新米コンビと熟練コンビ

 オレンジ色に染まる空を見上げて猫ノ目久遠ねこのめ くおんは目を細めた。この街に来る前は、不吉だ。変だと言われた金色の瞳が夕日を反射してキラキラ輝く。それはこれからが自分の時間だと浮かれているようで久遠を憂鬱な気持ちにさせた。


「……今日もいかないといけないの……」

「当たり前です! このままでは鳥喰の奴らに好き勝手されてしまいます!」

「俺は別にいいけど……勝手に食べてくれるなら、俺は楽でいいし」

「久遠様! そんなこと言わないでください!」


 やる気なくぼそぼそと呟いた言葉に対して、茶色の髪に瞳を持つ猫ノ目まもるが慌てた声を上げる。

 中学二年の久遠より年上の高校一年生。身長だって高いし、涼し気な整った容姿は同性だと知っていてもハッとする時がある。同じ血を引いた一族でここまで違うかと引け目を感じる。

 しかも守の中では、久遠は仕えるべき主なのだから世の中はおかしい。


「守さん。俺の方が年下だし、様付けも敬語もやめてって。中学生に高校生が敬語なのって変だから」


 久遠はきょろきょろとあたりを見回した。細い路地には人の姿はない。久遠と守の影が長く伸びているだけで、生き物の気配すら感じない。それにホッとすべきか、ゾッとすべきか考えながら久遠は守を見つめた。


 近所にある私立高校の白い制服を着た守。対してどこにでもある中学校の黒い学ランを来た久遠。身長や顔立ちからいっても、どう見ても久遠の方が年下。そうなれば周囲からの印象は年下に敬語を使う謎の美少年だ。必然的に目立ちたくない久遠が目立つし、あの子は何者なのと変な憶測が飛び交ってしまう。


 同じ学校の奴らに会いませんように。

 そう久遠は祈るが、守との行動が増えれば増えるほど、遭遇してしまう可能性は高くなるだろう。そうなったらどう言い訳すればいいのかと考えるだけで億劫になる。


「下賤の民のいうことなど気にしなければいいんですよ。奴らは久遠様がいるからこそ平和に生活できているということを知らず、金目が気持ち悪いなどと罰当たりな事を……!」


 奥歯をかみしめた守の口から「下等な舌を引き抜いてやろうか」と地を這うような声が聞こえる。見た目と声のギャップがすさまじいが、出会った当初はともかく、数か月を共にした久遠は慣れてしまった。慣れていいのかという気持ちも多少はあったが。


「そんなこといったって、俺が狩りをするようになったの最近だし。その前までは別の人が狩りをしてたわけでしょ。どっちかっていったらそっちを敬うべきなんじゃな……」

「いえいえ! そんなことはございません! 久遠様がお戻りになる前は猫ノ目で協力して狩りを行っていましたが、久遠様が行うのとでは天と地ほどの違いがあります!」


 がっしりと久遠の手を掴んで力説する守を見て、久遠は引きつった笑みを浮かべた。

 何かとお世話になっている相手ではあるが、久遠に対する陶酔っぷりはどうにかならないのだろうか。長年自分が行方不明だったのが悪かったのか。いや、そんなことはないはずだと久遠は遠い目をした。


「あーほら、もうそろそろ来ますよ。守さん」


 面倒になった久遠は守の制服の裾を引っ張る。久遠からの接触に守は大げさなほど喜ぶので、気をそらすのにちょうどいいのだ。

 それとは関係なく、そろそろ本当に時間だった。


 太陽が沈み、夜がやってくる。そうなったらアイツらの時間だ。


 光が消え、小道は闇に包まれる。街灯が遠くで瞬いたように見えたが、このあたりまでは届かない。闇に眼を凝らすと、一層濃いところで何かがうごめく。ボコボコと泡立つように闇から這い出たそれには、不格好な手と足、そして大きな口がある。

 ケタケタと笑うソレの口には牙と長い舌。口元からは唾液が滴りおち、長い舌が揺れる。小さく歪な足でよたよたと近づいてくる姿は動きだけ見れば人間の胎児にも見えた。


 何度も見たソレを見て、相変わらず不気味だし、可愛くないし、美味しくなさそうだと久遠は思う。これを食べて浄化することを考えたご先祖様は、だいぶ頭がおかしい。


「久遠様! なかなか凝縮されてて美味しそうですよ!」

「守さん、食べたことないでしょ……」


 守がほら、どうぞ! とソレを指さした。高級レストランに並べられた御馳走を見せるようなテンションだが、実際は不気味な黒い塊である。全くおいしそうではないし、一度も食べたことがない、食べる機能がない守に言われても説得力がなかった。


「もうちょっとおいしそうな見た目してくれてたらいいのに……」


 はあと深いため息を吐き出して久遠はソレへと近づいた。ケタケタと獲物が近づいてきたと喜ぶソレに知能はない。


 久遠が数か月前から暮らすようになった夜鳴市にはケガレが集まる。集まりすぎたケガレはくっつきかたまり、動くようになる。一部のものにしか見えないそれが、人や動植物にくっつくと汚染が広がり、汚染が広がればケガレは増える。そうしてドンドン増えていくと、その土地は祟り場に変わる。

