第24話

◇ PM4:00


 だが、このことが緊張を解かせたのか、レイはリサに向かって、少しずつだがいろいろなことを語り出した。


 カイがバイトでいない日、ミナがお小遣いをくれること。

 最初にここに来た時は、カイが一緒だったこと。

 そのとき、サイダーを一緒に飲んだこと。

 カイが図書館にも連れてってくれること―最近は行っていないけれど。

 ミナがシャボン玉と小さな虹を見せてくれたこと。

 一緒にプリクラを撮ったこと、にっこり笑う方法を教えてもらったこと。


 取りとめのない話を1つ、また1つと重ねるうち、リサはあることに思い至った。図書館で初めて会った日、あのイと自分は同じ本を使わなければならないレポートを書くにあたり、毎週火曜日に図書館で勉強会を開くことにした。そのことが、カイとこの子の時間を減らしてしまっていたのではないか?

 どのような経緯でこの子どもがカイの家に身を寄せることになったのかは、その折に話を聞いて知っている。表情には出さないようだが、内心は心細い思いをしているであろうレイには、もっとカイとの時間が必要だったのではないだろうか。


        ***


 レイがすっかり話を終えて、サイダーのグラスが空になると、リサは、じゃあまたね、気をつけて遊んでね、と子どもの頭を撫でて帰っていった。その後ろ姿が見えなくなるまでマリナハウスの外で見送ってから、レイは再び建物の中に入っていった。


「お、こないだ言ってた本か?」

 先ほどリサに見せた本は、ポシェットには戻さず手に持ったままだった。その本にすぐに目を止めて、シンが子どもに尋ねた。

「そう。プレゼント」

 ちょっと誇らしげに見える顔で本を差し出してくる。それを受け取りながら、彼はタイトルに目を走らせた。

「ふーん、人魚姫ね。…どんな話だっけ?」

「人魚は天国に行って、王子様とお姫様はずっとせに暮らしました」

 あっさりと言うレイに、え、そんな話だったっけ? と呟きながら考え込む相手には気を止める風もなく、レイはぱたんぱたんと歩いていつもの器械の前に行き、いつもの作業を開始した。


 ピッ、ガチャン、カラン!

 転がり出てきたカプセルを掴み、ポシェットに入れる。


「話の結末、ちょっと違くないか? 王子様とお姫様のことなんて、書いてないぞ」

 絵本をパラパラとめくりながら、シンが話しかける。

「だって、王子様はお姫様と幸せになるんでしょう?」

 手を止めて振り向くレイに、

「ああ、まあな。大抵そうなるかな」

 シンは曖昧な返事を返した。

 そうだ、お姫様は大抵、幸せを掴む。世間知らずなはずなのに、妙に要領がいいというか、運が良いというか。身分と容姿に恵まれた人間は得ということなのか…? そんなことを考えていると、レイがぽつりと言った。

「王子様は、覚えているかな」

「あ? 何を?」

「人魚姫のこと」

 確かに、この物語は主人公の人魚姫の立場から語られる。王子様の気持ちは、ほとんど書かれていない。

「どうだろうな。俺は、覚えてると思うけど」

「そう?」

 瞳を見開きながら、レイが聞く。その深い色の瞳を吸い寄せられるように見返しながら、シンは再び口を開いた。

「ああ。王子様は人魚姫のこと好きだっただろ? 恋愛感情じゃなかったとしても、それもやっぱり愛の一種と言えるだろうし、だから忘れないと思うぜ」

 その言葉に、何か考え込むように、子どもは視線を逸らしてわずかに俯いた。


 脳裏に、先ほどのリサの言葉が蘇る。

『後悔しないように、だめ元でやってみなきゃ!』

 たとえ叶わなくても。でも、カイは、叶わないのにぶつかるのはバカって言った。そうでない場合もあるとも言っていたけど。でも。

 …男と女は、違うの? それとも、カイとリサが違う? ああでも、リサも最初は、いつまでも王子様を想うのはバカって言ったっけ。…どうもよくわからない。


 黙り込んでしまった子どもに、シンは訝しげに眉間に皺を寄せながら声をかけた。

「どうした?」

「…愛って、難しいよねえ」

 再びこちらを向いて真面目な顔で告げられた台詞が何だかひどく不釣合いなようで、シンは思わず動きを止め、次いで堪えきれず噴き出してしまった。そんな反応が気に障ったらしい。表情はほとんど動かなかったが、レイがむくれてしまった気がして、慌てて笑いを納めながら詫びの言葉を口にする。

「ごめんな」

「…別に」

 まだちょっとむくれた顔で、それでも首を横に振って、作業へと戻っていった。

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