第1話 転生は焼き肉のタレと共に

「あれ?」


 見知らぬ風景に首を捻る。

 俺は山の中で蟻地獄の巣を掘り返し、それをアリの巣に詰める趣味に興じていた筈なのだが、どう見てもここは山の中では無かった。


 真っ白な四角く区切られた空間。

 室内と思しき場所、その中央には重厚な木の机が置いてあり、その上には七輪の様な物が乗せられていた。


「あら、もう来てたのね」


 机の横にある扉がガチャリと開き、白い女性が姿を現した。


 白いと言うのは比喩表現ではない。

 肌は透き通る様に白く、紙も白銀に輝いている。

 体にはギリシャ人っぽい白い服を身に着け、その背からは白い翼が生えていた。

 女性は正真正銘真っ白だった。


「ごめんなさいね。ちょっとお花摘みに行っていて、席を外していたのよ」


 そう言うと女性がはにかんだ。俺はそれを見てドキッとする。

 色合いに目を取られてしまっていたが其の女性の顔は恐ろしい程整っており、美の化身がいるならば。きっとこんな顔をしているのだろうと思わせる程美しかった。


 俺は彼女のその美しい顔に見惚れてしまう。


「因みに超大です」


「は?」


 女性が何を言ってるのか分からず、思わず変な声を出した。

 だが彼女はそんな俺の反応など気にも止めず、机に納まっていた椅子を引き出して座る。

 その動きに無駄はなく、とても優美だ。


「初めまして、佐藤裕也さん。私は女神アーシャと申します」


「女神……えっと……何かの冗談?」


「事実です。単刀直入にお話しすると、貴方は死にました。そしてここは天界です」


 女性は笑顔で法螺を吹く。

 

 自慢じゃないが、俺は悪人ではない。

 だが決して善人でもなかった。

 仮に本当に死んだとして、俺が天国に来れるとは到底思えない。


「あ、その顔。信じていませんね。じゃあ論より証拠をお見せしましょう」


 そう言うと彼女の瞳が光り、「シュンッ」とレーザーの様な物が走った。

 それは一瞬の事で、何事かと思っていた俺に、ボトリと音を立てて何かが落下する音が聞こえてきた。視線を其方へと動かすと、そこには俺の右腕が足元に転がった。


「っ!?う……うわあああぁぁぁぁ!腕が!?俺の腕が!!ああああぁぁぁぁ……あ?」


 ……が、何故か痛みを感じない。

 よく見ると血も出ていなかった。


「ななな!なんでだ!?」


「死んでいるのですから、痛みなんてありませんよ。今のあなたはゾンビみたいなものです」


 恐る恐る切り落とされた腕の切断面を触る。

 痛みこそないが、感触自体は普通にあった。

 それも凄くリアルな感触が。


「それじゃあ、本当に俺……」


「はい。貴方は趣味の蟻地獄への折檻の最中、それに熱中するあまり熱中症で亡くなってしまったのです。あ、これはダジャレじゃありませんからね。ふふ」


彼女は楽しげに笑う。

だが死んだと伝えられた俺はそれどころでは無いので、スルーする。


「そんな……でも、俺ちゃんと麦わら帽子を」


 最強装備たる麦わら帽子。

 それを身に着けた俺は、夏の灼熱の熱すらも弾き返す。

 対策は完璧だったはずだ。


「貴方は夢中で気づかなかったようですが、一陣の風が帽子を飛ばしてしまったのです。不幸な事件です」


 失態だった。

 麦わら帽子はその形状故、風に飛ばされやすい。

 にも拘らず、それに気づく事無く趣味に勤しんだ己の愚かさが恨めしい。


「でも安心してください。貴方は転生する事が出来ます」


「本当ですか!?」


 女神アーシャの言葉に、俺は勢いよく喰いついた。

 転生と言えば異世界。

 異世界でラノベの様な生活できるのなら、死んで悔いなしだ!


「ええ。貴方は蟻地獄を退治して、数多の蟻達を救ってきました。その褒美です」


 おお、蟻を救ったから転生させてくれるのか。

 やはりいい事はするもんだ……いや、でもおかしくないか?


