第2話 入隊試験
土方らと小夜は屯所内の道場に集まった。
小夜と、隊士の一人が道場の中心で向かい合う。
「今からこいつの入隊試験を行う。どこかに綺麗に一発打ち込めば終わりだ」
木刀を手にした隊士が眉を寄せた。
「土方副長。あの……」
相手の小夜が得物を持っていないのを怪訝に思ったのだろう。
「遠慮はしなくていい」
「はいっ」
隊士は気持ちを切り替えるように勇んで木刀を構えた。対する小夜は、両腕を下げたままの自然体。
「始め!」
土方の声が道場に響き渡った。
「うぉぉぉぉっ!!」
隊士が木刀を振りかぶり、気合いと共に小夜に迫る。小夜は動かない。
隊士はそのまま微動だにしない小夜に向かって、上段から木刀を振り下ろした。
―――ドスッ
鈍い音が響き、床に倒れ込んだのは……
相手の隊士。
「……一本。秋月」
見物していた隊士達がざわざわとどよめいた。
「速いな……」
ポツリと永倉が呟いた。
先程、振り下ろされた木刀が触れるギリギリのところで小夜は微かに身を捩らせた。力一杯木刀を振り下ろしていた隊士は止まれない。そのまま前のめりになった隊士のみずおちに、下から拳を叩き込んだのだ。
隊士は昏倒。勝敗は一瞬でついた。
(これは只者じゃないな……)
それからほどなく、小夜は勝負に名乗りを上げた隊士を全員倒してしまった。
「もう秋月と勝負したい奴はいねぇよな。よし、これで終わ……
「土方さん」
「どうした、総司」
「私はまだ戦っていませんよ?」
笑顔で立ち上がったのは、新撰組一番隊組長、沖田総司。
「もう試験は終わりだ。秋月の実力は十分見せてもらったしな」
何故か土方は妙に引きつった顔で沖田を止めようとする。
「いやだなぁ土方さん。隊士をこれだけ弄ばれておいて、黙って引き下がれと?」
「総司は戦いたいだけだろ」
沖田は笑顔のまま土方の言葉を無視すると、隊士達の方を振り返った。
「明日から“もう少しだけ”厳しくやりますからね」
すると隊士達の顔がまるで『明日世界が滅びます』と宣告されたかの如く青ざめる。
「受けてくれますよね?」
「僕はかまいませんが」
「せめて休憩とったらどうだ?そいつ、ずっと動きっぱなしじゃねぇか」
「それもそうですねぇ。休みますか? 秋月くん」
口では永倉の言葉に肯定しているが、挑発するように首を傾げる姿に小夜は微かにむっとした顔で首を横に振った。
「僕、疲れてません」
事実、小夜は息一つ乱れていなかった。
返答を聞いた沖田が木刀を構えた途端、周りの空気が変わった。
何、この……殺気…………
表情は笑顔のままだが、纏う空気は氷のようだった。相手は木刀のはずなのに、まるで真剣と対峙しているかのような錯覚に背筋が冷たくなる。
小夜は、自分の手元が小さく震えているのに気付いて驚いた。
私、怯えてる……
(ったく、総司の悪いクセが出やがったか……)
本当に殺気を出す沖田を見た土方はため息をつくと、諦めたように審判に立った。
「始め!」
開始の声が耳を打った次の瞬間、目の前に沖田がいた。
「!」
辛うじて身を捻る。耳のすぐ横で、風を切る鋭い音がした。初太刀を避けられることは予想していたらしく、小夜の脇をすり抜けた木刀はすぐさま翻ってきた。
―――パシッ
「……なかなかやりますね」
小夜は唸りをあげて迫る沖田の木刀を、手刀で弾き返した。
(随分と実戦経験があるようだな……)
審判を務める土方は密かに感心していた。
手刀を入れたのはご丁寧にも刃の平の部分。つまり相手が真剣である場合を想定した反応。
相手の太刀筋を一瞬で見抜き正確に横から弾くなど、幾多の実戦経験に加え常人を越えた身体能力が無ければできない芸当。しかも相手はあの総司だ。
「面白くなってきましたねぇ」
「……」
沖田は余裕の笑顔。だが、小夜の無表情にも全く変化は無かった。
「もういい加減勝負がついてもいいんじゃねぇか?」
試合が開始してから、小夜と沖田は息もつかせぬような攻防を繰り返し、両者一歩も譲らずという様子だ。
「はっ……はぁ、はぁ……」
さすがに息が乱れてきて、額に流れる汗を拭う。見ると沖田も距離を取るように少し後ろへ下がっていた。
「さて、そろそろケリをつけましょうか」
そう沖田が呟いた途端、場の空気が凍りついた。気迫だけで人を殺せてしまえそうな殺気。
小夜は呼吸を整えて身構えた。
―――ダンッ
沖田が大きく一歩踏み込み鋭い突きを放った。寸でのところで小夜が躱す。ヒヤリとした次の瞬間、足元から木刀が伸びてきた。
速い!
