浅葱猫の猫

ちひる

第1話 はじまり

「……そういうことだ。わかったならさっさと家を出ていけ」

「はぁ」

 ため息とも了解ともとれる返事をして立ち上がった。そのまま部屋を出て行こうとしたその背中に、たった今、小夜に家出を命じた本人の声がかかる。

「達者でな、小夜」

 どういう風の吹き回しだろうか。どんなに危険な"仕事"へ赴く時でも、そんな言葉をかけられたことはなかったというのに。

 しかし、小夜は振り返りもせずに答えた。

「はい、父上」

 自室に戻ると袴を身につけ、髪を高く結い上げた。

 もう外は暗い。女の格好で外を歩くのは色々と面倒だ。

 着替えと懐刀、幼い頃面倒を見てくれた祖母からの小遣いだけを持ち、小夜は家を出た。


――――――…


 血の匂いを孕んだ夜風が少年の髪を揺らす。目の前にはつい今まで人間だった“モノ”が六つ、無残に転がっていた。

「ふぅ。まったく、毎晩毎晩懲りないなぁ」

 “少年”の手は血まみれだった。だが少年の着物にはシミひとつ無い。何も持っていない手だけが血に濡れているのだ。

 少年――男装をした小夜は、頬に飛んだ血を拭い空を見上げた。漆黒の夜空に、きりりと光る月がよく映えている。

 ……綺麗だなぁ

 ふと自分の手を見下ろした。月明かりでもわかるほどべっとりと赤黒い血で汚れている。

「あ~あ」

 手を洗わなくてはならない。


――――――…


「まいどー!」

「……いただきます」

 小夜は、これから働きに出る町人と混じって朝食をとっていた。

 父に家から追い出され、とりあえず京の町に来てから早数日。最近の京は治安が悪いらしいから男装は続けている。宿をとるのが億劫で野宿をしていたが、そろそろどこかに身を落ち着けようと思っていた。毎晩のように金銭等を狙って襲ってくる浪士の相手をするのが面倒だからだ。

 それに、あんまりやりすぎると、また烝くんに怒られるし

 その時、前に座っていた商人風の男たちが何やらこそこそ話しているのが聞こえてきた。

「聞いたかい? 近頃京に出る人斬りの話」

「昨晩も六人やられたってさ。怖いねぇ」

 六人……。あ、その人斬り私だ。

 刀で斬ったわけじゃないんだけど。

「へぇ、俺はてっきり壬生狼がやってんのかと思っとったよ」

 壬生狼?どこかで聞いたことのある言葉だ。

 小夜は耳をすませた。

「へっ、奴らも人斬りと同じじゃ」

「しぃっ! どこかで聞かれでもしたら、こっちが斬られてまうわ!……でも、あいつら隊名変えてから最近町に迷惑かけてへんやないか。名は何と言ったっけなぁ」

「新撰組や。ま、名前変えたところで所詮、幕府に尻尾振っとる犬や犬」

「ちょっといいですか?」

「な、なんや!?」

 なるべく丁寧に話し掛けたはずなのに、男の顔は引きつっている。小夜が新撰組とやらの関係者だと思ったようだ。無論違う。

「少し話が聞こえたもので。ちなみに僕は新撰組の者ではありませんから」

「そ、そうか。焦ったわぁ俺はてっきり…」

「今あなた方が話していた新撰組について伺いたいのですが」


「……つまり、倒幕派の取り締まりと京の警護を兼ねた、幕府側の浪士組というわけですか」

 ちょうどいい。うちは佐幕派の家だったし、浪士ばかりなら素性を誤魔化せるだろう。その新撰組ってのに入って、今日はちゃんと屋根と布団がある所で寝よう。

「新撰組の本拠地を教えていただけますか」

「構わんが、まさかあんた新撰組の屯所に行くつもりかい?」

「曲者扱いされて斬られてまうで」

「僕、腕は立つので大丈夫です。昨夜も寝込みを襲ってきた浪士を六人ほど倒しましたし」

「そうかい。そりゃあすごいなぁ…………?!?」

「それでは、ご親切にありがとうございましたー」

 今の少年が、さっき自分達が話していた人斬りだと彼らが気付いた時には、既に小夜は店の外に出るところであった。


「ここかぁ」

 小夜は聞いた道を行き「新撰組屯所」と書かれた札を掲げている屋敷の前に、距離をおいて立っていた。門には見張りがいて何だか物騒な雰囲気である。

 入るに入れずうろうろしていると、唐突に後ろから人の気配を感じた。

 ――――!

