見える猫と見えない鳥

「これ、どう思う?」

 生悟しょうごが差し出したのは古びたくまのぬいぐるみだった。


「どう思うって……」

 久遠くおんは戸惑いながらくまのぬいぐるみを受け取って、すぐさま受け取ったことを後悔した。


「……これなにか入ってます?」

「さすが、猫ノ目ねこのめ


 生悟はニコニコ笑っている。笑顔だけみたら太陽みたいにキラキラ輝いているのだが、久遠に得体のしれないぬいぐるみを差し出してきたばかりである。なにを考えているのか分からず、久遠は身構えた。


 学校の帰り、いつもどおりの道を歩いていると突然生悟に拉致された。久遠と生悟では生活区域すら違うのだが、生悟は迷う様子もなく久遠を近場のファミレスに連れ込んだ。

 奢るからなんでも好きなの選べと言われ、とりあえずメニューを開く。


朝陽あさひさんは?」


 いつも生悟の隣にいる朝陽の姿が今日はない。それだけで緊急事態のような気がして久遠の気持ちはざわついた。しかし生悟はいつもと変わらないリラックスした様子で反対側からメニューをのぞき込んでいる。


「久遠だって常にまもると一緒にいるわけじゃないだろ。俺だって常に朝陽と一緒にいるわけじゃない」

「そうですね……」


 当たり前の話なのだが、なんだか不思議な気持ちになる。

 久遠たちが生まれた家は普通の家ではない。夜になると現れるケガレという化け物を退治するために血を繋いできた一族で、一般人には見えない幽霊が見える。一族の中でも特別な存在は狩人かりびとと言われ、特殊な髪色や目の瞳で生まれてくる。

 五家の一つ、猫ノ目に生まれた久遠は金目。鳥喰とりくいに生まれた生悟は金髪に赤い瞳。そうした特別な人間には従者がつき守人もりびとと呼ばれる。

 その仕来りのため狩人と守人はセットで動くことが多い。生悟と朝陽の場合は五家の中でも仲がいいと有名で別行動をとっている姿を久遠は初めて見た。


「なんで大事なプライベート時間に俺のところに?」

「利用するみたいで悪いけど、久遠に頼みたいことがあって」

 そういって生悟が取り出したのが、冒頭のくまのぬいぐるみであった。


 受け取ったぬいぐるみを改めてしげしげと見つめる。最初はなんだかわからずに驚いたが、よくよく観察してみれば悪いものではない。誰かを守ろうとする強い想いがぬいぐるみに残っているだけだった。


「どう思う?」


 じっとぬいぐるみを見つめる久遠を生悟は真剣な目で見つめていた。そこまで真剣に見つめられる意味がわからず久遠は生悟の視線を遮るようにくまのぬいぐるみをかかげた。


「どうって、素敵なぬいぐるみじゃないですか。きっと持ち主を守ってくれますよ」

「……守ってくれるのか」

「えっ、生悟さんにも見えるでしょ」

 久遠は驚いて生悟を見つめた。生悟は気まずげな顔で視線をそらす。


「俺は、良いか悪いかまでの判断は出来ないんだよな。そこまで目が良くない」


 意外な言葉に久遠は目を瞬かせた。生悟といえば現役の狩人では一番と言われる実力者だ。久遠が出来ることは当然できると思っていたし、久遠が生悟よりも勝っていることなど一つもないと思っていた。


「鳥喰は攻撃特化だっていうのは知ってるだろ」


 五家にはそれぞれ得意分野がある。鳥喰は生悟がいった通り攻撃特化。猫ノ目は索敵特化で、ケガレがどこにいるか探すことにたけている。それに加えて幽霊やケガレの細かい個体を見分けるのも得意だと聞いた事はあったが、久遠に実感がなかった。


「久遠はさ、悪霊になりかけの幽霊と、そうじゃない幽霊の見分けつくか?」

「それはまあ。悪霊になりかけは見るからにおかしいですからね」


 久遠がそういうと生悟はそうだよなあ。とつぶやきながらソファに沈んだ。その反応に久遠は気づいてしまう。


「……生悟さん分からないんですか?」

「……わからん。幽霊なんてみんないっしょに見える」


 その衝撃的な告白に久遠は固まった。


「それって、困りませんか? 逃げるときとか」

「幽霊相手だったら逃げるって選択肢がない。腹パンで勝てる」


 断言した生悟をみて久遠は納得した。攻撃特化の鳥喰にとって幽霊は雑魚でしかないのだ。雑魚の細かい区別など必要ない。強かろうが弱かろうが雑魚は雑魚。殴ればそれですむ。

 となれば生悟が悪霊と普通の幽霊の見分けがつかないことにも納得がいく。攻撃に特化した鳥喰は進化の過程で使わない力が衰えた。それが猫ノ目でいうところの見る力だ。


「だから俺のところにもってきたんですか」


 生悟から渡されたくまのぬいぐるみを見つめる。古いが大事にされていたと分かるぬいぐるみだ。破れたところにはあて布がされ、綿を定期的に入れ替えているのか形もキレイだ。目の役割をするボタンが左右で大きさが違うのは取れたものを付け替えたからだろう。不揃いなそれが愛嬌に見えるのは中に入った思念も含め持ち主に愛されてきたのが伝わってくるからだ。