身体を反転させたが、木刀は肩の辺りを擦っていった。
後退して間合いを取ろうとする……が、その時には既に目の前まで沖田の、三度目の突きが迫って来ていた。
「っ!」
避けられない。これがもし、真剣だったら……
小夜は咄嗟に、右腕で木刀を受けとめた。
「くっ……」
バシンッという音と共に、右腕に激痛が走る。小夜の顔が苦痛に歪んだ。
「あーあ。入隊試験で本気出すなんて、総司ってどんな神経してんだよ」
「相手が強いから楽しいんだろーな」
「でも相手はガキじゃん」
「お前がガキとか言うなよ平助」
いつの間にか増えていた観戦者が呆れ声を上げた。
小夜は知らないが、沖田は新撰組内屈指の剣客なのだ。
その実力は、三度の突きが一度にしか見えないほど。
「だが目視できた限りじゃあ、三発中二発は上手く避けてたんじゃねぇか」
「まぁ、右腕にがっつり入ったし勝負あったな……っておい!」
なんと審判の土方が止めているのも聞かず、二人は動くのを止めなかった。
「早めに『参りました』って言った方が良いですよ」
「うるさい。僕はまだ負けてない」
小夜が言い返すと、沖田はにっこりと笑った。
「でも、さっきの痛かったんですよね?構えが隙だらけになってますよーっと」
―――バシッ
「うぁあ?!」
沖田の木刀が小夜の腹を打った。思い切り吹っ飛ばされ、受け身もとれず仰向けに転がった小夜。
「はい、私の勝ちー♪」
「う……」
起き上がろうとしたが、視界が急速に霞み、何が何だかわからなくなった。
――――――…
「ん……?」
沈んでいた意識がゆっくりと浮かび上がってきた。
戸の隙間から差し込むのは夕日。
「つっ……」
意識がはっきりするにつれ、腹部と右腕に痛みが走る。
そうだ。私、負けたんだ……
小夜は、わりと広く私物もほとんどない綺麗な部屋で横になっていた。
「秋月くーん。起きてますかー?」
「沖田さん……?」
「あ!私の名前、覚えてくれたんですか。嬉しいな~」
襖から顔を出したのは、先程とは一転して人懐こい笑みを浮かべる沖田だった。
てゆうか今、気配が全然しなかった……
「……何か用ですか」
「『何か用ですか』って、ここ私の部屋なんですけど……」
「えっ?す、すい、ません……」
一瞬、小夜の無表情が崩れた。素直に頭を下げる小夜の姿に、沖田が興味深そうな笑みを浮かべたことに小夜は気付かなかった。
「土方さんが、きみを呼んでいますよ」
その名前が指す人物を、昼間の記憶から手繰る。
「土方さんって、副長って呼ばれてた……」
「はい。あのおっかない人です。話があるそうですよ。多分、隊の割り振りとかだと思いますけど」
小夜は意外な言葉に首を傾げた。
「隊の割り振りって……僕は入隊できるんですか?僕、あなたに負けたのに」
沖田は一瞬変な顔をした後、思い切り吹き出した。
「あはははっ!きみ、面白いですね」
「僕は面白くありません」
「だって、私に負けたから入隊できないって……ぷっ」
笑い続ける沖田。事情を知らない小夜は益々首を傾げた。
おかしいなぁ。入隊できるかどうかの試合で負けたんだから、変なことは言ってないはずなのに。
沖田は笑いを収めながら腰をかがめ、小夜に視線を合わせた。
「私に勝たなくちゃ入隊できないってことになったら、新撰組は確実に人手不足になります。
きみは文句無しに合格ですよ」
「……」
小夜は憮然とした表情で、自分の頭を撫でる手と、目の前の笑顔を交互に見た。
「それに試験は勝ち負けだけを見るものじゃないですから。
……さて、あんまり遅くなると私が怒られるので、そろそろ行きましょうか。"鬼"のところへ」
「鬼?」
「ふふ、土方さんのことですよ」
沖田は悪戯っぽく笑うと、先に立って歩き出した。
「土方さーん。連れて来ましたよ」
部屋には土方ともう一人、銀縁の眼鏡をかけた男が微笑んでいた。
「あれ? 総長までお出ましですか。楽しそうだな」
