後編

「なんで二人はそんなにお互いを信頼できるんですか?」


 やはり経験だろうか。生悟と朝陽は八年組んでいるベテランだと聞いた。久遠には想像が出来ないような修羅場をいくつもくぐっているだろうし、そうして長年築き上げた信頼が二人を強くしているのだろう。となれば、久遠にはそこにいたる道はずいぶん遠く思える。


「どうしてって、簡単なことだな」


 生悟の言葉に久遠は顔をあげた。生悟の赤い目が久遠を見つめている。自信満々にキラキラ輝く瞳。久遠のいつも伏せられて隠したくてたまらない瞳とはまるで違う。うらやましいと素直に思った。


「出会った瞬間ビビッときた」

 だから次に放たれた言葉に久遠は驚きのあまり固まった。


「ビビッときた……?」

「そう、ビビッときた」


 笑顔で繰り返す生悟。久遠は思わず朝陽に視線を向けた。朝陽はいつも通りの面差しで生悟と久遠を見つめていた。生悟の言葉に一切否定も肯定もせず。


「いやいや、ビビッとってなんだ!?」


 守が突っ込みを入れてくれたことに心底久遠はほっとした。良かった。自分がおかしいわけではない。


「えぇービビッとはビビッとだよ。朝陽はわかるよな」

「あれはまあ、そうとしか形容がないというか……」

「まって、朝陽さんまで?」


 常識人枠でしょ。生悟さんの保護者でしょ。という気持ちを込めて朝陽をみるが、朝陽は以前涼しい顔をしていた。あっダメだこれ。と久遠は思った。


「久遠はともかく守は聞いたことがあるだろ。獣の直感に偽りあらず。俺たち五家、とくに狩人の素養が高い奴らは獣の血が濃いと言われている。でもって獣の血はひらめき型だ」

「頭でどうのこうの考えるよりも本能で動いて正解を導き出す力が強い。そういわれているんだよ」


 生悟の言葉を朝陽が引き継ぐ。そう、そう。と腕を組んで頷く生悟。平然としている朝陽。そういえば聞いたことがあると眉をひそめる守を見て、そういう話が伝わっているということは久遠にも分かった。


「つまり、その獣の直感で生悟さんは朝陽さんを見てビビッときたってこと?」

「そういうこと」


 にかっと歯をみせて笑う生悟を見て久遠は言葉が出なかった。そこまで自信満々に言われてしまうと口を挟む気にもならない。


「もーコイツしかいないって思った。だから信頼した。そしたら朝陽も答えてくれた。俺の直感は間違いはなかった! そう思ったわけ」

「全身全霊の信頼を寄せられて答えないほど人でなしではないですからね」

「……そういえば、朝陽さんは鳥喰の血筋ではなかったな……」


 守の言葉で久遠も思い出す。朝陽の名字は高畑たかはた。鳥喰ではない。


「俺は夜鳴市の出身じゃないんだよ。母親がここ出身で、たまたま霊力が強くてね。ケガレを見ることが出来たから、霊力を制御する修行をつけてもらうために鳥喰家に居候することになったんだ」

「それが朝陽が六歳。俺が七歳の時」

「それが出会いだったんですか」

「いや、正確には違う」


 久遠の問いに生悟はにっこり笑った。


「俺と朝陽が出会ったのは朝陽が鳥喰にくる前日。夕方の町中だったな」

「夕方って」


 守が眉をつり上げると生悟がしまったという顔をする。


「七歳といったらまだ狩人にはなっていないですよね。それなのに夕方出歩いていたんですか」


 守の剣幕に生悟が助けて。という顔で朝陽を見る。しかし朝陽は自業自得といった様子でため息をついた。


「夕方は危険だから霊力がある子は出歩いちゃいけないんですよね」

「その通り」


 夕方は夜と昼の境界線。ケガレが動き出す時間であり、子供はケガレに取り込まれやすい時間だ。とくに霊力のある子供はケガレにとって格好の餌。率先して襲われる。だから夜鳴市では夕方になる前に家に帰りましょうという放送が流れ、夕方になってしまったら複数人で手をつないで帰るようにと小さい頃から徹底して教え込まれると聞いた。


「生悟さんが出歩いてたのってかなりマズいんじゃ……」

「まずいよ」


 久遠の呟きに朝陽がため息交じりに答えた。

 五家の血をもち、狩人の素質を持つ生悟となれば一般人よりも危険度はあがる。生悟がそれを知らないはずもない。

 生悟をみれば守の視線に耐えかねたのかあさっての方向を見ていた。この様子から見ても分かったうえで夕方出歩いていたことは間違いないようだ。


「いいだろ過去のことは! 結果的にはそれで朝陽を助けられたし、俺は朝陽と出会えたわけだ! これこそ運命!」


 最終的に開き直ることにしたらしい生悟は腕を組むと高らかに宣言した。朝陽があきれきった顔で生悟を見て、やれやれと頭をふった。


「たしかに、生悟さんのおかげで助かりましたけどね、後で話を聞いて肝が冷えましたよ」

「朝陽さんはなんで夕方に出歩いていたんですか」

「最初にいった通り俺は夜鳴市の生まれじゃないから夕方以降子供が出歩いてはいけないことを知らなかった。あと、ケガレが異常に多いことに驚いてね」


 朝陽の言葉に夜鳴市の外で育った久遠は納得した。

 夜鳴市はケガレの数が異様に多い。市外にもケガレは存在する。時たま遠征に出るという話も聞くし、ケガレの被害は全国的なのだろう。その中でも夜鳴市は特に多い。ケガレをはらう家が五家も存在し、毎夜ケガレをはらっているというのに消える事がない。それが何よりの証明といえる。