 そうした事態を防ぐためにケガレを浄化して歩く一族。その一つが久遠の一族、猫ノ目であった。


 この町に来る前、怖い、不気味だと散々言われた金の瞳を見開く。猫ノ目で特にケガレを払う素質をもって生まれる者は金色の瞳をしている。そして狩人と呼ばれ、夜な夜な町を巡ってはケガレを浄化するのだ。


 久遠は金の瞳に力を入れる。猫ノ目は「見る」ことに特化しており、ケガレの存在を探すこと、弱点を探すことが得意だ。戦闘能力に関して他の家の狩人に比べて低いが、力がなくとも弱点を突くことで戦える。


 浮かび上がったケガレの弱点を見つめて、久遠はポケットからおもちゃのナイフを取り出した。人を刺すことも切ることも出来ない弱々しい武器。それでも久遠が持ち、ケガレに対して使うときだけは最強の武器になる。

 神経を研ぎ澄ませ、おもちゃのナイフへと霊力を纏わせる。心なしかキラキラと金色に輝いて見えるそれを持ち、久遠はケガレの弱点めがけて突き刺した。


 ギヤァアアア! と人間のような断末魔があがる。この瞬間が久遠は一番嫌いだ。ただの黒い塊。生き物の残留思念、怨念の塊。それ自体が生きているわけではないと分かっていても、突き刺した時の生々しい触感に毎回ゾッとしてしまう。


「久遠様! 早く! 食べないと!」


 近づいて来た守が早く早くとせかす。

 ピクピクと痙攣し地面にべちゃりと潰れているケガレは動かない。といってもこのまま放置すれば、周囲のケガレとくっついて回復してしまう。

 このケガレを食べて浄化し、己の力に出来るというのが狩人の特徴であり、各家で崇め奉られている理由である。


「久遠様はこの地からずいぶん離れていましたし、他の狩人に比べると力も経験も圧倒的に足りません! 早く一人前の狩人として、猫ノ目を背負うためには沢山のケガレを食べなければ!!」

「そう言われても……」


 守に熱く力説されても、食べたくないものは食べたくない。何でもうちょっとおいしそうな見た目にしてくれないのかと、スライムみたいにプルプルしているケガレを指でつく。触ると妙に弾力があるのが余計に嫌だ。せめて味が美味しければいいが、変な苦みが口いっぱいに広がり、初めて食べたときは吐きそうになった。守が無理やり押し込むという暴挙に出なければ、間違いなく吐いていただろう。

 食べなきゃダメかなあ……。本家に持ち帰ってくれないかなと往生際悪くケガレをつついていると、強風が吹き抜けた。


 顔の横を通り過ぎた強風に久遠は驚いて尻餅をつく。目をパチパチと動かすと、いつの間にか久遠と守しかいなかった小道には少年が立っていた。

 守とは違う高校の制服を着こんだ少年は暗闇の中でも輝く金髪に、飴玉のような真っ赤な瞳。歯を見せニカリと笑う姿は暗闇よりも太陽が似合う。しかしながら手に持っているのは、先ほどまで久遠がつついていたケガレ。場違いのような馴染んでいるような、何とも形容しがたい存在感を持った少年だった。


鳥喰とりくい!!!」


 守が鬼の形相で叫ぶが、鳥喰と呼ばれた少年は声をあげて笑うだけ。そのまま持っていたケガレを持ち上げると、あっさりと口の中に放り込み、もぐもぐと咀嚼する。


「猫ノ目! いつもごちそーさん!」

「いえいえ、こちらこそ食べてもらえて助かりました」


 両手を合わせる少年、鳥喰生悟しょうごにそういうと、赤い瞳をきょろりと丸くして、それから声をあげて笑い出す。


「相変わらず面白いなーお前! 食って力つけて、猫ノ目復興って言われてるはずなのに、あっさり獲物渡すし、お礼まで言うし」

「俺は覇権争いとか、興味ないので」


 ケガレが集まるこの町にはケガレを浄化する家がいくつかある。そのいくつかの家はそれぞれ御神体を本家に祭っており、それを守りつつ、各家との領土争いを長きに渡り続けているという。全ての御神体を手に入れると願いが一つだけ叶えられるとか、叶えられないとか。とにかく胡散臭い話が当然のように信じられているのである。