沖田は小夜の斜め後ろに腰を下ろした。
「初めまして。ここの総長を務める山南と申します」
「……秋月です」
どうやら話があるのは、この山南という男の方らしい。
「入隊試験お疲れ様でした。素晴らしい試合だったそうですね。沖田君に本気を出させるとは」
後ろで、沖田が照れたように笑った。
「あの、お話しとは」
この山南という人、穏やかに微笑んではいるが頭の切れそうな人だ。
小夜は警戒しながら話の本題を聞き出そうとした。
「なかなか鋭い方のようですね。では単刀直入に伺いましょう。
貴方は、一体何者ですか?」
「……どういう意味でしょうか」
「そのままの意味ですよ。貴方の戦い方は普通ではない」
「僕はただの浪人です」
「そう言われて、素直に頷けない部分が、私にはあるのですが」
うーん。ここは何とか切り抜けなければならない。
今夜の布団とご飯がかかっているのだから。
「……じゃあ、僕からも質問させて下さい」
「どうぞ?」
「どうしてこの部屋の押し入れには、人がたくさん入っているんですか?あと、廊下にもいますよね」
土方と山南は顔を見合わせ、それぞれ顔を歪めたり微笑んだりした。沖田は終始にこにこしている。
「総司」
「はぁーい」
沖田は、ふらりと立ち上がり押し入れの前に立った。
何故か、刀を持って。
「盗み聞きとは良い趣味ですねぇ。もうバレてるんだから、素直に出てきた方が身の為ですよ?」
すると押し入れの中から、微かに言い争う声が聞こえてきた。
「バッカ平助、静かにしろっつったろ~」
「は!?僕のせい!?左之さんこそ、もぞもぞ動いてたじゃん!」
「オレぁお前みたいにちびっこくねーからなぁ。体が有り余ってんだよ」
「んだとぉ!?」
「二人ともうるせぇ」
「あれれ~? 返事が無いってことは誰もいないのかなぁ?
じゃあ私が今ここに刀を突き刺しても、血なんて付かないはずですよねー♪」
沖田が刀の柄に手をかけた瞬間、叫び声と共に三人の男が押し入れから転がり出てきた。
「ウギャァァァアアッ!!!」
「俺はこんな所で死にたくねぇ!!」
「総司が言うと、冗談に聞こえねーんだよ!!」
「だって本気でしたもん」と笑う沖田に、三人は青ざめる。
続いて土方が障子を引くと、こちらにも真っ青な顔をした男が二人。
「何やってんだ。近藤さん」
「と、トシ……あー、えーと、我々はだな……」
ひどく大柄な男が、斎藤にしがみつかんばかりの勢いで震えていた。大柄な男に連れられてきただけだったのか、斎藤は我関せずとばかりに余所を向いている。
土方はため息をつくと、急に人口の増えた自室を見回した。
「結局、幹部はほぼ揃ってるわけか。
仕方ねぇ。秋月、さっきの続きは皆の前で聞かせてもらうからな」
「……」
「そういやぁ、まだ名を聞いてねぇな」
先程の一騒動が収まると土方は煙管をふかし始めた。
「秋月と名乗ったはずですが」
「下の名前だよ。お前、名前ねぇのか?それとも名乗れねぇ理由でもあんのか」
「名乗れない理由って何だよ?」
先程押し入れから転がり出てきた三人の中の、長身の男が不思議そうな顔をした。
「さぁな。例えば、名前が女っぽくて恥ずかしいとかじゃねぇか?」
言いながら、土方は明らかに口角を上げた。
この人、私が女だって気付いてる?
いや、そんなはずはない。気付かれる機会は無かったはず。
動揺を隠し、いつも男装する時に使う名を名乗った。
「僕の名は、秋月彼方(かなた)といいます」
「へぇ、珍しい名前だね」
口を開いたのは、押し入れから出てきた別の一人、周りと比べて身長が低いせいか比較的若く、というより色の白さと目の大きさも相まって幼く見える青年。
「あ、僕は藤堂平助。よろしく」
この中では一番小夜と歳が近そうに見えるその青年は、にこっと笑いかけてきた。
「間者かもしれない奴に自己紹介してどうすんだよ、平助は」
「別にいいじゃん。間者かもしれないけど、仲間になるかもしれないし?