「俺が元々住んでいた場所では多い日でも数匹見かける程度だったけど、ここでは四六時中視界にはいってくる」

「昼間も結構いますよね。最初は驚きました」


 朝陽と久遠の話に生まれも育ちも夜鳴市の生悟と守が顔を顔を見合わせた。市外に出たことがない二人は比べる対象がないのだ。


「しまいには家の中に入ってくるだろ。今は簡単に駆除できるけど、初めて見た日は本当に怖くて。こう見えて小さいころは泣き虫だったから」

「そうそう、朝陽、うちに来たばっかりの頃はすぐ泣いてたんだよ」


 ケラケラと笑う生悟をみて朝陽がムッとした顔をした。泣き虫な朝陽というのが想像できず久遠は目を丸くする。久遠よりも付き合いが長い守は久遠以上に想像が出来なかったようでこぼれ落ちそうなほどに目を見開いて朝陽を凝視していた。


「生悟さんたちと違って、どういうものかも理解していなかったんです。仕方ないでしょう。父や母も見えない人でしたし」

「突然変異はそういうの厄介だよな」


 ケガレが見える人間は血筋的要因が大きいのだという。しかし時たま、朝陽のように血筋に関係なく見えてしまう者がいる。そういった人間はケガレという名前すら知らず、周囲にも理解されないことが多い。朝陽のように親に夜鳴市出身の者がいたのは運が良かった例だ。


「それでびっくりして外に飛び出しちゃったんですか」


 久遠の問いに朝陽は苦い顔をした。守はあきれた顔をしていたが久遠には朝陽の気持ちがよく分かる。家の中は安全地帯だ。そう久遠は夜鳴市にくるまで思っていた。家の中にいたらあの黒くて気持ち悪いものは入ってこない。そんな常識が打ち破られ、安全地帯を失ったと気づいたとき、どうしたって平穏ではいられない。逃げなきゃ。そんな本能に駆られて、広い場所、外へと逃げてしまう。外にはもっとたくさんのケガレがいるというのに。


「今思うと冷静じゃなかったんだろうね。外に飛び出したら外にもケガレがいて。そのうえこっちを見て追いかけてくるんだ。逃げても逃げても、逃げた先にケガレがいて、まだ小さかったから走り続けるにも限界があるし、初めてきた場所だったからどこに逃げていいかも分からない。気づいたらケガレに囲まれてて、ああ、このまま死ぬんだ。そう思ったときに」

「俺が華麗に登場したわけだ」


 ドヤッという効果音が似合う顔で生悟が自分に親指を向けた。背もたれにふんぞり変える姿はなんとも誇らしげだ。


「狩人には就任していなかったけど、当時から天才だともてはやされていた俺は朝陽を取り囲むケガレに華麗に跳び蹴りし、朝陽の手をとって逃げ出したってわけ」

「結局にげてるじゃないか」

「当たり前だろ。まだ七歳だぞ。霊力の訓練だって始めたばっかりだったのに複数のケガレに対してまともにやり合って俺が致命傷でもおってみろ。俺も朝陽も間違いなくとり憑かれてる」


 守の言葉に対して生悟は意外と冷静に反論した。もっともな意見だったらしく守は不満そうな顔で口を紡ぐ。

 こうした話をするとき生悟は年上であり経験を積んだ狩人だと思う。冷静に状況を判断しているし、自分の力量を見誤ったりしない。こうした判断力が優秀な狩人になる条件なのだろう。


「それが二人の出会いなんですね」

「そのときはお互い名乗りもしなかったけどな。俺は家にバレるとマズいと思ったから朝陽を交番に預けて逃げたし」

「ひどいんだよ生悟さん。怖い目にあって泣いてる俺を有無をいわさず交番へ引きずっていって、しまいには交番の前に置き去りにしたんだ」


 恨みがましい目で朝陽は生悟を睨んだ。生悟は再びあさっての方向を見る。


「泣いてる俺に交番の人がすぐに気づいて家族に連絡してくれたんだけどさ、普通、自分が助けた相手おいてく? 親が来るまで一緒にいてくれるものじゃない?」


 身を乗り出した朝陽に真顔で詰め寄られる。朝陽にしては珍しく不満だと全身で表現していた。

 久遠としては朝陽の主張は分かる。ただでさえ怖い思いをしたのだ。安心するまで一緒にいて欲しいと思うのは当然だろう。しかし素直に朝陽に同意していいものなのか。

 ちらりと生悟をみれば生悟は眉間にしわを寄せていた。明るい表情を浮かべている生悟にしては珍しい。珍しいだけになにを考えているのか全く分からない。


「仕方ないだろ。怒られたくなかったんだよ! 夕方一人で出歩いてるのバレたらどんな目にあったか……!」


 震える生悟を見て鳥喰家のしつけが厳しいものであることは察せられた。歴史ある旧家であるし、鳥喰の人間は獣の特性なのか一カ所にとどまることを苦手とする者が多いと聞く。そんなやんちゃな子供たちを育てるとなると自然としつけも厳しくなるのだろう。目の前にいる生悟と夕方出歩いていたという話を聞いたあとでは致し方ない気がする。