 俺は蟻を救うと同時に、蟻地獄を奈落の底に叩き落してきた。

 蟻の巣穴に突っ込まれた蟻地獄達は、蟻からの反撃で基本全て命を落として来ている。


 それはいいのか?


「私は蟻が好きなので」


 俺の心の声が聞こえているかの様に、女神様は俺の疑問に答えてくれる。

 ひょっとしたら本当に聞こえているのかもしれない。


 しかし蟻地獄を殺しまくった俺が言うのもなんだが、女神が命を差別するのはどうなんだろうか?

 まあそのお陰で転生させて貰える訳だから、ケチをつもりはないが。


「いい心がけです」


 やっぱ聞こえている様だ。

 流石神様だけはある。


「私お腹ペコペコで速く晩御飯を食べたいので、手っ取り早く送っちゃいますね」


 そう言うと、彼女は俺に向かって左手を向ける。

 右手からは小さな炎が生み出され、机の上の七輪に火を入れているのが見えた。


 彼女の左手から出た幻想的な光の粒が、俺の周囲をくるくると乱舞する。

 これだけなら幻想的な幻想的な光景なのだが……

 右手で――いつの間にか箸を握り、どこからともなく肉を出している――器用に七輪の網に肉を並べる姿に雰囲気がぶち壊れだった


 まあいいけどさ。


 やがてその光粒は数を増し、俺を完全に包み込こんだ。

 俺の意識が光に飲まれて一瞬飛ぶ。 

 そして気づいた時には、木造建てが並ぶ街の様な場所に俺は立っていた。


「ここが異世界……ついに俺も主人公だ!」


 右手を天に突き上げ、俺は叫んだ。

 此処から始まる異世界生活。

 そこで俺は無双する。


 そう!転生チートで!


 ……ってあれ?

 そういやその辺りの話が一先聞けていない事に気づいた。

 まさか転生させておいて、チート無しと言う事は無いだろう。


「ステータスオープン!」


 取り敢えず能力チェックだ。

 大声で唱えて見たが、何の反応も無かった。

 開き方が違うのか、それともステータス閲覧が出来ないタイプの異世界なのか?


 あの女神様。

 碌に説明もしてくれなかったから、分からないことだらけだ。

 取り敢えず次はその場で飛んでみた。

 説明が無かったのはきっと身体強化系のチートだからと踏んで。


「1メートルぐらいか?」


 結果はびっくりする位普通だった。

 どうやら身体強化系ではない様だ。

 次は天に手を翳し、力を籠める。

 ビームの可能性を確認する為に。


 だが結果は同じ。

 俺の手からは何も出てこない。


「あっ!そうか!」


 女神は目からビームを出していた。

 あれがヒントだ。

 俺は右目に力を籠めた。


 籠める。

 籠める。

 死ぬ程籠める。


 だがやはり何も起こらない。

 あと、目に力を籠め過ぎたせいで視界がちかちかする。

 良い子は真似しない様に。


「嘘だろ?なんもねーじゃねーか!」


 5分程思いつく限りの事をやってみたが何も起こらず、俺は思わず叫んだ。

 変なポーズを取ったり大声で叫んでいたりしたせいか、周りの人間が白い眼を俺に向けてくる。

 世界を救うかもしれない英雄に向かって失礼な奴らだ。


 しかし……まさか冗談抜きでチート無しとかないよな?


