第23話 8月15日 晴れ
◇ PM3:00
「あら?」
「あ?」
2人同時に、声を上げていた。マリナハウスの入口でばったり会った相手は、互いに知った顔だったのだ。
「レイちゃん?」
「お姫さま!」
またも2人同時に口にし、そのことにやはり2人して驚いて、リサはくすくす笑い出し、レイは顔を真っ赤にして俯いた。そういえば、会ったのはこれで2度目に過ぎず、しかも2人きりで話すのは初めて。そのことに思い至った子どもは、突如、人見知りを発動してしまったようだ。それをあえて気にしないように、リサは気軽な口調で話しかけた。
「違うわ、リサよ。レイちゃん、ここで何してるの? 誰かと約束?」
俯いたままふるふると首を横に振る子どもに、
「そう。じゃあ、もしよかったら付き合って? お茶が飲みたいと思っていたんだけど、レイちゃんが一緒に来てくれたら、嬉しいな。ごちそうしちゃう!」
そう屈託なく笑いかけると、子どもは顔を上げ、紅い頬のまま、こくりと頷いた。
***
数分後。2人は海が見える窓辺に近い座席に、向き合って座っていた。
2人の前には、サイダーのグラス。氷が解けて、カランと小さな音を立てた。
「海、綺麗ねえ。今日はお天気がいいから気持ちいいわ」
まだ緊張の気配を見せているレイをリラックスさせようと、リサは他愛ないことを次々と話しかける。子どもは熱心に耳を傾けては、彼女の一言一言に一生懸命頷いてくる。どうやら、拒絶はされてはいない、むしろ、自分に意識を懸命に向けていると確信し、今度は会話を振ってみることにした。
「よく、来るの?」
頷き、1つ。
「何して遊ぶの?」
「…」
口を開け、言葉に詰まってまた閉じてしまった。顔がわずかに俯く。まだ長い回答を期待することはできないようだ。
「それ、可愛いね。お魚?」
答えがなかったことをまるで気にしていない素振りで、次の会話を振る。レイは『それ』を知るために顔を上げ、リサの美しく整えられた指先が自分の傍らのポシェットに向けられているのを見た。小さな魚のアップリケが施されたそれは、ミナがあの散らかった部屋から出してきてくれたもの、彼女が子どものころに使っていたものだった。
「おさかな」
頷きながら、答える。初めて声を出して答えたことに意を強くして、リサはさりげなく話を継いだ。
「誰かにもらったの?」
「おねえちゃんが…」
また黙ってしまうかとも思ったが、何とか小さな返事が返ってきた。
お姉ちゃん―カイの姉・ミナのことは、彼から聞いて知っていた。面倒見がよくてちょっと怖い、第二の母親のようだと言ってたっけ。照れながら話す友人の顔を思い出して、リサは小さく笑った。そんな彼女の様子を、子どもが不思議そうな顔で見つめる。何か変なことを、自分は言ってしまったのだろうか?
そんなレイの思いを感じ取り、リサは、小さく首を振り、
「ね、何が入っているの?」
身を乗り出して興味深そうに聞いてみた。
そんな彼女に見惚れるように視線を釘づけにしていたレイは、ハッとしたようにポシェットに手を伸ばして、1冊の本を引っ張り出した。
人魚姫、か。
リサも子どものころよく読んだ。やっぱり、この子もお姫様が好きな女の子ね。
「そのお話、好きなの?」
「…うん」
「私もこれ、小さいころ、よく読んだわ」
「そうなの?」
同じお話を知っているという自分にレイの緊張がまた少し和らいだのを感じたリサは、大きく頷いて見せ、
「王子はちょっといただけないけどねえ、人魚姫の一途さは愛おしいわ。
レイちゃんは、どこが好き?」
「ここ」
にこにこと話しかける笑顔に、いただけないって、何だろう、そう思いながらも口には出さず、子どもはただパラパラとページをめくって、指をさして見せた。
人魚姫が王子を殺せず、海に身を投げた翌朝のシーン。
「え、ここ?」
ちょっと意外な回答に、リサはちょっと高い声で聞き返した。レイは黙って頷き、そこにある文を指差した。
『王子様と王女様も甲板に出て、心配そうに海を見つめていらっしゃいました』
「ふーん…」
こんなシーンがあることすら忘れていた。少し考え込んでから、気を取り直して、黙り込んでしまった自分をまたも不思議そうに見上げる子どもに明るく語りかけた。
「人魚姫もねえ、いつまでも自分を恋愛対象に見ない王子様なんてとっとと忘れて、次の男に行けばよかったのに。あんなボンクラをずっと好きなんて、時間の無駄! ああでも、王子様が相手でないと死んじゃうんだっけ。それじゃしかたないか…」
最後は半ば独り言のようになってしまったが、レイの耳には届かなかったらしい。
「好きでいるのは、無駄なの?」
ちょっと驚いたような声で、尋ねてきた。
「だって、振り向いてもらえないなら、しょうがないじゃない? 人魚姫の場合は、王子様との恋が実らなきゃ死んじゃうって特殊事情だから、一概には言えないけど。んー…そうでなければ、もっと思いっきりぶつかってみるとかね。あなたと一緒になれなきゃ、私は死ぬしかないんです!! て、ばらしちゃって、迫ってみるとかね」
それじゃあ、あの人魚姫のイメージ台無しかな、そう冗談ぽく笑いながら聞くと、レイは大真面目な顔で逆に問いかけてきた。
「王女様は、困らないかな?」
「え~? だいじょうぶでしょ? 身元のしっかりした一国のお姫様だし、清らかな姫と評判だったわけだし、しかも王子様を夢中にさせた美貌の持ち主。きっと引く手
「…うーん。そうかも?」
「でしょ? まあ、でも私なら振っちゃうほうをお勧めだけどね。なのに黙ったままでいる必要なんて、なかったと思うのよね」
そう言うリサを、レイはじっと見つめ、それから考え込むように海のほうに視線を向けて、呟いた。
「でも、王子様の心の中で一番になれなきゃ、結局死んじゃうよね。王子様は、王女様を忘れられるのかな」
「…まあ、可能性はあるでしょ」
歯切れの悪い答え方になって、改めて海を見つめ続ける子どもを見た。
この子は、叶わない恋のことを考えていたのかしら。
思わず黙ってしまったリサに、子どもは視線を戻し小首を傾げて尋ねた。
「可能性、ある?」
「ええ、ゼロじゃあ、ないはず。後悔しないように、だめ元でやってみなきゃ!」
訳が分からない話になっちゃったなあ、そう思いつつも、自分を景気づけるようにそう言いながら、レイにウィンクしてみせた。
「そうだ。願いが叶うおまじないって、知ってる?」
「おまじない?」
「そう。おまじない。あのね、海に架かる虹が見えたら、その虹が消える前に、願い事を3回、繰り返すの」
「虹? 虹、知ってる! 綺麗なんだって!」
急に嬉しそうなレイにリサは一瞬きょとんとしたが、すぐに話を合わせた。
「うん、綺麗ね。それが海に架かったのを見たら、お願いを言うの。3回よ」
表現を変えて繰り返し説明すると、子どもは深く頷いて窓の外の海を見た。
虹は、架かっていなかった。
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