第34話

 世話係はレイちゃんよ、ちゃんと面倒見ないとダメだからね。

 そう念を押されたレイは、実によく子犬の面倒を見た。


「名前は?」

 しかし、そうミナに聞かれると、子どもは困ったように首を横に振った。

「どうして? 無いと、困るでしょ?」

「だって、名前は飼い主の人が付けるから」

「でも、何か今、付けておいてもいいんじゃない?」

 少し慌てて言うミナに、レイはもう一度首を振った。


「…いっそ、飼っちゃいましょうか」

 ミナからその経緯いきさつを聞いた母は、眉間に皺を寄せながらそう提案した。

「そうできるなら、それが一番だけど…」

「昔と違って、カイもバイトをしているし、家計に余裕が無いわけでもないわ。

 …この先、あの子がここを離れても、犬を口実に、訪ねてくれるかもしれないし」

「ここを、離れる?」

 そうだ。あの子もまた、一時預かりしているにすぎない。そう遠くない将来、然るべきところに戻されることになるのだろう。そのことを忘れかけていたことに、そしてレイがいなくなるであろうことに、ミナは軽いショックを覚えた。

「飼いましょう! 名前も付けさせて、ずっと“飼い主”でいさせましょう!」

 こうして、子犬はマキシマ家の正式な一員となった。


「さあ、飼い主さん。名前はどうするの?」

 ミナに再度問われ、今度こそ嬉々として名前を付けるかと思われたレイは、やはり少し困った顔で黙り込んだ。

「どうしたの?」

「だって、このうちの犬だから。このうちの人が名前を付けないと」

 これからずっとここで生きていくなら、古い名前は忘れて新しい名前で、この環境に順応すべきだ―。そんな思いが、頭を離れない。

「あら…」

 寂しげな表情を見せながら、ミナが言う。

「私は、ううん、私たちは、レイちゃんをずっとずっとこの家の大事な家族と思っているのよ。だから、レイちゃんが自分はこの家と関係ないみたいに言うと、とっても悲しいな」

「ずっと、ずっと?」

「そうよ。もしかしたら、いつかレイちゃんの記憶が戻ったり、本来暮らすべき場所が見つかったりしてこの家を離れるときが来るかもしれないけど。でも、それでも、その後も、レイちゃんはずっとずっとこの家の子なの。私たちは、そう思ってるの」

「ずっと、ずっと…」

「そうよ! 家族はね、家族だと思っている限りずっと家族なの。たとえ遠くに離れても、二度と会えなくてもね。うちはお父さんいないし、私もカイも、いつかこの家を離れる時が来るかもしれない。でも、やっぱり家族だわ。そうでしょ?」

「おねえちゃんたちは、お母さんの子どもで、姉弟で…」

 そのどれでもない自分も? 言外の質問に、ミナはさらに熱く言葉を続けた。

「私は、こう思うの。家族って、血のつながりじゃない、心のつながりだって。血がつながっているというのは家族になるきっかけに過ぎないし、たとえ血がつながっていても心が離れていたら、本当の家族とは言えないかもしれない。逆に、相手を大事だと思って、家族だと感じたら、それでもう家族なんじゃないかしら。法律で決められたことがどうであれ、本当に大事なのは家族になる私たちの心だけだわ」

 その私たちの心は、レイちゃんも、あと、そこに座っているちびちゃんもね、家族だと思っているの。でも、レイちゃんはどうかしらね。

 随分と長く、熱く語り続けたかと不意に気恥ずかしくなって、おどけた調子で首を傾げながら問うと、子どもはその顔を真直ぐ見上げ、少しだけ口角を上げてみせた。


        ***


 あのときあの子が見せた表情は、何とも形容しがたいものだった。上げられた口角は笑顔を形造ったが、それだけではない。何年経った後も、あの瞬間のことを思い出すたびに、ミナはそう思わずにはいられなかった。喜び、哀しみ、切なさ―そのどれでもなく、そのすべてでもあるような。


        ***


 散々迷った挙句、レイは子犬を「メル」と名付けた。

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