第44話

◇ PM3:30


 岸辺にはすでに2艘、同型のボートが係留されていた。接岸するや否やボートから飛び降りたリサは、ボートの脇で係留作業に没頭している男に駆け寄り声をかけた。

「最後のボートは? もう着くころかしら?」

「は?」

 息を弾ませながらのリサの問いに、その係員はぽかんとした顔をした。

「もう一艘、俺たちのボートの後に来るのがいるだろ? 何か情報は?」

 片手で犬を抱き抱えながら、リサに追いついたカイが説明を加えながら問う。


「…何を言ってるんです? あなたたちの乗ってきたのは、あの救命艇でしょう?」

 男は、たった今2人が降りてきたボートをあごで示した。2人は無言で頷く。

「なら、あれが最後ですよ。あの船が積んでいた救命艇は、全部で6艘。3艇がダメージを受けて使えなくなって、無事だったのが3艘。ここに2艘、で、ほら、あなた方が今降りてきたあれ、あれが3艘目のボート。もう他にはないはずだ」


 沈黙が、3人の間に落ちる。次の瞬間、リサが悲鳴に近い声で男に詰め寄った。

「ちょっと! ふざけないで! そんな冗談笑えないわよ!」

「冗談!? あなたこそ何の冗談です? あの救命艇が最後、間違いないです!」

 リサに張り合うように、男も声を荒らげた。2人のやり取りを聞きながら、カイは背に冷たい汗が走るのを感じた。2人の間に割って入り、男の胸倉を掴む。

「なんだって…?!」

 だが男は動じることなく、振り払いもせず、ただ、ひたとカイを見返して、言葉を区切るように言った。

「あなたたちの乗ってきた、あのボート、あれが、最後の1艘、だ」

 どれだけの時間、そうしていたのか。恐らくはほんの数秒、だが、それが、カイとリサには非常に長い時間に感じられた。世界のすべてが静止したような感覚。指先が氷に触れたように冷たくなっていく。蝉の声だけが、頭の中で大きく反響していた。


「そ、それじゃあ…あの子は…」

 ようやくそれだけの言葉を絞り出すように言ってリサが絶句した。2人はゆっくりと顔を見合わせ、次の瞬間、カイは掴んでいた手を離し、何事かと様子を窺う人々に向けて叫び出した。


「すぐ探してくれ! 子どもが1人、行方不明だ!!」

「早く! 早く! お願い…」

 続くリサの声は、すぐに泣き声に変わった。


        ***


 その後のことは、カイもリサも、ぼんやりとしか思い出せなかった。彼らの必死の訴えを受けて、人々が捜索に動き出したことは覚えている。警察や捜索隊に子どもの特徴を語ったことも、どうやって別れたか、その経緯を語ったことも。

 だが、何もかもが夢の中のできごとのように現実味が無く、とぎれとぎれの記憶でしかない。


 幾艘もの船が、ヘリが、行方不明の子どもを捜索した。日が暮れてくると、捜索船の灯りが意思を持った生き物のように霧を貫いてちらちらと動く。屋内で休めと言う皆の声を振り切って、カイは湖のほとりの闇の中で、その光景を凝視し続けた。


『神様、お願いです、神様…!』

 今まで、これほど祈ったことはなかった。

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