第3話 素性
山崎からもたらされた小夜の素性に、皆は目を丸くした。
「な、何だよそれ!?」
「私の想像を遥かに上回る答えですね」
「しかも将軍って……」
小夜の実家である秋月家は、代々徳川幕府の将軍家に仕える暗殺一族。つまり、幕府から依頼された人間を秘密裏に始末する"仕事"を請け負っている。
そして小夜は、その暗殺一家の次期当主なのだ。
「さ……秋月は幼少時から、人を一撃で殺せるよう訓練されています。
入隊試験で使ったのは秋月家に伝わる[流拳]という、暗殺用の柔術かと」
「なるほど。やはり暗殺を生業とされる方だったのですね」
「こいつが、昼間俺の部屋で殺気を放っていたのもそういうわけか……」
「秋月にとって、人間は殺して良いか、良くないかの二種類しかいません。幼少からそのように教育されているので」
「それ危なくねーか?オレ達が!」
「あ、必要が無ければ誰も殺しませんよ。別に僕、殺人鬼じゃありませんから」
人を殺すのは、それが私の“仕事”だからだ。
うどん屋さんが麺を茹でるのと一緒。
「で? 将軍様に仕える殺し屋が何でこんな所にいるんだよ」
「次の当主ってことは、そいつ跡取り息子なんでしょ?新撰組に入っちゃって平気なわけ?」
「実は……数日前、父に家から追い出されたんです。理由も言われず突然『家を出てけ』って。
行くあても無いし、烝くんは最近忙しそうだったから困ってたんです。そしたらここの噂を聞いたので」
「あんたは山崎と知り合いってことか?」
小夜はムッとして首を横に振った。
「知り合いじゃありません。友達です。
烝くんは、怪我したら治してくれるし、おやつ食べに連れてってくれるし、泣いたら助けてくれる、いい人です」
正直に答えると何故か皆、妙な顔をしていた。
あれれ。私、今なんか変なこと言ったかな
「ねぇ。きみさぁ……」
何故か不機嫌そうな声を上げたのは沖田。
「さっきから“烝くん烝くん”って、きみ達本当はどういう関係なんですか?
もしかして恋仲とか?」
「「ブッ」」
部屋の中で一斉に吹き出す音がした。
「いやあり得ねぇだろ!」
「まさかの山崎くん衆道疑惑!?」
「はぁ~!まぁまぁ見られる面しているとは思ってたが、そっち系だったのか……不覚っ!!」
押し入れ三人組が笑い転げた。山崎は顔面蒼白で固まっている。
そんな中、小夜は不思議そうな顔で沖田の方を向いた。
「あの、沖田さん。“こいなか”って何ですか?」
「へ?」
沖田は目を丸くした。他の人達も驚いたように制止した。
「あ、そうか。小さい頃から人殺しばかりやってたんですもんね。知らなくても仕方ないか。
でもそれじゃこの先、女の子として生きて行くのは大変ですよ?」
「そう、ですか……って―――!!?」
「「「「女子ぉぉ―――!?」」」」
笑顔で放たれた言葉に、押し入れ三人組と近藤が叫び声を上げた。
小夜も心の中で叫び声を上げた。
「気付いていらしたんですか」
山崎が呆然と呟いた。
「見たまんま、だな」
土方は、にやりと笑った。
山南も平然と微笑んでいる。
「女性である貴女があれほどの動きを見せたからこそ、私は貴女を疑ってかかったのですよ」
斎藤は黙ったまま。押し入れ三人組は生気が抜けたように固まっている。そして近藤は部屋の隅で頭を抱え、ぶつぶつと何か呟いていた。
