第12話 7月15日 薄曇り

◇ PM5:50


 そう、こんなに古い絵本、借りる人なぞまずいないはず。だから、さらに4日後の夕方、バイトから戻ったカイが大慌ててレイを連れて図書館に行ったとき、司書の女性が告げた言葉は2人には予想外のものだった。延滞手続きを申し入れた彼に、彼女はすまなそうな表情で言った。

「申し訳ありませんが、今回は無理です。予約が入っているので」

「予約?」

「はい。次にこの本を借りたいというリクエストが、昨日あったんです」

 思わず振り返ると、レイが心細げな顔でこちらを見た。だが、それが決まりなんだからしかたが無い。カイは司書の女性に向き直って尋ねた。

「じゃあ、次にまた借りたいのですが、リクエスト入れていただけますか?」

「ああ、はい、結構ですよ」

 端末に手早く予約情報を入力した彼女は、レイに向かって、

「ごめんね。また今度、借りられるからね」

 と、慰めるような口調で言った。さすがにこれだけ借り続けていたので、この本がレイのお気に入りであることは、すっかり彼女の記憶に刻まれていたらしい。

 そう声を掛けられたレイはちょっと瞠目し、それからぺこりと頭を下げた。


        ***


 4日なんて、すぐだからな、そう言って図書館を出ようとしたとき、

「あら、偶然ね!」

 明るい声が、図書館の廊下で響いた。

「あれ?」

 カイが驚きの声を上げて立ち止まり、レイはカイの陰に隠れるようにそっと体を動かした。

 そんなレイにすぐに目に留め、声の主の少女は屈託なく笑いかけてくる。

「あら、可愛い子ね。親戚の子?」

「ああ、まあ、そんなとこかな。今、うちにいるんだ」

「ふぅん、そうなんだ。こんにちは、私はリサ。カイくんの、クラスメイトなの」

 最後の方の言葉は子どもに向けて発したものだったが、当の子どもは、気後れしたようにカイの陰から視線を投げてくる。驚かせまいと、リサは視線を合わせるようにゆっくりとしゃがみ込む。顔の高さが同じになるとリサは再び笑みを深くし、わずかに首を傾げた。

「恥ずかしがりやさんなのかな? よかったら、お名前、教えてくれる?」

「…あ」

 緊張しているのか、呼吸がわずかに浅くなる子どもに、焦ることなく向き合う。

 エメラルド・グリーン。

 レイの脳裏に、そんな言葉が浮かんだ。ぼうっと目の前の見知らぬ少女の顔を見返していると、カイに軽く背中を掴まれた。それに促され、レイはようやく口を開き、掠れる声で告げた。

「レイ」

「レイちゃん、可愛いお名前ね。いくつ?」

「え」

「あああの、こいつちょっと記憶が無くて…」

 そういえば、年齢などわからない。そう思って慌てて告げたカイの言葉に、今度はリサが瞠目し勢いよく立ち上がった。

「え、え? 記憶が無いって? ちょっと記憶が無いって、どういうこと?」

「つまり、えっと」

 今度はカイが慌てる番だった。夏の始めの“事故”から説明をしなければならない、長く長くなりそうな話をどのようにするべきか? 言葉に詰まっていると、レイがカイの手を引いて言った。

「ねえ。この人、お姫さま?」

「え?」

 2人の声が重なる。驚いたような4つの瞳に見つめられて、レイは再び、戸惑ったような表情になった。

「だって」

「なに?」

「だって、きれいだし」

 あのお話に出てくる、お姫さまのように。

 さらに驚いた表情になったリサを見上げ、ごく当り前のことのように言うレイに、

「そう思う?」

 リサが顔を覗き込むようにして聞いた。

「? うん」

 そういわれて悪い気はしない。思わず口元がほころんだ。

「あら~! 嬉しいわ。そんなこと言ってくれる人、滅多にいないしね」

 半ば冗談のように言いながら体を起こした彼女は、どうやらそれまでの話の流れを忘れてしまったらしい。そろそろ行くわ、じゃあまたね、と小さく手を振り2人から離れて行った。その後ろ姿をしばし見つめていたカイが、不意に何かを思い出したかのように身動ぎし、

「ちょっと待っててな。ここ動くなよ?」

 傍らのレイにそう言い置いて、リサの後を追った。

 ほんの数歩で追いつくと、2人は2、3言葉を交わした。そして、軽く手を上げて別れを告げると、カイは離れた時と同様に、ほんの数歩で子どもの元に戻ってきた。

「悪い、待たせたな。じゃあ、帰るか」

 どことなく上機嫌な顔を見つめ、レイもまた嬉しそうに頷いた。

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