「ビビッときた。なんていうわりに置いていったなんて、獣の感というのもたいしたものではないな」


 フンッと守が勝ち誇った顔で鼻をならす。今の状況でそれをいうかと久遠は焦った。ただでさえ生悟と朝陽が言い争っているのに、これ以上騒ぎが大きくなったらどうするつもりなのか。

 久遠はおそるおそる生悟をみた。生悟が怒っていませんように。そんな気持ちで。

 しかし生悟は久遠の予想に反して怒っていなかった。それどころかきょとんとした顔で守を見返している。


「すぐまた会えると思ったからな。それなら自己紹介は時間あるときの方がいいだろ」


 その言葉に久遠は固まった。なにを言ってるんだと思った。守も同じ事を思ったらしく目を見開いて固まっている。


「事実、すぐ会えたしなー、朝陽」

「たしかに次の日には会えましたけど、お礼もいえずに置いてかれた俺の気持ちになってくださいよ。あなたには獣の直感があったとしても、俺は普通の人間なんですからね」

「それはほんと悪かったって。その後はずっと一緒にいただろ。トイレもついていってやったし」

「その話、今しますか?」


 ギロリと朝陽に睨まれて生悟が両手を合わせてごめん。と小首をかしげた。全く反省した様子が見られないことに朝陽がブツブツと文句をいう。


「……ねえ、守さん。獣の血ってそういうものなの?」

「……直感が普通の人間より働くという話は伝わっていますが、生悟さんはだいぶ特殊かと」


 守が頭痛を抑えるように額に手をおいた。守の返答を聞いて久遠はほっとする。良かった。これが普通だと言われたらどうしようかと思った。


「じゃあ、直感だけで守人にしちゃったんですか……」

「だいたいそんな感じー」


 生悟がにっこり笑う。なんの不満もないという顔を見ると久遠はそれ以上なにも言えなかった。おそらく当時の鳥喰家はもめただろう。いきなり五家とは関係ない子供を守人にすると鳥喰家でもとくに狩人の素質が強くでた生悟が宣言したのだから。

 けれど、今当たり前に隣にいる生悟と朝陽をみると獣の感というのは本物なのだと思えた。


「運命的な出会いって本当にあるんですね……」

「半分くらいは俺の強欲だけどな」


 さらりと口にされた言葉に久遠は驚いた。隣の生悟を見上げるといたずらっ子のような顔で笑っている。すでに朝陽と守が別の話にうつっているのを確認した生悟は久遠の耳に口を寄せた。


「朝陽な、初めて俺の目を見たとき怖がらなかった。それどころか綺麗だ。っていったんだよ」


 ささやかれた言葉に久遠は生悟を凝視した。至近距離でみる真っ赤な瞳。それはとても美しく、美しいだけに異彩を放つ。同じように人と異なる瞳をもった久遠だから分かる苦悩。自分を否定しない。たったそれだけの事で救われることを久遠は知っている。


「命預けるなら気に入った奴がいいだろ」

「……そうですね」


 強い信頼は信じたい。そう思ったところから出来上がっていくのだろう。ならば久遠にだってなんとかなる。すでに土台は出来上がっているのだから。


「あっ、来ましたよ。久遠様」


 店員が頼んだ料理を運んできた。様々な料理がのった皿。守は真っ先に久遠のパスタをとって差し出してくれる。それを受け取りながら久遠は生悟に笑いかけた。


「俺も、いつかは生悟さんたちみたいになれますか?」

「俺からみたらもういいコンビだ」


 そういって生悟は笑う。笑いながら、テーブルの隅においてあった箸と醤油を手にとり、ほうれん草のソテーとスープと共に朝陽の前に置く。朝陽も無言で箸をとるとハンバーグ、粉チーズを生悟の前に並べた。


「いただきます」


 同じように手を合わせ生悟と朝陽は同時にそういった。タイミングを計ったわけではなく、自然に当たり前に。


「食べないの?」


 唖然と見つめる久遠に生悟が不思議そうな顔をする。朝陽もかすかに首をかしげてこちらを見ていた。久遠と同じく始終を目撃した守はわなわなと震えている。


「わ、私たちだってそのくらいの以心伝心できるようになりますから!!」

「……このレベルは無理じゃないかな……」


 そんな守と久遠をみても生悟と朝陽は不思議そうに首をかしげていた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る