第9話
◇ PM2:50
そうして飛び出して行ったきり、レイは戻ってこなかった。読書コーナーの座席に関連図書を数冊運び込んでせっせと調べ物をしているつもりが、どうにも集中できない。
『もう1時間近く経つんじゃないか?』
だが、時計を見るとレイが自分の元を離れてからまだ20分ほど。なのに、なぜかすごく長く感じられる。あと10分、10分待って戻らなかったら、様子を見に行くか。そう決めて再び本に目を落とすが、1分もしないうちに再び腰を浮かせていた。
落ち着け、落ち着け、自分に言い聞かせて待ち続ける。ようやく10分経ち、よし、と、呟いて立ち上がったとき、遠くのほうから例のぱたんぱたんという足音が聞こえてきた。レイが、数冊の本を抱え、覚束ない足取りでやってくる。安堵も手伝って、すぐ側まで来たときに、思わず、
「遅い!」
と叱りつけるように言ってしまった。
「ご、ごめんね?」
早々に戻ったつもりでいた子どもは、怒られて目を丸くし、そして、わからないながらも謝罪を口にした。カイは何となく気まずい思いになり、
「いや、ごめん。ちょっと随分長いこと姿が見えない気がしてたから…」
と、詫びとも言い訳ともつかないことを呟いた。レイは特に気にした風も無く、これ、と本を差し出す。
「何だ? あ、絵本?」
話題の転換の好機に飛びつき、カイは子どもの差し出した本を身を乗り出すように眺めた。表紙には、寂しげに俯く少女の横顔。
「人魚姫―。童話か。これがいいの?」
子どもはこくりとうなずいた。
「これだけか?」
「…あの、できれば、これも」
遠慮がちに差し出されたのは、野生生物の写真集。
「へぇ、こういうの、好きなんだ? じゃ、これも借りような」
そう言って笑いかけると、安心したように表情を緩めた。
調べ物をするカイの横で、レイは静かに持ってきた写真集に見入っていた。ぱらぱらとページをめくる音が静かに響く。見開きいっぱいの写真を眺め、次ページの解説を読み、また写真に戻る。そうして味わうようにじっくりと読み進んでいく。時々、数ページ前の写真に戻って再び眺めているが、それは大抵、青い海と鳥たちのいる風景だった。
こういうものが好きなのか。新たな一面を発見したような気分で(といっても、それまでもさして多くの面を知っていたわけではないが)、カイはちらちらと子どもの様子をうかがった。
帰るころには、写真集はもうすっかり読破してしまったようだ。
「どうする? 別のにするか?」
そう聞くと、しばらく考えてから、
「また、来る?」
と訊ねてきた。
「ああ、調べ物ものはまだまだあるし、紙の本は、借りた日を除いて3日以内に返却する決まりだしな」
そう言いながら、レイが持ってきた人魚姫の絵本をひらひらと振る。
「じゃあ、いい。今日はこれ、借りる」
「OK!」
軽く答えて写真集を受け取り、荷物をまとめて貸出しカウンターへ向かった。
貸出係の女性は、高校生の少年から差し出された人魚姫の絵本に、一瞬怪訝そうな顔をした。カイは気まずい気分になってわざと大きく後ろを振り返り、あの、親戚の子を連れてきたんで、と言った。やり取りに気づいて、子犬のようにピンと姿勢を正した子どもに女性も気づき、にっこり笑いかけながら手続きをしてくれた。
***
帰宅して早速、レイは絵本を広げあっという間に自分の世界に入ってしまった。その様子を見届けて自室に上がろうとすると、背後から、
「また、一緒に行っていい?」
遠慮がちな声がかかった。
「ああ」
一言だけ答え、そのまま階段を昇る。背後から、満足げな吐息が聞こえてきた。
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