第51話 9月3日 晴れ

◇ PM4:00


 3日後。カイは再び、メルとともにマリナハウスへの道を歩いていた。この3日間ずっと考え続けてきたことを、実行に移すために。


 ジーンズのポケットに無造作に押し込んだ巾着の中身を時折指の先で確認しつつ、足を早める。あのコイン、あれは単なるおもちゃではなさそうだが、まずはゲーセンのものかどうか、確かめてみよう。そして、もしも違うなら―。


 マリナハウスの前まで来ると、ちょうどシンが外に出てきたところだった。足早に建物から離れて行く姿に、カイは慌てたように駆け寄り、声をかけた。


 かけられた声に振り向いた彼は、数日前に会った少年の姿を認め足を止めた。

「お前は…」

「あの、ちょっといいかな。話があるんだ」

 まずはこれを見てほしい、と、引っ張り出された巾着の中身を渡されると、シンはそれを手に取りしげしげと眺めた。

「これ、ゲーセンの…?」

「いや、違うな。初めて見る」

「そうか」

 何か考え込むように視線を落とした少年に、シンが言う。

「話はそれだけか? 俺は、もう帰るところなんだが」

「いや! いや! 待ってくれ! 話はこれからなんだ。レイの、あの、ゲーセンに来てた女の子のことなんだけど」

 その言葉に相手はぴたりと歩みを止め、体ごと振り返って少年と向き合った。


 ちょっと長くなるから、とのカイの言葉を受け、2人はマリナハウスの前の、海に向いて置かれたベンチに腰を下ろした。メルが、嬉しげに一吠えして、2人の足の間に陣取る。


        ***


 互いに相手を見ず、2人は遠くの海を見つめ続けた。波の音が、遠く聞える。

 レイとの出会いから「消えて」しまうまでのできごとを、そして、あのカプセルの山を見つけるまでを、カイは語り続けた。なぜか、自分の隣に座る、自分の知らないレイを見守り続けていた男には、その話を知っていて欲しいと強く思ったのだ。


 話を聞き終えてからしばらく間を置いて、シンは静かな声で聞いた。

「最初に会ったのは、いつだって?」

「6月30日。夏休みの1日前だ」

 その答えに、彼は深く息を吐いた。その日のことは、よく覚えている。


        ***


 あの日、スクーターに乗って信号待ちをしていたら、エアボーダーの小僧に危ない追い抜き方をされてクラクションを鳴らした。直後にそいつが事故を起こしたんで、そいつの頼みに応じて、救急車と警察を呼んだんだ…。


「どうした?」

 黙り込んでしまった相手に、カイは不審そうに声をかけた。

「…何でもない」


 そう応えながらも、シンの心中には、様々な思いが渦巻き続けていた。

 あの時信号が変わっていなかったら、俺が先にレイに会ったかもしれない。

 そうしたら、あの日、湖には行かず、俺とゲーセンにいたかもしれない。事故にも遭わず、今ここに、メルと一緒にいたかもしれない。

 …いや違う、この少年に会ったからこそ、あいつはガチャポンをやりに来たんだ。こいつがいなかったら、あのちびと俺が知り合うことも無かったのか―?


 考えるほどにわからなくなる。

 何しろあいつは、偶然が重なって、現れ、そして、消えてしまった。


 何でもないと言いながら、半ば遠く、自分の思いに心を馳せているシンに、カイは躊躇ためらいながらも、先ほどのコインを差し出した。

「それでさ。ずっと考えてたんだけど、もしこれがゲーセンのじゃないのなら、何か理由があってあいつが特に大事にしていたものだ。だから、1枚は、あんたに渡そうと思って。あんたに言われなきゃ、レイがあんなにガチャポンやってたのも気付かないままだった。…あいつのこと、いろいろ見ててくれたみたいだし、仲、良かったんだろ?」

「別に、特に面倒見たわけでも、仲が良かったわけでもないけどな」

 あえてそっけない口調で言いながら、シンは、差し出されたコインを受け取った。そっと、掌で転がしてみる。人間と魚、その中間の生き物。まるで、人魚のような。


『王子様は、覚えているかな?』

 レイの声が脳裏に蘇り、シンは、コインを渡してきた少年の顔を見た。深い想いの刻まれた、そんなかお。見ているうちに、ふと苦い笑みが漏れた。


 …よかったな。どうやら、お前は、ずっと覚えていてもらえそうだぞ。


        ***


 じゃあな、そう言いながら胸ポケットにコインを入れて立ち上がり、スクーターで走り去るシンを目で追いながら、カイはしばらくその場に立ち尽くしていた。

 別れ際、彼は、もうすぐこの街を去るつもりだ、と言った。『“お試し”が、どうもうまく行かなかった』と苦笑いしていたが、あれはどういう意味だったのだろう?


 考えに耽っていると、足元から、催促するような吠え声が聞こえた。散歩の続きを促すメルに、カイは、よし、と声をかけた。散歩の続きだ、帰ったら餌をやる。姉貴の彼氏に言われるまでもない。お前がやるはずだった役割、俺が丸ごと引き継ぐからな。


 夏が終わった。

 来週から、新しい学期が本格的に始まる。

 忙しい日々が、今のつらさを徐々に洗い流していくだろう。

 そうして俺は、いや、俺たちは、前に向かって進むんだ。

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