんじゃない?僕は高いビルとか見たことないからな」
「そうだなぁ……駅はきれいだよ、おうちからすぐのところにある。あと、お母さんとよく行くケーキ屋さん、その隣はゆなちゃんたちと遊ぶ公園」
「ゆなちゃんは友達?」
「うん!仲良しなんだよ。この前は一緒にプールいったし、学校行くときも一緒」
そうなんだ、うんうん、と相槌を打ちながらなっちゃんは笑った。たまにいいなぁなんて言って自分の友達の話を始める。
「ねえ、なっちゃんはお化けが見えて怖くないの?」
橋を渡るとき、なっちゃんがぴたりと足を止めた。
「怖いよ」
一重の目が橋のたもとをじっと見た。ああ、なんかあそこにいるんだな。なんとなくそう思って目を凝らすと、小さくて白い猫がいた。普通じゃない、しっぽが何本もある。なっちゃんをみると怖がってる様子なんかなくて、別に普通ですみたいな顔をして猫を見ていた。
一台の自転車が通り過ぎていく。橋の向こうからは軽トラが走ってきた。猫は避けない。
「危ない!」
「琉夏、大丈夫だよ」
叫んで飛び出そうとしたら腕をつかまれた。トラックは止まらなかった。
猫はもういない。
「琉夏はそういうものと人間の違いはわかる?」
「わかるけど痛いのは嫌。かわいそうなのは嫌」
「そっか」
なっちゃんはまた優しい顔をして笑った。
翌日の朝、おばあちゃんがあっと大きな声を出して琉夏をみた。
「ごめんねぇ、おつかい頼まれてくれる?」
「いいよっお買い物?」
「ううん、郵便局に行ってほしいのよ。お手紙を書いたんだけど郵便局までは歩けないの。琉夏ちゃん場所わかる?」
「わかるよ!いってくるね」
茶色い細長い封筒は分厚くてなんだか重たい。切手はよく見るものじゃなくておしゃれな花の絵が描いてある紫色のものだった。家をでて左にまっすぐ、二つ目の角を右にいくと、八百屋さんのとなりが郵便局だ。
なんとなく、一人で行くのもなぁなんて思って川に行ってみる。なっちゃんがいれば誘うつもりだった。予想通りなっちゃんが土手のベンチに座って本を読んでいた。
「あれっ琉夏、どうしたの、散歩は夕方だよね」
「おつかいたのまれて郵便局に行くんだけどなっちゃんもついて来て欲しいなぁと思って」
「おつかいか、いいよ。一緒に行こうか」
なっちゃんは読んでいた本をベンチに置いてこちらにきて、近道しようと笑う。
「近道なんてあるの?まっすぐ行ったらつくのに」
「ふっふっふっ、まあついてきなよ」
なっちゃんの半歩後ろをついて歩く。一つ目の角を右に行くと家がぽつぽつ現れて、まだまっすぐ行くと立ち並ぶ商店街に変わる。お店は開いていないようだ。なっちゃんに聞くと、「平日はあんまり開けてないんだよ」と教えてくれた。映画に出てくる商店街みたいで夢中で回りを見ながら進む。絵日記に書こうかなとひそかに心に決めた。
商店街の細い路地に入ってまた歩くと、見慣れた道路と左手に郵便局がある
「郵便局!」
「道が曲がってるからまっすぐ行くより早く着くんだよ。外で待ってるから行っておいで」
郵便局は私の家の近くにあるのよりずっと小さくて古い、駐車場も二台くらいしか停められないくらいだ。ドアは自動で開いた。冷気が体を包むと汗が冷えて少し寒いが、息苦しいくらいの暑さに比べたら全然どうってことない。受付のおばさんに封筒を渡すと、桜田さんとこの子なの!えらいねえと褒められた。
外に出るとまたもわもわと苦しくなるような湿気の暑さが押し寄せてくる。
「出してきたよ!褒められたよー、えらいねって」
「よかったねぇ」
じゃあ行くか、と来た道を戻るなっちゃんは、路地に入ると足を止めた。視線の先にはまたあの猫がいる。
「人間の子を連れてるのか」
一瞬誰が発したかわからなかったが、すぐにその猫だと察した。猫はゆらゆらとしっぽを揺らしている。
「友達だよ」
「食うんじゃないのか。なんだ、お前もやっと人を食う気になったと思ったのに残念だ。昔からお前はそんなんだから細くって白くって折れそうな体してるんだろ」
「琉夏、この猫は御崎の守り神みたいなものでね。悪い奴じゃないんだけどたまにこうやって悪い奴ぶるんだ」
猫はくわっとあくびをして踵を返す。そのまま塀と草の茂る道に消えていった。なっちゃんが言うには御崎の人は猫の置物を玄関において家を守ってもらうようにするのが昔からの習慣らしい。そういえばおばあちゃんちにもあったかな、と思い返しながら歩いているとあっという間に家の前だった。
「あいつが来たら遊んでやって。琉夏のことはたぶん食わないから」
とするとあれは妖怪の部類なのだろうか。
たぶんということは、食われることもあるかもしれない。猫に食われるのは痛そうだ。
なっちゃんはじゃあまた散歩でねと手を振って川のほうに向かう。私は玄関の置物にただいまと言ってからおばあちゃんにただいま、と言った。
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