 少し不安になって来た。

 そこで俺は自らの不安をかき消すかの様に、天に向かって大声で叫んだ。


「女神様!女神アーシャ様!チートが分からないんですが!」


 周囲の白い眼差しが一層ひどくなる。

 ひそひそ話も。

 クッソ恥ずかしいが、気にしてなどいられない。

 自分の持つチートが何かわからないのは流石にきつ過ぎる。

 何としてでも確認しなければ。


 とは言え、空に叫んだ所で出てくる訳もな――


「なんでふか?」


 空に女神アーシャの顔が映し出された。

 だがその口元にはタレの様な物が付いており、口元をむぐむぐとだらしなく動かしている。

 折角の美貌がアホ面で台無しだ。


「いま食事ちゅうなんれふふぇど」


 話ながら更に肉を箸で口に突っ込んだ。

 俺と話す事より食べる事を優先する気満々らしい。

 その時俺は気づく、彼女の口の端に、タレの跡に混ざって小さな黒い物がへばりついている事に。


「あの……それ……」


 俺はその黒い物体を指さす。

 それはどう見ても小型の黒い虫。

 蟻だった。


「ああ、これですか? これはトッピングです。さっきも言いましたが、私は蟻が大好きなので」


「好きってそっちの意味でかよ!」


 結局蟻死んでんじゃねーか!?

 いや、今はそんな事はどうでもいい。

 重要なのは――


「そんな事よりもチートです!俺のチートがなんなのか教えてください!!」


「フィート?」


 彼女はしばらく口をムグムグと動かすと、口の中の物をごっくんと飲み込んだ。


「ないですよ?そんな物?」


「え!?」


「強いて言うなら、転生自体がチートの様な物です。用がないなら私は――」


 それは確かにそうかもしれないが。

 だがそれだけでは困る。

 俺は慌てて消えようとする彼女を引き留めた。


「ちょちょちょちょちょちょ、ちょっと待ってくれ!見ず知らずの世界で追加のチートも無しに俺に生きてけってのか!?」


 周囲の様子を見る限り、文化水準が高そうにはとても思えない。

 こんな生活水準が低く、法も真面に機能しているかも分からない様な世界でチート無しとか、生きて行けるわけがない。

 現代っ子舐めるな。


「まあすっごく生きるのは厳しいと思いますが、頑張ってくださいね」


「ふぁー!無理!」


 無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理……むーーーーーりーーーーーーー!!


 絶対に無理だ!!


 俺はその場に土下座する。

 ジャパニーズ土下座の無限の可能性を信じて。


「女神様!チート無しとか無理です!どうかお願いします!」


 土下座をするのは人生二度目の事だった。

 一度目は中学卒業の日、可愛かった幼馴染にHな事を頼み込んだ時の事だ。

 最初は凄く嫌がったが、俺は彼女の部屋で何時間も粘る事で初体験――人生初乳揉み――を勝ち取っている。


 あの時の奇跡の再来を信じ、俺は地面に額を擦り付けた。


「お願いします!」


「物凄く、衆目を集めてますよ?」


「お願いします!」


 そんな事はこの際気にしてられない。

 兎に角俺は粘る。

 何せこの世界での生き死にが掛かっているのだ。

 イエスが返ってくるまで、何日でも粘る積もりだった。


「ふぅ……しょうがないですね」


 が、女神様は直ぐに折れてくれる。

 ちょろいぜ!


「ありがとうございます!!」


「今回だけですよ?」


 彼女は少し考える素振りをしてから「良い能力を思いつきました」そういって俺に手を向けた。

 天から青い光が降り注ぎ、俺の中に何かが染み込んで来たのが感じられる。


「さあ、オッケーですよ」


「一体どんなチートなんですか?」


 俺は胸躍らせ、尋ねる

 空間を自由に操ったり、時間を操作したりのとんでもチートを期待して。


「焼き肉のタレが無制限に出せるチートです」


「……は?」


 うん、何言ってるか分からない。

 女神流ジョークかな?


「それさえあればいつでもお肉を美味しく食べられる、とんでもない能力です。では――」


「え!?ちょっ!?」


 そう言うと女神様はさっさと消えてしまった。

 だがまあきっと冗談に違いない。

 そう思い、俺は試しに右手に力を込めてみる。

 すると俺の掌から赤黒い液体がしたたり落ちた。


 …………


 俺は恐る恐る、手に着いたそれを舐めてみる。

 うん!美味い!

 これは間違いなく焼き肉のタレ!


「って!ふざけんなーーー!!!」


 何処までも広がる青空に俺の怒りの声が響く。


 こうして俺の異世界生活が始まった。

 焼き肉のタレ出すだけと言う、ゴミの様な能力と共に。

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