第31話
◇ PM2:30
不器用な走り方の割に足の速い子どもにシンがようやく追いつかんとしたとき、車道に半ば乗り出すようにしゃがんだレイに、大型バンがクラクションを鳴らしながら突っ込んでいくところだった。その光景に、全身が凍りつく。だが次の瞬間、猛ダッシュで駆け寄り、襟首を掴んで思い切り引き寄せていた。
急ブレーキをかけながらもかなりの速度で迫ってくるバンよりも速く、そのような芸当がなぜできたのか。今もって、彼自身にも謎なままだ。だが、あのとき、確かにすべてがスローモーションのように感じられ、その中を自分だけがまるで弾丸のような勢いで動いたという感覚があった。
自分のほうへ思い切り引き寄せ、その勢いのままにどっと背後に倒れる。弾みで胸に飛び込んできた小さな体を抱きとめると、レイの手からカプセルが零れ落ち、往来する車の間で中身ごと粉々に砕け散った。
背中から地面に落ちた瞬間、呼吸が止まるほどの痛みを感じたが、すぐに意識は腕の中のレイへと飛んだ。呆然としているが、どうやら無事のようだ。安堵と怒りが、一時に押し寄せる。
「ばかか! 危ないだろうが!」
思い切りの怒声に、びくりと体を震わせる。
口を利くことすらできない様子で、今にも溢れそうな涙で目を潤ませ固まってしまったレイに不安を覚え、今度は声のトーンを落として聞く。
「だいじょうぶか?」
どこもぶつかってはいないはずだ。だが、体の震えが止まらず、呼吸がおかしい。自らの胸元をきつく掴んだ手が、血の気を失って真っ白になっている。どう見ても、だいじょうぶなようには見えない。
「どこか、痛いところあるか?」
シンの言葉に、レイは自分の体に思いを巡らせた。
そうだ、どこかが、痛い気がする。でも、どこが?
足ではない、頭でもない…1つ1つ検分するが、痛みがどこから来るのか、いくら考えてもわからない。だが、その苦しさはレイの呼吸を奪った。耳の奥で、ざぁざぁという水音が響き続けている。
「…ない」
「ん? どこだ?」
焦りの交じる声が聞き返す。
子どもは、左手でシャツの胸元をぎゅっと掴んでいた。
「わかんない、わかんない。でも、息ができな…」
ほとんど表情を崩さないまま、ぽろぽろと大粒の涙を零しはじめる。
「おい! そんなに痛いのか? そこ、ぶつけたのか?」
上腕を掴んで正面を向かせるが、ぶつけたような形跡は見当たらない。なおも問いかけようとしたとき、救急車が到着した。誰かが呼んでくれたらしい。
「どこもぶつけてないはずなんですが、でも、もしかしたら、どこか痛めているかもしれません!」
救急隊員が、ざっと子どもを観察する。確かに怪我は無いようだが、様子が尋常でないことは彼の目にも明らかだった。
「とりあえず、搬送します。何か外からは見えない原因があるかもしれない」
◇ PM3:00
診察室に現れた医師は、一瞬、驚きに目を瞠り、それから安心させるように、軽い調子で声をかけた。
「やあ、友だち。また君かい?」
「あ!」
レイも小さい声を上げる。スオミ医師だった。
体に特に異常は無い。一通り検査を終え、子どもと話をしながら、特に問題は無さそうだと判断した医師は、ナースステーションに連絡を取った。
今日は確か、彼女が勤務してるはず。
呼び出して、連れて帰ってもらおう。
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