第18話 8月4日 曇り
◇ AM10:00
『まったく、あいつはまた…!』
独りで買い物に出かけ、連れて行きもしない弟にまたも腹を立てながら(実際には、誘ったもののレイが同行を断ったのだが)、ミナは呟いた。自分もレイの相手をしてやりたいのだが、夏休みを交替で取るスタッフのローテーションで、この時期は手一杯だった。
お小遣いをあげたら、お店に行くとかして楽しめるかしら? 社会勉強になるとはいえ、お金をあげて放置だなんて、本当はよくないことだけれど。
しばし思案した後、彼女はいくばくかの金額の入ったマネーカードを手にレイの前に立った。見上げてくる小さな顔に、
「お小遣いあげる。街のお店で、何か買うといいわ。でも、無駄遣いはだめよ」
そう言いながらカードを差し出す。だが、レイは差し出されたそれに手を伸ばすことなく、不思議そうに眺めるだけだった。
「これなに?」
「何って、だからお小遣いよ。少しだけど、好きに使っていいのよ?」
質問の意図を図りかねながら言うと、レイはさらに不審そうな顔になって、
「お金って、なに?」
と言った。
「え? お金は、お金よ? …これで好きなものを買えるんじゃないの」
「何でも?」
「何でも、て言っても、まあ、値段が高かったら無理だけど。このカードには、大した金額は入っていないし」
「値段が高い?」
「そう、お金がたくさん無ければ買えないものも多いでしょ?」
「たくさんあったら、何でも買える?」
ミナは、わずかに眉を寄せた。この子は、お金を知らないのかしら? 記憶を失ったときに、そうしたことも忘れてしまうもの?
もちろん、そんなことはない。哀しいことに、人間、どんなにボケても、記憶を無くしても、お金のことだけはまず忘れない。黙り込んだ自分を、レイはさらに不審げに見上げてくる。気を取り直して、ミナはレイに言った。
「何でも、というにはいかないわね。世の中には、お金では買えないものもたくさんあるから」
「どんなもの?」
「そうねー、愛とか、人の気持ちは買えないわね。家族とかも買えないわ」
そう説明すると、わかったようなそうでないような表情で、レイは頷いた。
「そうだ、こないだカイが、レイちゃんに本をプレゼントしたでしょ? あれも、お金で…」
「ばいとりょー?」
「そうね、バイト料。働いて、その代りにお金を受け取ったのよ。そのお金で、今度はものを買ったりできるの。それと、値段が高いものでも、お金を使わないで集めていけば、買えるようになることもあるわ。わかる?」
すっかり経済の話になってしまったが、ミナは辛抱強く説明した。お金の概念としくみの理解が無いと、社会でやっていくことはできないものね―そんな使命感に燃えた彼女の説明を、子どもは一生懸命に聞き入った。そして、ようやく、お金の役割とそれを得るしくみ、利用する方法、そして、今回、レイ自身はお金を得るため働いたわけではないが、子どもは大人のように労働の対価としてお金を得る機会が少ないので、大きくなったら必要になるお金の使い方の勉強のためにも少しならもらっていいのだ、という説明に納得して、ついにミナの差し出すカードを手に取った。
「これから先、月曜日と水曜日と金曜日に、同じずつあげるからね。これは、明日の、金曜日の分。さっきも言ったけど、すぐに使わないで何日分か貯めて、高いものを買うこともできるわ。ね、ちゃんと考えて使うのよ」
***
◇ PM2:00
ちゃんと考えて使うのよ―お姉ちゃんはそう言った。でも、何を買えばいいのかな? 自分が欲しいものって、なんだろう?
もらったプラスチックカードを弄びながら、レイは長い間考えた。でも、いくら考えても、思いつかない。考えあぐねたまま階段を昇り、“自室”のドアを押し開けたとき、正面の机の上にあるものが目に入った。
「あ!」
我知らず、小さな声が上がる。
そうだ、これだ!
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