re:

 とある研究室。教授とその助教授が12帖程のがらんとした部屋に立っている。部屋の外には大きな機材があり、助教授はそれを制御する操作盤を手にしている。白い壁紙と淡黄色のリノリュウムの床材で覆われたその部屋の真ん中にはうっすらと人影のようなものが浮かび上がっている。


「では、教授……交信を開始します」


 教授が固唾を飲んで見守る。助教授が手元のつまみをゆっくりと回し、徐々に出力を上げていく。うっすらと人の形を成していた靄が輪郭をはっきりとさせていく。右腕がなく、右足がひしゃげ、顔を半分無くした男がそこに立っていた。


「こんにちは。私の声が聞こえますか?」



 人類は地球上全ての謎を解き明かしていた。人体の構造、成り立ちについては解析し切ったことを発端に、様々な生物の生態系や進化系統も完璧に体系づけ、もはや研究することがなくなってしまった。また、地球のありとあらゆるところに人類が進出していき、人間が見聞きしていない事象はなくなっていた。ジャングルの奥地に眠る伝説の秘宝、湖の奥底で息をじっとこらしているUMAも存在しないことが立証されて久しい。


 そして霊体が存在するが遂に証明された。人間と全く同じ組成の人形を作ることが可能になり、微弱な電気信号を用いて生命を作り出そうとした研究があったのだが、成功することはなく、永らく魂というものがあるのかないのか議論されていたのだ。この教授と助教授は遂に霊体を可視化することに成功させ、生命に必要な最期の謎を解明できたのだった。


 彼らの研究成果は世界に衝撃を与えた。精神の世界でしか存在しえなかった霊体が本当に存在するということは宗教というものに終止符を打った。


 この研究成果は日々更新され、遂に霊体について、死後の世界についての研究結果がまとめられた。


 まず、あの世というものは存在しないこと。霊体も全て地球上に存在し、共存していたのだ。そして死ぬときは一瞬の苦しみしかないこと。死後も同じように生活できること。食べ物がいらないこと。死後の恰好は死ぬ瞬間に一番印象の強かった姿で固定されること。


 転生については研究結果がまとまるまで十数年を要した。転生することは制御することが出来ないようで、実際に転生する瞬間を研究していかなければならないからだ。ただ、この研究により、転生先は現状選べないこと。なくなった順番に転生していくこと。基本的に同種で転生するが、生体の過不足により他の生き物に転生する可能性があることも分かった。


 死というものが肉体を捨てるための単なる通過儀礼であり、転生までの間に第二の人生が待っていることが立証されたのだ。



 霊体が存在することが立証されて五十年程経った頃、既に世界の人口の半分は霊体となった。霊体を人口に数えるのか疑問の余地はあったのだが、それほどまでに実生活に浸透していたのだった。日本の教授が発明した機材は改良を加えられ、地球上全ての霊体が意思を持って実体化していた。また以前は物に触ることが出来なかったのだが、例えばカップを持つ程度のことなら霊体でも可能になっていた。


 つまり、簡単な日常生活や物品を扱わない職業であれば死後も引き続き行うことが出来たのだ。生活困窮者はこぞって死に、霊体となった。食べ物もいらず、雨に濡れることのない体はそれほど魅力的だったのだ。また来世に期待するものたちもこぞって死んだ。死ぬ順に転生できるなら、と一秒でも早く死にたがっていたのだ。そして来世に生まれ変わり、それでもいい人生を送れなさそうな時はためらいもなく、死んだ。死は尊く、偉大だ――そんな考えはもはや誰ももっていなかった。生命保険などというものは既にこの世からなくなっていた。


 霊体の存在は人間社会を崩壊させていった。食べることもせず、生産性も持ち合わせようとしない彼らは日々体たらくな生活をしていた。映画館に勝手に入っていくものは後を絶たず、夫婦の営みや芸能人のスクープを覗いてやろうとする輩も数多くいたが、彼らを制限することは出来なかった。プライベートを暴かれた人間はどんどん死んでいき、彼らもまたプライベートを覗き見ることを趣味にしていった。霊体を可視化させる装置を破壊しようという動きも出たが政府高官は全て悪事の証拠を握られており装置の停止に動くものはいなかった。



 人類が霊界と交信を初めて四百年、遂に地球上には人間が一人もいなくなってしまった。溢れかえる霊体。発電所は全て停止しており、彼らの楽しみにしていた娯楽もすべてなくなってしまった。彼らを可視化させている装置は太陽光パネルの発電で今も何とか動いていたが老朽化が進んでいた。


 人類がいなくなった今、転生先は全て動物や植物になっていた。人間がいなくなり地球上の動植物は大いに繁栄した。木々は青々と葉を生い茂らせ、小動物が楽し気に木々の間を飛び回る。草は人工物を覆いつくし、辺り一面を花で埋め尽くした。虫たちは競い合うように数を増やし、魚は水面をゆらゆらとくねらせている。


 霊体たちは今にも壊れそうな機材を見てもあせりはしなかった。おそらく後数年で機材が壊れ、彼らの姿は大気に交じり合うだろう。己を保てず、ゆらゆらと風に揺られながら転生することをまつ。もう人間には戻れない。しかし動植物のいきいきとした姿を見、本来あるべき生物の姿を理解できたのだ。彼らに悔いも後悔もなかった。



 


 人類が完全に消滅し数千年の時が過ぎた。人工物は全て塵と化し、地球上は人間以外のものになった。しかし、恐らく数千年後、いや数十万年後にまた人間が出現してくるだろう。道具を操り、火を自分のものとし、争い合い、地球全土に進出し、やがて全てを解明し、滅んでいく。五度目の人類繁栄も恐らく同じ最後を辿るのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

街の噂~裏通り編~ 丸尾坂下 @tetujo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る