「……にしても、総司が女関連で勘が働くなんて珍しいな」
「実はこっそり花街でも行ってんじゃねーの?」
「いやだなぁ。あんな面倒くさい場所、私は行きませんよ。
昼間の試合で秋月くん、気絶しちゃったので私の部屋で休んでもらったんですけど、部屋に運んだ時に気がつきました。
ちなみに疾しいことは何もしていませんからご心配なく」
沖田は三人、特に長身の男からの「何で疾しいことしねーんだよ!」という驚愕の視線を、さらりと受け流した。
「男のフリをするの、随分お上手なんですね。仕草も自然だったし。運ぶまで私も気付きませんでしたよ」
好奇と疑念が混ざった目。小夜は肩を竦めた。
「……バレたなら隠しても仕方ないですよね。
『彼方』は偽名です。本名は、秋月小夜と申します。名前と性別を偽って試験を受けたこと、お詫びいたします」
「あのお言葉ですが、自分と秋月は単なる既知の間柄であって決してそのような……」
「わぁすごいすごい。山崎くんを動揺させるなんて面白い子ですね~」
狼狽える山崎に、それを見て何故か喜んでいる沖田。
どんどん話が脱線していく様子に土方はため息をついた。
「てめぇら話を逸らしまくってんじゃねぇよ。
秋月。悪いが今の話にゃ証拠がない。たとえ幕府に仕えてたとしても、それはお前が間者や刺客としてここへ送り込まれた可能性の否定には直結しない」
「……」
理路整然とした土方の言葉に、反論できなかった。
確かに、いきなり代々将軍に仕える暗殺一族なんて、話が飛躍してるもんね。しょうがないか。
「山崎。こいつが間者やら刺客やらの可能性は」
「ありません」
だが、山崎は即答した。
「こいつは俺に嘘をつきません。秋月は『仕事で来たのではない』と俺に言いました。ですから純粋に入隊したくて来たのかと」
「ふーん……」
土方は煙管を弄びながら顎に手を当てた。本日何度目かの沈黙が漂う。
「秋月。隊士と監察、どっちがいい?」
「は?」
「『は?』じゃねぇよ。誰に向かって口聞いてんだコラ。お前の能力なら監察方もやれると思ってな。
だがまぁ、選ばせてやるっつってんだよ」
口調は乱暴だが、今夜の布団への希望が漸く見えてきた。
「普通の隊士がいいです」
「ほーう。意外だな。山崎といい仲みてぇだから、俺はてっきり監察を選ぶと思ったんだが」
視界の隅で狼狽する山崎が見えたが、よくわからないので素直に理由を述べた。
「……剣を、やってみたくなったんです。烝くんとは、ここに居ればいつでも会えるし」
「今度の理由は嘘じゃなさそうだな」
実は、昼間みんなが必死に木の棒を振っている姿に、純粋に興味が湧いたのだ。
それに[流拳]は本来他人に知られてはいけない秘伝の拳法だから、何かしら新しく武術を身につけないとやっていけない。
勘当されたんだから、掟くらい破ったって良いんだけど。そこは習慣というやつである。
「待て、トシ」
「どうかしたか。近藤さん」
「新撰組は、女人禁制だぞ」
盗み聞きを見つかった時とは似ても似つかない威厳。
って、え、そうなの!?
じゃあ私、今夜も野宿……
しかし土方は不敵に笑ってみせた。
「そうだったな。だがまぁ、いいんじゃねぇか?」
「トシ!?いや、しかし……」
「山南さんはどう思う?」
「私も異論はありません。彼女の男装なら、見抜けない者の方が多いでしょうし」
それは褒め言葉ですか?