「そ。見てくれって頼まれたけど、俺じゃいいものなのか悪いものなのか分からないから」


 テーブルに頬杖をついた生悟はそういって久遠がもっているぬいぐるみをじっと見つめる。中に宿っている何かを見定めようとしているようだったが、しばらく見つめたのちにふぅっと息を吐き出した。


「やっぱ俺にはわからん。なにかが入ってることは分かるけど」

「俺も、悪いものではないってことぐらいしか分からないですよ」

「その悪いか、良いかの判断も俺には出来ないんだよ」

 ふてくされたような顔で生悟はいうと窓の外を見つめる。その横顔が悲しそうで、久遠の心がざわついた。


「なんでわざわざ俺に?」


 五家は霊談やお祓いも受け付けている。鳥喰は危険な悪霊を担当することが多いと聞く。一般人は五家の違いが分からないから鳥喰に依頼がくることは不思議ではないが、そのあたりはちゃんと連携をとっているらしく、鳥喰が無理なら他の家に依頼が回るだけだ。細かいやり取りは大人がやっているので、学生である生悟がわざわざ久遠に頼みにくることではない。


「うちに来た正規の依頼じゃなくて、知り合いに相談されただけだから」


 珍しいと久遠は思った。フレンドリーに見えて生悟は仕事とプライベートをしっかり分けているタイプだ。

 久遠ですら個人で無償の依頼を受けたりはしない。そういうのを引き受けているとキリがなくなるから家を通せと口を酸っぱく言われている。それを久遠よりも経験豊富な生悟が分かっていないはずがない。


「仲いい子に相談されたんですか?」

「いや、一度もしゃべったことない子」


 相手に対して一切興味を感じない声音に久遠は戸惑った。じゃあ、なんで。そんな言葉が口からでかけたところで生悟が窓の外を眺めながら呟いた。


「昔失敗したことがあって」

「失敗?」

「小学生の頃にさ、調子にのって家を通さずに除霊したことがあったんだ」


 生悟にもそんな時代があったのかと久遠は目を瞬かせた。


「幽霊っていったって、ただニャーニャー鳴いてるだけの猫。害なんてなにもなかったけど、姿が見えないのに猫の声が聞こえるって怖がる子がいて、じゃあ俺がって勝手に払っちゃったわけ」

 生悟はそこで言葉を区切ると深く息を吐き出した。


「そしたらさ、クラスメイトに見える子がいて、その子が泣いたんだ。なにもしてないのに可哀想って」


 その時の生悟の気持ちを想像して久遠は苦しくなった。自分が同じ状況になったらと考えるだけで、心の中にもやもやとしたものが溜まっていく気がした。


「幽霊はケガレの餌になる。ケガレが食べる前に除霊しろ。それが五家の教えだ。だからなにも考えずに払った。それで悲しむ人がいるなんて考えたこともなかった」

 生悟はそういいながらじっと外を見つめる。窓に映る自分自身を見つめることで己の心を整理しているように見えた。


「だから今回俺に見てもらおうと思ったんですか?」

「断ってよかったはずなのに、気づいたら引き受けてて……でも俺にはなにか憑いてるってことしかわからないから」

 そこで言葉を区切った生悟は久遠に顔を向けて笑った。いつも通りの明るい笑顔だが、話を聞いた後ではただの明るい人だとは思えなかった。


「ありがとな! 良いものだってわかったら持ち主も安心する。俺だったら何も考えずに消すところだった」

 

 依頼料代わりに奢るから遠慮せず食え。と生悟が開いたままだったメニューをぐいぐい押し付けてくる。それほどお腹はすいていないが、それで生悟の気が晴れるならと久遠はぬいぐるみをテーブルの上に置きメニューと向きあった。

 ちらりと生悟を見つめる。生悟は久遠の視線にも気づかずじっとぬいぐるみを見つめていた。見えないとわかっているのに、見えないなにかを見ようとするように。


「……生悟さんのしたことは間違ってないですよ。放置していたらケガレに猫は食べられたかもしれない。そうなったら見える子はもっと傷ついた」


 自然と言葉が口から出ていた。生悟が目を見開いて久遠を見つめている。宝石みたいに輝く赤と目が合って、久遠は急に恥ずかしくなった。相手は自分より経験のある年上なのに、なにを言っているのだと。


「えっと、すいません。偉そうなことをいって……」

「そっか……間違ってないか」

 

 慌てて謝ろうとした久遠の言葉を遮るように生悟がつぶやく。その声は柔らかく、浮かべる表情も晴れやかだ。優しい手つきでテーブルの上に置かれたぬいぐるみをなでると、生悟は久遠と目を合わせた。


「よかった、お前に見てもらって」

 そういってほほ笑んだ生悟は初めて見る大人びた顔をしていた。隠れた姿を見てしまった気がして久遠はドキリとする。


「やっぱ、見るのは猫に任せるべきだな。これからもよろしくなー、猫ノ目久遠」

 

 すぐさま先ほどまでの柔らかな笑みを消し去った生悟がニヤリと笑う。わざとらしく「猫ノ目」を強調した生悟に食えない人だなと久遠は思った。


「こちらこそ、攻撃はよろしくお願いします先輩」

 久遠の言葉に生悟は任せろ。と楽し気に笑う。その笑顔が憑き物が落ちたように晴れやかで久遠は嬉しくなった。

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