第38話

 遊覧船に乗り込むと、子どもは物珍しげに辺りを見回した。対岸まで約1時間かけてゆっくり航行するその船は、最初に見た印象よりもずっと大きい。探検すべき場所が、あちこちにありそうだ。


「うわあ…!」

 首を痛めるのではと心配になるほど上を見上げ、口を開けたままのレイに、

「ほら、こっちだ。はぐれるなよ」

 そう言いながら、カイは手を差し出した。その手にそっと掴まりながらも、さらにキョロキョロする子どもとその足元をとことこと歩く犬を連れて、2人は船の座席の一角に陣取った。


 昔ながらのスクリュー航行船の趣を残した外見とは裏腹に、3人が乗り込んだ船は心臓部を無人航行システムに入れ替えられた、最新鋭のものであった。

 何もかもが物珍しい子どもは無人航行のしくみについてカイを質問攻めにし、すぐ近くの甲板に出てあちこち見まわし、レトロな木の手摺に触れてみては、興奮を隠せない小さなため息を幾度も漏らした。船の進行が巻き起こす風に髪をなびかせながら甲板から身を乗り出して湖の底のほうを覗き込んでいると、背後から、リサとカイもそれに加わった。

「なんか、いつもより水が濁っているみたいだな」

「そうね。このところよく雨が降っていたから、その影響かもね。普段なら、泳いでいる魚とかもよく見えるもの」

 魚、と聞いて、レイがぐっと身を乗り出すと、カイが慌てて引き戻した。

「こら! あんまり乗り出すなよ。底の方は案外流れがあるっていうし、何より高い山から流れてくる湧水だから水温が低い。落ちたら、命に関わることだってあるぞ」

「ごめんなさい」

 素直に謝りながらも、まだ水の中を気にしている子どもに、好奇心の塊ねえ、と、リサが感心したように言った。


 船の中を好きに見てきていい、ただし船の柵によじ登ったり、柵から身を乗り出したりしないこと!

 そう念を押してから、カイは、レイとルキを船の“探検”に送り出した。だが、早速立ち上がって歩きだした子どもは、角を曲がるときこちらを振り向いて、もの問いたげな視線を向けてきた。なに? とリサが聞くより早く、

「ここにいるから」

 と、カイが声をかける。その言葉に安心したように今度こそ角の向うに姿を消したレイを見送りながら、カイは初めて図書館に連れて行った時のことを思い出し、思わず笑みを漏らした。

「なあに? にやにやして…」

 リサが肘で小突きながら聞く。

「いや、初めて図書館に連れて行った時のこと思い出してさ。俺が黙っていなくなるかもなんて心配して、あいつ、なかなか俺の側を離れようとしなかったんだよなぁ」

「ふぅん」

 その姿を想像し、リサも自然に笑顔になった。


        ***


 探検と言っても、船の中に見るべき場所は、そうは無い。十数分くらいがせいぜいだろう、そう思っていたが、30分経とうとしてもなお、レイは戻ってこなかった。


「レイちゃん、戻ってこないわねえ。そろそろおやつの時間にしないとだけど」

 ちらりと腕の時計に目をやり、リサはそう呟いた。船は、小一時間で対岸に着く。対岸は険し目な登り道だし、風も強い。おやつを食べられそうな場所を見つけるのは難しいだろう。船の中で食べから山登りというのが、2人の計画だった。


 様子を見に行くわ、戻ってくるかもしれないから、ここにいてちょうだい ― そうカイに言いながら、リサは立ち上がった。

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