「誰か、秋月の入隊に反対する奴は?」
土方が周りを見回すが、誰も異を唱える者は誰もいなかった。
「そういうことだ。近藤さん」
近藤は「うーむ」と腕を組んで唸っていたが、やがてニッと笑って顔を上げた。
「皆に異論が無いならもちろん、おれもとやかく言わないとも!」
放出していた威厳のある空気が和む。
「……しかし、さすがに隊士達の大部屋に入れるわけにはいきませんね」
「僕、どこでも構いませんけど」
もともと布団目当てで来たのだから、贅沢など言うつもりはない。
「それは絶対ダメです!」
いきなり肩を掴まれ、ガクガクと前後に揺すられた。
「何でですか」
小夜は不思議そうな顔で、自分の肩を掴む人物――沖田の方へ振り返った。
「何でもです!……とにかく、恋仲の意味も知らない女の子を大部屋に押し込むなんて出来ませんよ。ねっ、土方さん?」
「そうだなぁ」
土方は顎に手をかけたが、良案は思いつかないようだ。
「近藤さんの遠縁の者、ということにして、彼女に隊士兼幹部の小姓になってもらったらどうでしょう?そうすれば一室割り振っても違和感はない」
そう提案したのは山南。
「まぁ、それなら理屈は通るが……あんまり似てねぇよな」
土方の言葉に、ほかの幹部も二人を見比べながら唸った。
近藤の顔は、はっきり言うと四角い。対する小夜の容姿は線が細く、さらに表情の変化が少ないせいか中性的な印象を受ける。
「だから私も『遠縁』と言ったのですが……」
近藤は、皆から顔を見られておろおろしている。
「ま、何とかなるだろ。秋月。お前には一室手配するからそこで寝起きしろ。
飯と布団目当てで来たってのは、かまわねぇ。だが、うちに居たきゃ男装は続けてもらうことになる。
こいつを拾ってきたのは斎藤だったな?」
斎藤は無言で頷いた。
「よし。それじゃ斎藤の三番隊に入ってもらう。
明日から隊士として動け……と言いたいところだが」
「?」
まだ何か問題があるのだろうか。
「昼間、総司に右腕打たれたろ?」
「痛いです」
実は目が覚めた時からズキズキとした痛みをこらえていたのだ。
「あぁ、つい夢中になっちゃって。すみません」
「……」
そんな、にこにこしながら謝られても困る。
「お詫びに、というわけではありませんが秋月くんの稽古は、私に見させてくれませんか?」
「総司。秋月は三番隊に入るんだってば」
藤堂が口を挟んだ。組が違えば稽古の時間や巡察の当番が違う。
「わかってますよ。でも、昼間の試験で秋月くんのこと気に入りました。
いいですか? はじめくん」
「好きにしろ」
「総司が自分から稽古をつけたがるなんて珍しいじゃねぇか」
「そうですかねぇ。じゃ、改めてよろしくお願いします。
秋月くん……と呼び通した方が良いのでしょうね。
私は、一番隊組長の沖田総司です」
笑顔でそう名乗った。彼が笑うのに合わせて、高めに結われた漆黒――とは言えない、色素の薄い柔らかそうな髪が揺れる。
すると先程小夜の入隊に待ったをかけた男、近藤が膝を打った。
「おぉ! おれとしたことが、まだ名も名乗っていなかったな。
おれは局長の近藤勇だ。皆が君を歓迎しているよ。
男所帯で大変だろうが、これからよろしく頼む!」
局長ということは、この中で一番上役なのはこの人らしい。いかつい顔をしているが、笑顔になると目尻が下がり、いかにも人が良さそうな感じだ。
近藤の名乗りによって、ほかの幹部の自己紹介も始まった。
「俺は副長の土方だ。男所帯で大変って……
近藤さん。こいつぁ自分から飛び込んで来たんだぜ?
もちろんそれなりに覚悟はあるよなぁ?」
「え」
「土方さん! 秋月くんに何かしたら承知しませんからね!」
「いくら土方さんでも、こんなにちっさい子に手ぇ出すなよ!」
ち、ちっさい子……
「何でお前らそんなムキになってんだよ……」
「前科がたくさんあるからです!」
「前科がたくさんあるからじゃん!
あ、僕さっきも言ったけど藤堂平助ね」
押し入れ三人組の小柄な青年が、白い歯を見せて笑った。
「オレは十番隊、原田左之助だ!」
突然目の前に大男が現れ、がっしりと手を握られた。
「オレはあんたを男扱いするのを非常に残念に思う!
