第10話 拾い主の親心 ※斎藤一side

 猫とは気まぐれな生き物だ。だが、その方が俺には都合が良い。

 俺はいつ死ぬかわからぬ身。

 常に自分の傍にいてくれるような存在など、俺にも相手にも負担にしかならない。

 そう、思っていた……


――――――…


「斎藤さんと時尾さんって、恋仲なんですか?」

「……」

 前置きも無くいきなり尋ねられ、俺は黙って小夜を見下ろした。

「って『聞いてきて』と藤堂さんから頼まれました」

「おわっ!!」

「……藤堂」

 慌ててその場から逃走しようとした藤堂の首根っこをを掴む。藤堂は捕獲された子犬の如く暴れ出した。

「僕だって頼まれたんだよ左之さんに!」

「ぬわっ平助の阿呆!!」

 慌ててその場から逃走しようとした原田さんは、立ち上がった拍子に足をかけたら容易に転けた。

「オレは新八から頼まれたんだ!」

「俺も他の隊士から頼まれた」

 新八さんは我関せずと居直っている。一連の騒動を、小夜は不思議そうに眺めていた。

「で、どっちなのさっ?」

 俺によって宙に吊り下げられている藤堂がにやにやと笑う。

 俺はため息をついて藤堂から手を離した。

 ぼすっという音と「いてっ」という声に聞こえない振りをする。

「……俺は人を斬ることしかできない」

 俺には過ぎた女だ。

 そのまま俺は部屋を出た。


「秋月」

「はい」

「何だ、さっきの戦い方は」

 先程の巡察で不逞浪士と遭遇し、小競り合いになった。もちろん捕縛には成功したのだが……

「あそこで僕が出なかったら斬られてました」

 小夜は斬られそうになった隊士の前へ飛び出したのだ。

「自分の命を粗末に扱うな」

 幸い軽傷で済んだが、死に物狂いで振り回された刀の前へ出るなど一歩間違えば死んでいたかもしれない。

「どうしてですか?」

 だが、返ってきたのは予想もしない答えだった。

「僕は今まで他人の命を粗末に扱って生きてきたんです。それなのに自分の命を大切にするのはおかしいと思います」

 そんな言葉を小夜は何の気負いも無く口にした。それを聞いて憤りを覚える俺は、どうかしている。


―――秋月小夜

 屯所の前でうろうろしていたところを捕まえてから、もう一年が経つ。最初はろくに口も開かず仏頂面をしていた小夜も今では、おしゃべりとまでは言わないが口数も増え笑うようになった。

 隊士の中にも小夜を弟――本来なら妹なのだろうが……のように見ている者も少なからずいる。

 最近、そのことに安堵している自分に戸惑いを感じていた。

 俺が捕まえたとはいえ小夜は他人だ。他人と他人が打ち解けたことに何故俺が安堵する。己のことながら賦に落ちない。


「はじめさん」

 俺は、時尾の家で時尾が淹れた茶を飲んでいた。時尾の淹れる茶は美味い。

 普段、死と隣り合っているためか、ここへ来てこの茶を飲むと時間がゆっくりと流れているようで落ち着ける。

「どうした」

 時尾が珍しく困った顔をしている。

「あの……小夜ちゃんのことなんだけど」

 小夜も頻繁にここへ来ているらしい。屯所は男ばかりだから良い息抜きになるのだろう。

「小夜ちゃんね、赤ちゃんは天からの授かり物で、何というか……自然にできるものだと思ってるみたいなの」

「…」

 世間知らずなところのある娘だとは思っていたが……そこまでとは。

 あまりにも重大な事柄のため、自分以外の誰にもその質問をしてはいけないと言い含めてその日は屯所に帰らせたらしい。

「失礼な言い方だけど大丈夫なのかしら。新撰組って男の方ばかりだと聞いているし……」

 確かに、屯所に小夜以外の女はいない。小夜が女子であることを知っているのは一部の幹部だけで、隊内では男として通している。それもいつ気付かれるかわからない。

「……まぁ、大丈夫だろう。総司と橘あたりは危険だが、俺や山崎が目を光らせているからな」

 それに万が一誰かが手を出しても相手は小夜だ。男の方が文字通り死を見る羽目になる。

 このような話を女からするのは相当な勇気を要したはずだ。しかし小夜の身を案じて話したのだろう。こういう風に気を回せるのも時尾の魅力の一つだと思う。

「なんだか小夜ちゃんの姉か保護者になったような気分になっちゃうのよね。

守ってあげたいというか……」

 少女とはいえ新撰組の隊士である小夜に「守ってあげたい」なんて可笑しな話だけど、と時尾は微笑んだ。

 時尾と俺は恋仲ではない。

 以前、巡察中に柄の悪い連中に絡まれているのを助けたことがきっかけで知り合った。俺は隊務をこなしただけだったのだが、時尾は後日わざわざ屯所に礼を言いに来た。

 当時は今以上に新撰組の評判は悪く、よく女子一人で訪ねて来たものだと今でも思う。

 時尾の訪問に総司と藤堂は馬鹿のように大喜びした。何故なら時尾は礼として大量のおはぎを作ってきたからだ。

 特に総司はこれに味をしめて「これも縁ですから、一くん、絶対に時尾さんと仲良くなってくださいね!」などとと言いだす始末。そんなにおはぎが食いたいなら自分で頼めば良いものを。

