無名の本

 今日は暇だったんで近所のリサイクルショップに顔を出してみた。結構顔なじみで行くとアルバイトの店員も気さくに挨拶をしてくれる。今日も駐車場を掃除していた店員に軽く挨拶をした後、相変わらず汚らしい外装を眺めつつ入口に体を通す。

 リサイクルショップの醍醐味は何といっても雑多なラインナップにあるといえる。もちろん思わぬ値段で欲しかったものが手に入る楽しみもあるのだがそれはあくまで自分の世界から逸脱しない楽しみ方だ。使い方も分からない古道具や価値も分からないような掛け軸、倒産引き上げ品と思われる名前も分からないキャラクターグッズ……そういった今までの人生でおよそ知ることのできなかった商品をあれこれ眺め、想像を膨らませていく。それがリサイクルショップに俺が通う一番の理由なのだ。

 とまあ大層な理由を話してみたが、ようは自分の知らないアイテムを見つけるのが好きなのだ。今日もいつも通り不均等に積まれたオーディオや埃を被ったカメラ、コンテナにぶち込まれたコード類などの隙間から顔を覗かせるお宝を想像しながら店内を回っていた。

 足繁く通う店なのでラインナップの変化には敏感だ。店内を十分も歩けばめぼしいものがあるかどうかは分かる。今日は何も欲しいものはないな、と思いながらレジの前を通り過ぎようとした時、一冊の本が目に入った。文庫本サイズで白一色のその本は100円ライターが大量に詰まったカゴの中に無造作に置いてあった。活字に親しみはそれ程ないが、それとなく興味を惹かれ手に取ってみる。カバーがかけてあるが裏も表も白一色で作者名はおろかタイトルすら書いていない。カバーが裏返しに取り付けてあるのかと思いカバーを裏返してみたが裏も白一色だった。中をパラパラとめくってみる。

「へぇ……」

 思わず声が出てしまった。おそらく私家版しかばんと言われる自費出版の本である。ただ、出版元、版数すらも書いていないので完全に個人で作った本なのであろう。製本は一見しっかりとしているようだが裁断面が不ぞろいで小口の部分がデコボコしている。後半二十ページほど白紙が続いていた。

ただ、ページの割れもないようなので読む分には問題がなさそうだ。恐らく世界で数冊、いや一冊しかない本かもしれない。俺はレジで新聞を読んでいた店長に声をかけた。

「あの……これっていくらですか?」

「小説か? ……持ってけ」

 店長は新聞から目を離さず静かに答えた。――いくら私家版とは言えお金を払う価値もない商品なのだろうか? 作者が時間とお金をかけ世に生み出した作品なはずなのだ。それを一瞥もせず、タダで持って行けというのにはいささか憤りを覚える。俺はそのまま返事もせず妙に興味を抱いたその本をアパートに持ち帰った。


 アパートに着いた俺は本を筆記用具が散らばるテーブルの上に置き、他の荷物はベッドの上に投げ置いた。中はまだ目を通していないがパッと見たページ数からすると凡そ二時間もあれば読み終えられそうな量だった。テーブルの前であぐらを組み、はやる気持ちを抑えながら両手で本を開き始めた。


 白紙を数ページ開き、タイトルに辿り着く。タイトルは『こうみょう』。作者名はどこかで聞いたことがある程度だった。


 半分ほど読み進み、一旦本を閉じ、目をつぶる。主人公は小説家であり、枯渇しきった才能を認められない愚かな男だった。いや、枯渇する水源すら元々なかったのかもしれない。自分の才能の無さを慨嘆がいたんしながらもか細い希望にしがみつき必死に世の中に食らいつこうとする。しかし男が世に認められることはない。どんなに小説を書こうが数多の人間に目を通してもらう機会など得られることがなかった。

 そんな男に自分の現実を重ねる。去年、大学の留年が確定した俺はそのまま大学を辞めた。二度目の留年だった。しかし、後悔は微塵も感じていなかった。大学などという狭い世界で俺を評価できるわけがないという自信の表れだったと思う。女やギャンブルに飲まれた同級生と、それを嘲笑する自分が同じ線引きで評価されるのには我慢がならなかった。俺は他の人間とは違う、花開く世界があるはずだ――そう思い新たな世界へと足を踏み出すことにしたのだ。しかし――現実はそう甘くはなかった。この一年、世の中で目にする様々なと自身を見比べ、それらの才能を鼻で笑いながら色々な事に手を出してきた。あの程度の作品なら俺の方が上手く書ける、俺の方がおもしろい、俺の方がすごい、俺の方が、俺の方が……結果この様だ。親からの仕送りを頼りにアパートで悶々と過ごす日々。親には一年の猶予をもらっていたがそれもそろそろ終わりだ。結局俺は堕落した同級生と何ら変わらないのだろう。世の中を動かす動力にはなれなかった。必要なのかどうかも分からない小さな小さな歯車のうちの一つでしかなかったのだ。この主人公とのだ。

 俺はゆっくりと目を開き、本の続きを読んだ。本の続きは既に知っている。いくらがんばっても世の中に認められない主人公は……堕ちていくだけだ。

 本を読み終え、俺はテーブルにあったペンを取り出した。途中から手書きに変わった小説の続きを書くためだ。全てを諦め、アパートの一室が世界の全てであるその主人公を奈落の底から助けてあげたくなったのだ。

 しかし……俺は自身の小説の続きを書くことが出来なかった。俺自身でもある主人公を俺も知らぬ上の世界へ引き上げる術をもっていなかった。俺の世界にこの続きは存在しない。小説の余白は余白のままだった。


 気付けば部屋に差し込む日の光が橙色に染まり始めていた。俺は続きを書けなかった小説を片手に、あのリサイクルショップへと向かった。


 リサイクルショップは相変わらず閑散としており、レジの前では店長が買い取ったカメラを修理していた。

「……続きはかけたのかい?」

 相変わらずこちらを見ない店長は、いつもと同じセリフを言う。

「今日もかけなかったよ」

 俺もいつもの言葉を口にする。

「また置いていくのかい?」

「うん、あのカゴに置いとてよ」

 俺は、ライターが沢山投げ込まれたカゴに本を投げ入れた。

「どうせ明日も取りに来るんだろう」

 店長は少し顔を上げ、ニヤニヤしながら話しかける。

「売れれば二度と来ないさ」

 そう言い残し、俺は店を出た。


 コンビニでビールを買い、茜色に染まる道路に長い影を落としながら帰路に就く。道中我慢できずビールを開け、チビチビと飲みながら物思いにふける。


 今日という一日は二度と戻らない大切な一日だ。その大切な一日に何も生まず、親の金で買った酒で満足している自分は堕落そのものである。しかし、何百日、何千日と積まれていく日々の一つ位虚無を感じてもいいんじゃないだろうか。俺が今まで積み上げてきた日々は決して薄ら汚れてはいない。今日という一日……今日という一日だけ俺の人生から消し去り、明日からまたがんばればぁいいじゃないか。

 そうだ、明日リサイクルショップに行ってみよう。あそこにいけば何かが見つかるかもしれない。自分の世界を広げるための何かが。

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