さっきは全然気付かなかったが、よく見るとこんな可愛い顔してんのによぉ……
つまり、オレと並んだら美男美女じゃねーか!やっぱ隊士はやめてオレの女……
「左之はだぁってろ!」
至って真剣に小夜を口説きだした原田を、体格の良い男が弾き飛ばした。
「悪いな。こいつ馬鹿だから。俺は二番隊の永倉新八だ。よろしく」
永倉は手短に名乗ると、喚く原田を引きずって行った。
「先程は疑ったりして申し訳ありませんでしたね。
騒がしい方が多くて大変でしょうが、困ったことがあったらいつでも仰ってください」
山南が柔らかく微笑む。眼鏡といい緩めに結われた髪といい、武士というよりも学者のような風体だ。
「三番隊、斎藤一」
昼間、小夜に刀を突き付けてきた男だ。長めの前髪から、昼間と同じ鋭い瞳が覗いている。
幹部の自己紹介が一通り終わると土方が口を開いた。
「腕が利かないんじゃ仕方ねぇ。隊務には腕が治ってから参加しろ。
山崎に診てもらって、今夜は早く寝ちまえ」
「小夜ちゃん。右腕、見せてみ」
土方の部屋を辞して案内されたのは、狭いが小夜一人には十分な部屋だった。
「骨は何ともなっとらんみたいやね」
「うん。私、丈夫だから」
小夜はさっきまでの無表情から一転、得意気に笑う。
山崎も、土方の部屋にいた時より口調が砕けている。
「ただの打ち身みたいやけど……ものすごい打ち身やで?沖田さんは手加減っちゅうもんを知らん人やからなぁ」
「ふふっ」
「何笑うてんの?」
「なんか小さい頃みたいだから」
幼い頃は、仕事先で怪我をする度に山崎の所へ転がり込んでいた。
「そうやなぁ。ま、俺から見たら今でも小夜ちゃんは小さい女の子やけど」
「ひどい! もう16だよ!」
「小さいやん。俺、18やし」
「変わんないじゃん!」
二人分の笑い声が部屋に響く。
「あ、忘れとった。はい、これ」
そう言って山崎が懐から取り出したのは、笹の葉に包まれたおにぎりだった。
「もう今日は夕飯の刻限過ぎとるから、これで我慢してなー」
「やったぁ! ありがとう!」
朝ご飯を食べたきりだったので、小夜はあっという間に山崎が作ってきたおにぎりを平らげた。
「ふぅ、おいしかったよ。ごちそうさま」
「……小夜ちゃん」
「なに?」
「ここにおるのは、みんな仲間や」
「へ?」
「せやから、ここの人を、誰も殺しちゃあかんよ」
「……うん」
小夜は、暗殺一家の家に生まれたという生い立ち故、普通の人間に囲まれて暮らしたことがない。
仲間、というのもよくわからない。
そんな自分を案じてくれたのだろうと、とりあえず素直に頷いた。
「それから、友達作ってな」
「え?」
「友達」
「そんなの要らないよ。烝くんがいるもん」
山崎は小夜の返事に、少し困ったように頬を掻いた。
「俺だけじゃ足りんて。まぁ今の小夜ちゃんに色々要求すんのもな。
俺、帰るよ。おやすみ、小夜ちゃん」
友達かぁ……よくわかんないな
はっきり言って、新撰組に長居をするつもりは無かった。
山崎と会えたのは想定外だったけれど、小夜にとって新撰組は『布団とご飯があって素性をあれこれ聞かれない場所』という条件に合ったから一時的に身を寄せようと思っただけ。
烝くんのせいで、バレたけどね。
「はぁ……」
なんだか今日は疲れたなぁ
仕事以外であんな風に人に囲まれたのも、実家のことを話したのも、組織に入ることになったのも初めてだ。不安が無いと言ったら嘘になる。
しかし、何はともあれ……
「お布団だぁーっ♪」
小夜は久しぶりの布団にくるまり、幸せな気分で眠りについたのだった。
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