第四曲『眩暈』

 他の誰でもない、アイシャに諭された。

 だから仕方なくなのだと、俺は久し振りに成城の家の門を押し開ける。相変わらず薔薇に傾倒しているらしい――名前も香りも知らない棘花は、前に見た時よりも随分と幅を利かせていた。

 母は大抵家にいる。そして父は、仕事の予定があるから今夜はもう不在のはずだ。

「なんだ、帰って早々…」

 そう思ったら油断した。

 安い弓で出鱈目に引っ掻いたような声は、忘れようもない。苛立ちを前面に押し出した、父のものだ。

「…」

 俺は庭に蔓延る蔦やらを避けながら、リビングの網戸の傍で息を潜める。

「これを…」

「…」

「どこからお知りになったのか…私の所へ」

「…」

「あなた、行って差し上げたら…」

「冗談じゃない!」

「…痛っ…」

「何故私が時間を割く必要がある!認知もしていない子供の為に!」

「…!」

「もうヨーロッパツアーが始まるんだ!お前も分かっているだろう!そんなスキャンダルがご法度だという事くらい!」

「ええ…でも…」

「ただでさえ、あれの事をひた隠すのに神経を磨り減らしているんだ!今回のツアーだって、そもそもはあれの為に用意してやった舞台だというのに、あの馬鹿が…!」

「…」

「お前も、そんなものに構っている暇があるなら、さっさと探して連れ戻せ!」

「…ごめんなさい」

「ったく!フライトは変更になるわ、お前の寝言には付き合わされるわ!」

 叩きつけられるドアの騒音、その後はシンと、夜の住宅街らしい静けさで満たされた。

「…」

 息を飲むのがやっとだった。てっきり俺の事で揉めているのだとばかり思っていた。まさか自分の父親が――聞き慣れない、あまりに衝撃の強過ぎる単語は、激しく俺の脳を揺さぶった。

「…」

 暫くしてから中を覗くと、母の姿もなかった。

 なんとか潜入することに成功し、払い落とされたままの母のスマホを、ラグの上で見つけた。俺はそれを手に取って見る。

 刹那、頭蓋骨を捩じ切られたかと思う程の激しい眩暈。


 そこに映っていたのは。

 真っ白なベッドに虚ろな瞳で横たわる、それよりもっと白い肌の、まるで人形のような――。


 心地よかったこの波形は、ある限界点を突破して、もう気持ち悪さしか残らない。音は、途端に生臭い牙となり、旋律は全て暗転した。

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