 パッと振り返るとそこには、小夜の首筋に刀が突き付ける男の姿があった。

「貴様、何者だ」

 背後に立たれるまで気付かなかった……

「……町でここの話を耳にして来ました。入隊を希望したい」

 男は刀を動かさない。

「町で、俺達の噂を?」

「はい」

「ふん。幕府の飼い犬とでも言っていたか」

「そんな感じでした」

「それを聞いてあんたはここに来たのか」

「はい。あの、これ邪魔なんですけど」

 小夜は男の刀を手で弾いた。

 男は切れ長の目を一瞬見開くと、刀を鞘に戻した。

「ついて来い」


 男は建物の中の、ある部屋の前で立ち止まった。

「副長。斎藤です」

「入れ」

 襖を開けると煙管の匂いが鼻をつく。部屋の中には大量の書物やら書類やらが散乱しており、文机に向かっていた男が顔を上げた。

「何だそいつ」

「屯所の前をふらふらしていました。入隊希望だそうです」

「ふーん」

 男は小夜に視線を向けた。きっちり結われた流れるような黒髪と、涼しげな目元が印象的だが、その瞳が放つ光は鋭い。

 門の前で刀を突き付けてきた男よりさらに強い眼光。小夜も負けじと睨み返した。

「ほぉ。俺を睨み返すたぁ、いい度胸してんじゃねぇか。

気に入ったぜ。お前、名前は?」

「……秋月」

 小夜の姓は秋月という。秋月小夜。正真正銘、女だ。

「入隊は歓迎だけどよ、まずは試験を受けてもらわなくちゃならねぇ。弱い奴入れても仕方ないからな。

斎藤、今空いてる奴は誰がいる?」

「総司と新八さんと俺です」

「呼んで来い」

 男は無言で頷くと部屋を後にした。


「秋月、とか言ったな」

「はい」

「入隊を希望する理由は?」

「僕はしがない浪人ですが少しでも幕府のお役に立ちたいと常日頃から望んでおりそこへあなた方の噂を聞いて是非とも志を共にしこの命尽きるまで「却下」

「何でですか」

「嘘だな」

 あれ、バレた。何でだろ

「お前、そんな型にはまった志持つ柄じゃねえだろう。本当の理由は?」

「……布団で寝たいな、と思ったので」

「は?」

「あと、食事代も浮かせたい。腕は立つので大丈夫です」


 しばらく部屋内は沈黙した。そして沈黙を破ったのは……

「……ははっ!お前、面白いな!」

 "副長"の笑い声だった。

「僕は面白いことは言いません」

「入隊の理由なんてそんなもんで構わねぇ。

ま、実力の方は後で見せてもらうけどな……くくっ」

 言いながらまだ笑っている。

 私は、そんなに面白いこと言っただろうか

 自分の発言に不審な点があったかどうか思い返していると、急にぞくりとした気配を感じて顔を上げた。

「それと……」

 笑いを収めた"副長"は、今度はひどく冷たい目をしていた。

「この俺に向けて殺気なんか放つんじゃねぇ」

「何のことですか」

「とぼけてんのか? お前部屋に入ってきた時から……


「ひーじかーたさぁーんっ♪」


 突然襖がスパーンと勢い良く開き、三人の男が入って来た。

 一人はさっきの斎藤と名乗っていた男。先頭の、叫びながら入ってきた青年が小夜の方へ目をやった。

「きみが入隊希望の子?」

「総司! 部屋入る時は入る“前に”声かけろっつってんだろ!」

「はーい。次からは気をつけますよ~。

そんなことより、土方さんと二人きりなんて怖かったですよね?私は沖田総司といいます!きみは?」

「あ、秋月、です」

 にこにこと屈託なく笑う青年の勢いに押されて頭を下げた。

 どうやら“副長”は土方というらしい。

「総司。勝手に話を進めるなって」

「あ、すみません永倉さん」

「俺に謝れよ」

 土方は明らかに苛々している。

「……あー、とにかくだな。入隊試験をしなくちゃならねぇ。すぐ始めれば昼までに終わるだろ」

「でもよ、土方さん」

「何だ、新八」

「こいつ刀差してねぇじゃん。お前、剣はできるのか?」

「僕、刀は使えません。だから帯刀していないんです」

「「は?」」

 斎藤以外の三人が一斉に聞き返した。

「じゃあお前、どうやって戦うんだ?」

「僕は体術をやっているんです」

「へぇ。それなら試験も体術師範の人がいる時の方が良いんじゃないですか?きみ小さいし」

 ち、小さい……

「平気です」

「どういうことだよ」

 どう言えば怪しく聞こえないだろうか

「えーと、僕が会得しているのは、武器を持った相手と素手で戦うための体術なんです」

「そうは言ってもなぁ……」

 土方と永倉は渋顔だが、沖田は逆に目を輝かせた。

「なんだか面白そうですね。早く入隊試験やりましょうよ!」

「だが総司……」

「いいじゃないですか。試験は木刀なんだし本人がそう言ってるんですから。弱ければ返り討ちで、ぼこぼこにして差し上げます!」

 小夜としては望むところなのだが二人はまだ渋っている。

「俺は、大丈夫だと思います」

 そんな中、今まで黙っていた斎藤が口を開いた。

「どうしてそう思う?」

「先程こいつは、俺の刀を素手で弾きました」

「「!」」

 土方が「仕方ねぇなぁ」と言いながら立ち上がった。

「今から入隊試験をやる。隊士を道場に集めとけ」

 こうして小夜の入隊試験は始まることになった。

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