「俺は平和主義なんで、皆仲良く暮らせばいいと思います」

「ちょっと、久遠様!」

「たしかにな。家の意地とかどうでもいいよな。正直」


 慌てる守に対して生悟はあっさりとそういうと、バサリと背中の翼を広げた。

 鳥喰の名にふさわしい立派な翼を見て、いつ見ても見事でありカッコいいなと久遠は感嘆の声をあげる。


「美味いもん食って強くなる。理由なんてそれで十分だ」

「俺は美味しいとは思えないんですけどねえ……」

「そのうち美味しくなるぞ。そうなったらもう食べたい欲求に抗えなくなる」


 そういって赤目を細めて笑う生悟はいつもの明るく元気な少年とは違う顔に見えた。しかしそれが何の顔なのか久遠には分からず、ただ何となく怖いと思う。

 それは本当に良い事なのだろうかと久遠は生悟を見つめるが、生悟はニカリといつもの人好きする笑みを浮かべた。


「っというわけで、またお邪魔させてもらうから、よろしくなー」

「もう来るな鳥喰! 帰れ! 一生出てくるな!」


 守がとなると同時に制服の裾に隠していたナイフを取り出した。久遠のおもちゃのナイフとは違って、ちゃんと切れるし刺さるもの。それをみて久遠はギョッとするが、止める間もなく守が生悟に向かってナイフを投げつける。

 危ない! という言葉が久遠の口から出る前に、生悟の前に黒い影が躍り出た。生悟と同じ学校の制服を着こんだ、黒い髪に黒い瞳。この中でもっとも闇に近い配色をした少年が守の投げたナイフを持っていた棒で叩き落す。


朝陽あさひ、おっそ」

「生悟さんが早すぎるんです。というか、勝手に他の領土に入らないでください。ナイフ投げられたって文句言えませんよ」


 先ほどナイフを叩き落した人物とは思えない気だるげな態度で、少年は守のナイフを拾い上げる。クルクルと手でもて遊んでいたかと思えばシュンと風を切る音がして、気付けば守の足元に突き刺さっていた。

 守の足元にあるナイフを見つめて、それから黒髪の少年へと視線を移す。少年の手元には何もない。ということは久遠が一瞬目を離した間に守の足元に投げ返した。しかもコンクリートに突き刺さるスピードで。

 久遠は背筋がヒヤリとした。わざと外してくれたのだろうが、本気であれば守の足。それどころか頭や首、心臓に気づいた頃には刺さっていただろう。


「うちの主人がすみません。どうにも我慢が効かなくて」

「だってー同じ場所ばっか見てるのも飽きるだろ」


 ギャーギャー騒ぐ生悟を片手でいなしながら、黒髪の少年――高畑朝陽は持っていた棒。いや、ボウガンを久遠へと向けた。青く発光した矢の切っ先が久遠の額を狙っている。実在する矢ではなく、朝陽が霊力で作り上げた霊矢である。しかし威力は実在のボウガンと同じくらい。もしかしたら、心霊的な要素を含む分、実在するものよりも強い効果があるかもしれない。

 守が庇うように久遠の前に出る。それでも朝陽は狙いを一切ぶらさない。闇に溶け込むような黒い瞳と動かない表情は朝陽が本気なのか、そうではないのか読み取らせず、久遠はゴクリと唾を飲み込んだ。


「おーい朝陽ー後輩ビビってるからやめろって」

「生悟さんがあっさりナイフなんて投げられるからでしょう。鳥喰の狩人が傷つけられそうになっているのに、守人が黙ってるなんてできないんですよ」

「えーまっじめー。ただのじゃれ合いみたいなもんだろ」


 ナイフなんてあたるわけないし。という生悟の言葉に守の額に青筋が浮かんだのは気のせいじゃないだろう。しかしながら、生悟の言う通り。生悟と朝陽のコンビは他の狩人と守人の中でも抜きんでた実力を誇り、ケガレを捕食、浄化することに関してのエキスパートと言っていい。それに比べて久遠と守は数か月前に出会ったばかりの新米コンビ。比べるのもあほらしいほどの実力差がそこにある。


「これ以上ここにいると朝陽が本気で撃ちそうだし、そろそろ帰るなー」


 そうのんびりした口調で生悟はつげると、朝陽の体を抱え上げる。いわゆるお姫様抱っこという奴に久遠はギョッとするが、朝陽は全く動じない。そのうえボウガンの狙いも狂わない。


「攻撃仕掛けてきたら、守の片目つぶすからね」


 ニコリとさっきまでの無表情が嘘だったように、綺麗にほほ笑んだ朝陽だったが、言っていることは恐ろしい。久遠が言われたわけじゃないのに泣きたくなった。守はというと必死に相手を威嚇しているが、顔色は青かった。


「んじゃー猫ノ目コンビ―またなー」

「もう来るなー!!」


 飛び立った鳥喰の二人に対して、守の絶叫がこだまする。近隣の住人が何事かと窓を開ける音が聞こえる中、久遠はほぅっと息を吐き出した。

 まだ夜になったばかりだというのにどっと疲れた。ケガレ退治は簡単だったのに、対人関係で疲れるとは、どこにいっても人間同士のもめ事はついてくる。そう考えると気が重い。


「守さん。今日はこれで終わりでいい?」

「言い訳ないでしょう! 鳥喰の奴にあんなにバカにされて!! いつか絶対ぎゃふんと言わせてやりましょう! 久遠様!」


 一人で熱くなった守がブンブンと片手を振り回す。見た目は涼やか美人なのに、中身が割と熱血なのが本当に残念だと久遠は思う。


「さっさと寝たいなあ……」

 長い夜を思って久遠は大きく息を吐き出した。

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