第10話 7月10日 曇り

◇ AM7:30


「としょかん、今度いつ行くの?」

 翌朝の朝食時、レイがカイに訊ねた。

「あら、図書館に行ったの?」

 母親が訊ね、姉が、

「図書館かあ、どんなところだった?」

 と話を引き出すよう仕向けてきた。

「高い棚がたくさんあって、上のほうまで紙の本がいっぱい入ってて、どれでも見てよくて、2つまで借りれるの。でも、大きな声や音は出しちゃダメで、黙って出ちゃダメで、あと、ええと、あっ、知らない人には何を言われても絶対に付いて行っちゃダメなの」

 図書館の話と自分の注意がごっちゃになってる…カイは笑いそうになった。珍しく長い台詞を一気にしゃべったことから、子どもの興奮がうかがえる。母と姉も、初めて見る雄弁なレイに目を見張っていた。

「楽しかったのね?」

 内容はどうにも支離滅だが、それだけはわかったわ、と言うように母が笑いながら聞く。一生懸命うなずくレイに、ミナも笑顔になって、

「よかったね。またすぐに、連れて行ってもらえるからね」

 と語りかけながら、弟に視線を向け、ちゃんと連れてくのよ! というように指を立てた。言われなくてもわかってます―肩をすくめ、カイは姉にうなずいて見せた。


 母と姉が慌ただしく職場に向かった後も、残された2人は並んでゆっくりと朝食を摂り続けた。大好きと言っていた目玉焼きの黄身を最後に残すレイのこの食べ方は、典型的な一人っ子の食べ方だな。そんなことをぼんやり考える。俺なら、まず好物から片付ける。そうしないと、すぐにミナにもって行かれるし、自分だって、隙あらばミナの分をいただくし―。そんなことを考えているうちに、レイは最後に黄身をほおばって、朝食を終えた。


「図書館な。昨日行ったばかりなのに、もう行きたいのか?」

 朝食の片づけを2人でしながら、カイが訊ねると、レイはうなずきながら言った。

「あのお話、続きを見たい」

「あのお話って、人魚姫か? 続き?」

「途中で終わってるみたいだから」

「え?」

 子ども向けの絵本が、前後編になっているだろうか? 片づけを終えてから、カイはレイのために借りた絵本を手に取った。パラパラと頭からページを繰り、ラストのページにたどり着く。


『人魚姫は王子様をもう一度見つめ、微笑んで海に飛び込みました。自分の体が泡になっていくのが感じられました。

 人魚姫は、そのまま泡になって消えてしまったのでしょうか? いいえ、可哀想に思った神様が、彼女を空気の精に変えました。人魚姫は天に腕を差し伸べ、そうして天に昇っていったのです』


「ん~? これでいいんじゃないか?」

 自分の記憶にある人魚姫の物語のエンディングと同じだ。おとぎ話の中で恐らくは唯一、ハッピーエンドになれなかったお姫様。でも、最後には永遠の魂を、天国に行ける可能性を手に入れて、泡になって消える事態は免れたわけだ。ある意味、これもハッピーエンドかもしれないな。そんなことをカイが考えていると、

「ほんとに、これでおしまい?」

 不服そうな声で、レイが聞いてきた。

「そう、おしまい。なんで?」

「だって、王子様と、お姫様はどうなったの?」

「え?」

 改めて本をひっくり返す。彼らが最後に登場したのは主人公の人魚姫が空気の精になって天に上る直前、恐らく彼女が海に消えてしまったと悟り、不安げに波間を見つめるシーン。それ以降は、人魚姫の“ハッピーエンド”に向けて物語が進み、人間界のことは一切語られない。


「ね、どうなったの?」

 珍しく、食い下がるように問いを重ねる。

「えーっ…となあ。うーん、多分、2人は幸せに暮らしたんだろうな」

「2人は、いつまでも幸せに暮らしました?」

「う、うん」

 ついつい、いい加減な出まかせを言ってしまった後ろめたさで言葉を濁すカイに気づく様子もなく、ルカは繰り返した。

「いつまでも、幸せに暮らしました」

 そうして顔を上げると、わずかに笑みを浮かべて、

「そっか、それでおしまいだね」

 そう呟いて絵本を閉じた。


        ***


 でもな、悪いけど今日と明日は図書館には行けない、今日は友だちと前からの約束があるし、明日はバイトだからさ―。

 また明後日行こうな、そう告げたカイの言葉にレイは少し目を上げてから再び視線を落とし、うん、と、小さく呟いて―それ以上は、何も言わなかった。

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