第4話

◇ PM 7:50


 扉を開けると、目の前に立っていたのは、インターホン越しに話したと思しき男と、その脇に立つもう1人の男。そして、その男に背後から肩を押さえられて立つ、昼間のあの子ども。不安そうな顔でこちらを見上げてくる、あの瞳―。

 カイが子どもから目を離せずにいる間に男は帽子を軽く上げて挨拶し、手帳をしまいながら背後に立つ母親と姉を含めた3人に向けて話し始めた。

「実はこの子のことなのですが―」


        ***


 病院に運び込まれ、ほどなくして目覚めた子どもに、医師が、精密検査を施した。だが、入念な検査で異常無しとの結果が出たにも関らず、住所や家族はおろか、自分の名前ですら、「わからない」という答えが返ってくるばかりだった。…正確には、どの問いにも、わからない、とばかりに、ただ首を横に振るだけだったのだ。

 身元を特定できる持ち物なども皆無。こうした状況に、口にこそ出さないが本人も不安そうで、かなり情緒不安定気味。こんなときには、できれば誰かがすぐ身近にいる状態で過ごさせるべき、というのが医師の見解だった。だが、生憎、今夜は施設に空きがない。病院も手一杯とのことで、たいへん不躾とは思ったが、子どものことを第一に考えて、医師の勧めに従い、ここに連れて来てみた―。


 これが警官の言い分だった。もう1人の警官が言葉を継ぐ。

「もちろん、本来なら、病院なりこうした子を預かる専門施設なりで過ごさせるべきでしょう。ですが、申し上げましたように、本当にどこにも空きがないんです。静かで落ち着ける、安心できる場所で過ごさせることができません。どうにも他に手立てが見つからないもので、まことに申し訳ないのですが、できれば今夜だけでも、この子を預かって欲しいと思いまして」


「…あの、こういうことは、よくあることなのでしょうか?」

 母が、家族の疑問を代表して言う。

「いえ、恐らくは、初のケースでしょう。我々も、それはどうかと思いました。

ただ、診察した医師の方が、こちらのお宅なら安心だ、とおっしゃるので…」

「ちょっと待ってください! その医師は、なぜそんなことを言えるんだ?」

 カイの不審そうな声に、姉がはっとした声で尋ねた。

「もしかして、この子はトリスタホスピタルで治療を受けたのかしら?」

 え? と、カイが姉を振り返る。それは、姉が勤める病院の名だった。

「ああそう、そうです」

「で、診察した医師に『加害者』の名前を伝えた?」

「そのとおりです。この子の行き先が見つからず困っているという話が出たときに、先生が、こちらのお宅なら看護師の方もいらっしゃるしちょうどよいかも、と」

「そうだったの…」

 そう呟いてから、怪訝そうな顔でこちらを見ている弟に話しかけた。

「今夜の夜勤担当、どうやらスオミ先生だったみたいね」

「あ!」

 その名は彼にも馴染み深いものだった。姉の勤める病院の医師・スオミには、姉を介して何度か会ったことがある。真面目で物静かな、燃えるような赤毛の彼は、意外にノリのよい面を時折見せる。その親しみやすい表情が、カイの脳裏に浮かんだ。

「先生が信頼して、うちを指名したんだもの。うちで預かりましょうよ」

 姉が母に向かって言うのを、カイは遮って叫んだ。

「俺のせいで、怪我したのに? 恐い記憶が蘇ったりしたらどうするんだよ!」

「そうよ、そもそもあなたのせいじゃないの! 嫌だって言うの?」

 思わず語気を荒らげるカイに、姉が応酬するように声を高くした。途端、子どもがびくりと身を竦ませ、僅かに顔を歪ませる。それに気づいた母親が、きっぱりとした口調で言った。

「やめなさい。こんな小さい子の目の前で。

 刑事さん(で、よろしかったかしら?)、わかりました。この子は、うちで預かりましょう。一晩と言わず、きちんとした引き取り先が見つかるまで。たらい回しにするのも、よくないわ」

「母さん?」

 冷静な声で大胆な決断を下す母親を、カイは呆然とした思いで見つめ返した。



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