第49話

◇ PM3:40


 もうあいつは来ないのかもしれない。最後にやってきたあの日から1週間が経ち、シンは根拠も無いまま、そんな確信を抱いた。

「だったらもう、これも要らないな」

 引き出しから、レアアイテムを乱暴に取り出してカバンに放り込んだ。今度こそ、店のゴミ箱などではなく、再び拾えない場所に捨ててしまおうと。


        ***


 カイに歩調を合わせて歩いていたメルが、突然猛ダッシュし始めた。

「あ! こら!」

 慌てて追いかけるが、犬の足には容易に追いつけるはずもなく―。

 ようやく追いつきかけた時、子犬は嬉しげに見知らぬ男に飛びつくところだった。


「ああ! すみませ…」

 心底焦って呼びかけた言葉の最後は、飛びかかられた男の言葉を耳にして、続けることができなくなった。彼は言ったのだ、

「お前…メル?」

 と。言いながら、男は飛びついてくるメルの前足を取って周囲を見回した。子犬は、千切れんばかりに尾を振り回している。

 メルを、知っているのか? 訝しげな思いで男に近づきながら、

「すみません、うちの犬が…」

 改めて詫びの言葉を掛けながら、男を観察した。


        ***


 マリナハウスを出て裏手に停めてあるスクーターに向かう途中、不意にふわふわの塊に飛びかかられた。驚いたシンの視界に、いつかレイとともにやってきた子犬が、嬉しげに自分を見上げているのが目に入る。


「お前…メル?」

 言いながら、その前足を取って飼い主の姿を求めて首を巡らすが、子どもの姿は見当たらない。再び子犬に視線を戻したところで、

「すみません、うちの犬が…」

 見知らぬ少年に、声を掛けられた。


        ***


 近づいてくるカイを認めて、シンはゆっくりと立ち上がった。その膝に手をかけたまま、メルはさらに嬉しそうに尾を振り、カイを見ながらワン! と吠える。


「…どうして?」

「え?」

「なんで、この犬の名前を知ってるんだ?」

カイの問いには答えず、

「これ、あんたの犬か?」

 と、シンはぶっきらぼうに問い返した。うちの犬、すると、あのちびの家族ということか?


「そう、そうだけど…」

 なぜ? 誰なんだ? 訝しい思いが伝わったのか、相手が表情を緩め話し始めた。

「いや、この犬を連れてる女の子を知っていたから。あんた、家族なのか?」

「女の子? …レイ?」

「どうだったか。そんな名前だったかもな。とにかく、1日おきくらいにうちの店、ああ、マリナハウスのゲームコーナーだけどな、そこでこのガチャポンをやってた。この犬を連れてきたこともあったな」

 レイだ。

「ここ1週間、来ていないが」

「もう来れない」

「なぜ?」

「…湖の事故で、行方不明になって…」

 視線を逸らし、真直ぐに正面を見据えながら、一言ずつ絞り出すように言う。

「俺の、せいなんだ。ずっと遊んでやれなかったから連れていってやろうと思って。あいつ、すごく喜んで。なのに…」

 言葉が途切れる。確かにその瞳も頬も乾いているのに、声からは苦しみと哀しみが痛いほどに伝わってきた。

 ふと思う、こいつが…。


「あいつがずっとやってたガチャポン、知ってるか?」

「デュエルロボットシリーズのか?」

「そう、それだ」

「知ってる、元々、俺が集めてるって教えたやつだ」

「じゃあ、これを」

 シンはカバンからNo.1レアアイテムのカプセルを出し、ポン、とカイに放った。


「え? どうして?」

「あいつにやろうと思って、取っておいたんだ。以前自分で1つゲットしたんだけどな、その後、車に当てられて、ダメにしちまって泣いてたから」

「車に?」

「ああ」

「1日おきに来てたって言ったよな。どのくらいやってた?」

 目の前の少年をしげしげと眺めながら、シンは静かな声で話し出した。

「毎度、4、5回はやってたかな。小遣い全部つぎ込んでいたようだ。あいつは、『カイ』のためにガチャポンをやると言っていた。あんたが、そのカイなんだろ?」

「…そう、俺がカイだ。けど、カイのためって。そんなはずない。あいつは、そんなこと、一言も言ってなかった。一度だけ、やってみたら出たからあげるってNo.2をくれたことはあったけど。でもそれだけだ」

「1回で、No.2をゲットしたと?」

「…いや、いや! 何回でゲットしたとかは、特には言ってなかった。ただ、これが出たから、と」

 問い返されて記憶を辿り、次第に目を瞠りながら言うカイに、シンは、静かな声で言った。

「なら、帰ったら探してみろよ。どこかから出てくるかもしれない。毎回、律義に、全部大事に持ち帰っていたからな」


 じゃあな、そう言って、子犬の頭を軽く叩き、シンはスクーターに跨ってエンジンを掛けた。そして、そのまま振り向かずに走り出す。


 走りながら、1週間前のニュースの見出しが思い出された。

『観光船沈没。152人救助。1人不明』

 そっけない一行の記事、海でのできごとか湖か、それすら見出しには情報がなかった。事故や事件で溢れたこの世界のこと、特に感慨も覚えなかった。1人不明。あれは、あいつのことだったのか。

 不意に、あの見出しに、血肉が通ったように感じられた。

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