 ともかく、この一件の後から俺は時尾を訪ねるようになった。別に総司の言いなりになったわけではない。俺自身が時尾に興味を持ったからだ。

 たまに訪ねて行き、時尾の淹れた茶を飲み夕刻になったら帰る。誰かと時間を共有してこんなに穏やかな気持ちになったのは時尾が初めてだった。

 恐らく向こうも通じるものがあったのだろう。俺の訪問を拒む様子も、逆に媚びるようなそぶりも見せたことはない。

 これも隊内では誤解されているが俺と時尾には身体の関係も無い。

 時尾に魅力がないわけではない。決して。寧ろ別嬪の類に入ると思っている。

 俺は、いつ死ぬかわからぬ新撰組の隊士。

 剣で俺に適う奴はそういない。自惚れではなく事実だ。だが刀を差している俺には常に死がついて回る。

 最近、時尾の穏やかな笑顔を見る度に思う。

 いつか離れるのなら、俺から先に離れてしまおうか。

 平穏な人生など望めそうにないし、今の俺自身が望んでいない。

 時尾は良い女だ。俺の傍にいるよりも幸せな生き方があるはず。

 もし、俺が時尾を求めたら……時尾を不幸にするかもしれない。


「困るなぁ山崎くんたら。それぐらいで妬かないでくださいよ~」

「そんな話をしているのではありません。なぜ道場の稽古でここまで怪我をさせるのかを聞いているんです」

 屯所へ帰ってきた俺が目にしたのはピリピリした空気を纏う総司と山崎、そして二人に挟まれておろおろする小夜だった。小夜は額に濡らした布を当てている。

 この二人は、何度同じやりとりをすれば気が済むのか

「秋月だけの話ではありません。沖田さん、あなたがいつもいつも稽古で怪我をさせる隊士達の……面倒みる身にもなれ言うてるんやぁぁあっ!!」

「ちょ、ちょっと烝くん!沖田さんも刀を抜かないでください!」

 だがそんな制止の声がこの二人に届くはずもなく……

 途方に暮れている小夜の袖をそっと引く。

「あ、斎藤さ「来い」

 振り返った小夜の腕を掴み直すと有無を言わさず歩き出した。

 足を止めたのはいつもの縁側。

「巻き込まれたら厄介だろう」

「ありがとうございます。それと、この前はすいませんでした」

「何の話だ」

「時尾さんと恋仲なんですかって聞いたことです。あの時、斎藤さん苦しそうな顔してたから、もしかして、聞かれたくなかったのかなと思って」

「…」

 表情は出ない方だと自負していたのだがな

「でも……すごくお節介かもしれませんけど僕は、お二人にはずっと一緒にいてほしいです」

 いきなり何を言うのだと視線を向けると、まっすぐな目とぶつかった。

 時尾と離れるべきかと迷っていたことを見透かされたような気分になる。

「だって自分を大切に思ってくれる人がいるって嬉しいじゃないですか。それに時尾さんってすごくいい人だし。だから斎藤さんは幸せ者だと思います」

「俺は……」

 口に出しかけた言葉をしまい、代わりに苦笑を漏らした。

 新撰組に来た頃と比べると、やはり小夜は変わり始めている。自分の命を軽く見たり人を殺めるための力を持っているとしても。

 それでも何かが小夜の中で変わってきたことを感じる。

 俺の生き方は、いつか変わるだろうか。己の生きる道と信じた剣を手放しても、生きてゆけると思えるだろうか。

 "今の"俺には想像もできない。

 だがもし、そう思える日が来たら……


にゃあ


 膝に重さと温かさを感じて見ると屯所によく来る黒猫……クロが俺の膝に頭を乗せて寝そべっていた。

「あんたは相変わらず無遠慮な奴だな」

 そう言いながらもクロを撫でる。小夜もつられて手を伸ばしたのだが……

うみ゙ゃっ

 怒ったような声で威嚇されてしまった。初めて会った日から、クロはどうしても小夜に近付こうとしない。

「何故クロだけが小夜に懐かないんだろうか」

「多分……」

(きっとクロは気付いてるんだ。私が……)

「多分、何だ?」

「いえ、何でもないです」

 小夜は言葉の続きを飲み込んで笑った。一年前、新撰組に来たばかりの頃の孤独な色が笑顔の奥に見えた。

 ふと、時尾の言葉を思い出した。

『小夜ちゃんの姉か何かになったような気分になっちゃうのよね。守ってあげたい、というか……』

 そうか。それが俺の不可解な感情の答えだ。

 俺は、小夜を守ってやりたいのだな

「俺が拾った猫、か……」

「?」

「いや、なんでもない」

 土方さんの言葉はあながち間違ってはいなかったようだ。

 台所の方から飯の匂いがする煙が流れてきた。素直に腹を鳴らした小夜に、思わず微笑が浮かぶ。小夜も照れたように笑った。

 猫は気まぐれな生き物だ。拾った者の元へ来るとは限らない。

 だから、小夜はきっと俺の元へは来ない。それでも俺は小夜を守る。それだけだ。

 そして、もしいつの日か、俺が刀を手放す時が来たら……

 時尾、俺がお前を迎えに行く。

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