じゃあ新八さんは、こいつが間者に見えるわけ?」
「……」
「ね! きっと悪い奴じゃないって!」
「待て藤堂。いかにも間者に見える人間では間者が務まらないだろう」
冷静な斎藤の言葉に、藤堂は肩を竦めた。
「じゃあさ、そもそも何で山南さんは、何でこいつが怪しいって思ったわけ?」
「彼の相手をした隊士達の負け方を、覚えていますか?」
幹部達はお互いの顔を見合わせた。
「そういやぁ総司以外は皆、一撃で勝負が決まったな」
「そう。全員、しかもほとんどの隊士は昏倒させられています」
「それがどうして怪しいんだよ?めちゃくちゃ強いってことじゃん」
「確かに実力者ではあるのでしょう。しかし……狙いが、的確すぎるのです」
「「?」」
皆、小夜も首を傾げた。
「貴方は全ての試合において人体の急所……みずおちや首筋、眉間など攻撃されたら死に至るような場所を的確に狙っていました。
そうしていながら、相手が死なないよう力加減を調節していたんじゃないですか?気絶程度で済むように。
人が死に至る急所を知り尽くし、かつ手加減ができる実力、身のこなし……そして今この場で疑いをかけられながら平静を保てる精神力。
私は、貴方が諜報活動、もしくは暗殺を生業とする者ではないかと考えています」
「……」
驚いたな。ただの人斬り集団だって聞いてたのに。
部屋の中には沈黙と、重苦しい雰囲気だけが漂う。
その時ふと、部屋の外に人の気配を感じた。
「山崎か」
「副長。今よろしいですか?」
あれ?なんかこの声知ってる。でも新撰組に知り合いなんて……
「かまわねぇ」
「失礼します」
音も無く襖が開く。部屋に入って来たのは一人の青年だった。
声の主を確認しようとした小夜は目を見開いた。そして部屋に入って来た青年も硬直した。
「な、何で小夜ちゃ「わぁぁぁ!待って待って烝くんっ!!」
小夜は慌てて青年の口を塞ぎ、部屋の外へ飛び出した。
後に残されたのは、今の今まで何を言っても無口無表情を通していた少年の行動に唖然とした新撰組幹部達。
だが数秒後、皆(斎藤を除く)は一斉に互いの顔を見合わせた。
「「すすむくん??」」
青年の名は山崎烝。情報収集などの任を担う監察方を務めている。
優秀だが、彼は隊内の監視も請け負っているため、山崎が個人的に誰かと親しくしている場面など見たことは皆無と言って良い。
その山崎を、今あの少年は下の名前で、しかも“くん”付けで呼んだ。
「山崎って友達いたんだなー……」
長身の男がぽつりと呟き、隣の男から肘を入れられた。
「なんっっで烝くんがここにいるの!?」
「そりゃこっちの台詞や!何で小夜ちゃんが新撰組におるん!?」
「ちょっと色々あって……。それにしても、烝くんってどこかの隠密やってるのは知ってたけど新撰組の監察だったんだね。
あぁ~もう!そうと知ってたらここ来なかったのに!」
土方の部屋の前では、限りなく小声で言い争いが起きていた。
小夜は自分の本名を口にしかけた、土方に"山崎"と呼ばれた青年の口を塞ぎ、そのまま押し倒すような体勢で部屋を出て今に至る。
「それひどいなぁ。随分前やけど、新撰組がまだ浪士組だった時に言ったで。
てゆうか小夜ちゃん。悪いけど重いで」
山崎は言葉の割に軽々と小夜を自分の腹の上からどけた。
そうか。今朝町で"壬生狼"って言葉に聞き覚えがあったのは、烝くんから聞いたんだっけか。
「で、何しに来たん?“仕事”か?」
仕事、と答えたら斬られる。そう感じさせる山崎の目。
仕事じゃなくて良かった。
「違うよ」
「ほんまか?小夜ちゃんが“仕事”やったら俺はあんたを斬らなあかん」
「違うってば」
二人はしばし睨み合う。
やがて、山崎は笑った。
「良かった。さすがに小夜ちゃん斬るんは目覚め悪いしなぁ」
「うん。烝くんを返り討ちにしたら私も目覚め悪いし。良かった良かった」
山崎は苦笑しながら、小夜の頭をぽんと叩いた。
「なに生意気言うとる。じゃあ、一体何しに来たん?」
「実はさぁ、」
事情を話そうと口を開いた瞬間、部屋の襖が開いた。
「山崎。こいつの素性を説明しろ」
「ふ、副長……」
「それから、お前そいつのことを“サヨ”と呼んだろ。その辺も説明よろしくな」
山崎は、小夜を自分の腹の上からどけておいて良かったと心の底から思った。
「徳川公お抱え暗殺一家の次期当主~~~!?!」
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